「臨済宗建仁寺派大本山 東山建仁禅寺」に伺い「本坊・方丈」で

   「風神雷神図屏風・金澤翔子筆 風神雷神・襖絵・掛軸・庭園」を

   拝見した後に「法堂」で「今年の干支『龍』」を描いた「小泉 淳

   作筆・天井画 双龍図」を見上げ拝見し、続いて「境内」を歩いて

   「塔頭・禅居庵(摩利支尊天堂)」に向かいたいと思います。

   (「本草網目:龍」は「形に九似あり、駝に似た頭、鹿に似た角、

   鬼に似た眼、牛に似た耳、蛇に似た項、蜃(大蛤)に似た腹、鯉に

   似た鱗、鷹に似た爪、虎に似た掌」とか)

   (「秋空に悠々と浮かぶ雲、苔むした岩間を 留まることなく流れ

   る水が『行雲流水(こううんりゅうすい)』」で、「禅の修行僧」

   を「雲水」と云うのは この語に由来すると云い、「僧堂」が無か

   った時代に「雲水」は 一か所に留まることなく「師」を求め、仏

   道を訪ねて 各地を行脚して「禅の修業」をしました。 日々出会

   う人々や山川草木、路傍に咲く一輪の花も また「師」であります

   ・・・建仁寺派管長 小堀泰巖老大師」)

 

   「法堂」

 

 

 

 

   開山の「栄西」は一般的には「えいさい」寺伝では「ようさい」と

   云い、「日本」に「禅」を伝えました。

   また「中国」から「茶種」を持ち帰り、日本で栽培する事を奨励し

   「喫茶の法」を普及した事から「茶祖」としても知られています。

   この「茶碑」後方の茶園は、「茶」の来800年を記念して記念植

   樹した「覆い下茶園(新芽の生育中、遮光資材で茶園を被覆して、

   一定期間光を遮って育てる栽培方法で、露天栽培による茶にはない

   鮮緑色と 独特の芳香や円やかな旨味・甘味の「茶」になるとか)」 

 

 

   「管長・小堀泰巖老大師」御手植えの「八重紅しだれ桜」

 

 

   石柱「扶桑佛心宗第一開山千光祖師榮西禅師入定塔」と「開山堂

   (榮西禅師御廟所、旧名:護国院・興禅護国院)・楼門」

   平成25年(2013)に「榮西禅師八百年大遠諱事業」として

   「楼門修復工事」が行われたそうですが、この「楼門」は「京都

   宇多野鳴滝」に在る「建仁寺派妙光寺」に在ったもので 明治18

   年(1885)に移築されたと云います。

   (「風神雷神図屏風(国宝)」は、文政12年(1829)に「

   妙光寺63世・全室慈保」が「本山・建仁寺」に移るにあたって、

   この屏風を帯同し、それが「建仁寺・寺宝」として所蔵されたと

   云います)

 

 

 

   「三門(望闕楼)」は 静岡県浜松市(旧浜名郡雄踏町)「安寧寺」

   から 大正12年(1923)に移築した江戸時代末期の建築。

 

 

 

 

   「建仁寺塔頭・禅居庵」に伺います。

 

 

 

   この先「道」が狭く、擦れ違うのも悩ましく「ゆずりあいの道」と

   記されています。

 

 

   「禅居庵」

   鎌倉時代後期、「中国 元国」からの「来朝僧:大鑑清拙正澄禅師」

   を開基として「小笠原貞宗」が開いた「臨済宗建仁寺派 塔頭寺院」

   禅師将来の鎮守として、境内に「摩利支尊天堂」が在り、開運勝利

   の御利益とされ「日本三大摩利支天」の一つとされる。

   ここでは「狛犬」ならぬ「狛亥」が数多く並び、「亥年」の新年に

   は大変な賑わいであった。

   (「摩利支天」は、仏法を護る善神として祀られ「七頭の猪」の上

   に座しておられるとか)

 

   「手水舎」に「猪!」

 

 

 

 

   「阿吽の狛亥・狛亥・狛亥・狛亥・・・・・」