「京都・花見小路」から「臨済宗建仁寺派大本山 東山建仁禅寺」

   に伺い、「方丈」で「掛け軸・襖絵・庭」を拝見しております。

 

   「小書院」で「鳥羽美花さん」の「ヴェトナム・バンロンの水辺         

   風景 凪・舟出」を拝見して「大書院」に向かいます。

 

   「方丈庭園 潮音庭」(本坊中庭・小堀泰厳老大師作庭)

   (小堀泰厳:臨済宗建仁寺派第9代管長・建仁僧堂師家・建仁寺

   第487世住職 高台寺住職等も歴任。 道号:泰厳 法諱:宗運)

   中央に「三尊石」その東に「坐禅石」廻りに紅葉を配した枯淡な   

   四方正面の禅庭とされます。

   (三尊石は「仏陀と二人の禅僧」を象徴しているとか)

 

 

 

   「大書院」

 

 

   「掛け軸」は「臨済宗開祖・臨済義玄」の「喝!」だそうですが

   「喝」は「禅宗で、師が言葉では言い表せない禅の極意を弟子に

   示す為に使われた叫び」とか、「中国の禅師・馬祖道一」が始ま

   りと云いますが、この「臨済義玄」が有名。

   「喝」には「四つ」あって、「臨済四喝」と云われ「臨済録」に

   残されているとの事です。

   「四喝」について確認してみたのですが資料によって違いがあっ

   て、どれが「臨済録」に該当するか分かりませんので列記します。

 

   一 煩悩、妄想の迷いを断ち切る喝

   二 目覚めよ。と、ふるいたたす喝

   三 かかってこい。と、本気にさせる喝

   四 平常心是れ喝、と大きな喝

 

   一 刀で切るように迷いや苦しみを切り去る一喝

   二 ライオンの咆哮の様な誰もが身を竦めるような凄まじい一喝

   三 漁師が魚を見つけるように相手の真偽を見抜くような一喝

   四 喝を叫ばず生活や所作そのものが喝を示すもの

   (臨済宗(禅宗)での葬儀で、死者を 悟りへと導く 印藤として

   「喝」と叫ぶが、それって・・・どれ? ん、それが分からぬか 

   と言って『喝!』と叫ばれてしまうかな)

   

   「師が僧に問うた『ある時の一喝は 金剛王宝剣の如く凄みがあり、

   ある時の一喝は 獲物を狙う獅子のような威力があり、ある時の一

   喝は おびき寄せる働きをし、ある時の一喝は 一喝の働きさえしな

   い、お前は それが分かるか』と・・・僧が もたついた、師はすか

   さず『喝!』と」

 

   「無文老師」は「金剛王宝剣の喝」から順に説き「ある時の 一喝

   は正宗の名刀を ひき抜いたようなものだ、叢雲の剣を振り上げた

   ようなものだ、あらゆる煩悩、妄想、葛藤を 何もかも断ち切って

   行くのである。 仏を殺し 祖を殺し、何もかもぶち切ってしまう。 

   鉄を切る、その金剛王宝剣に向かって 切れんものは何もない。 

   天地宇宙、何もかもぶち切ってしまう。 煩悩も菩提も 根こそぎ

   切ってしまう。 そう云う働きがあるのだ」と説かれています。

   更に「ある時の一喝は踞地金毛の獅子の如し については、獅子の

   中で 特に優れたものは 黄金の毛色をしておると云う事であるが、

   その獅子が 大地に蹲って呼吸を止め、今にも飛び出そうとしてい

   る勢いである。 獅子が威をふるって駆ける、ある時の一喝は そ

   ういった味わいがある」

   「ある時の一喝は、探竿影草の如しである。 これは 相手に探り

   を入れる一喝である。 こいつ 何をしに出て来よったか、こいつ

   は悟っておるか 悟っておらんのか、凡夫か仏かと、網を打つもの

   が、まず竿で水の中の深いところを探ってみる。 あるいは 竿の

   先端に鵜の羽をつけ、それを水中に浸けて魚を誘い寄せ、また 刈

   り取った草を水中に沈め 魚を招き寄せる。 魚がおるかおらんの

   か試してみる」

   「また ある時の一喝は、一喝の用を作さず。 いかにもつまらん

   一喝のようだが そうではない。 これが 最も優れた一喝である。 

   不作用の一喝、向上底だ。 うかがい知る事の出来ん、何とも 図

   る事の出来ん一喝が、この 不作用の一喝だ。 最後の 一喝だ。 

   どうだ『臨済』時々喝を吐くが、お前たちは ぼんやり聞いておろ

   うが、俺の一喝にも こう云う予想のつかん奴があるのだ。 どう

   じゃ、分かるか・・・『喝!』」

 

   「六祖慧能禅師」の言葉に「外、一切善悪の境界に於いて 心念起

   こらざるを名付けて『坐』と為し、内、自性を見て 動ぜざるを名

   付け『禅』と為す」とあるそうです。

   「外の一切の情報を断ち切るのが『金剛王宝剣の 一喝』でありま

   す。 外界の誘惑を断ち切るので、戒の心にも通じます。 内面に

   向けて自己の本性を見て、動じないのが『禅』である と書かれて

   いますが、これは『踞地金毛の獅子の喝』であります。 これは、

   じっと坐って自心を見つめる『禅定』の修行であります。 『探

   竿影草』の 働きは、相手の様子を 探るのですから、正しい判断、

   智慧を表わしています。 四番目の『一喝の用を為さざる』と云

   うのは、『喝』と云うのではなく、『おはよう、有難う、ご機嫌

   いかが』とか云う 思いやりの言葉であり、それは智慧から湧いて

   出てくる『慈悲』の事だ と受けとめたのです。 そのように見て

   行くと この『四喝』に仏道の全てが込められている と言えます」

   との事です。

 

   「あれあれ、『喝』でだいぶ長くなってしまった」・・・『喝!』

 

 

 

   「大書院」に「細川護熙氏(熊本県知事・参議院議員・衆議院議員

   ・内閣総理大臣、陶芸家、茶人)」が奉納された「襖絵・瀟湘八景

   図(しょうしょうはっけいず)、二十四面」を拝見いたします。

 

   「この「建仁寺」は「細川家」と深い御縁があり、塔頭の『正伝永

   源院』には『始祖・細川頼有』以来 八代の先祖が祀られています。

   また『本山・法堂』の須弥壇に置かれた『釈迦三尊』は『細川元常

   三男』で『永源院管長』であった『玉甫永宗』によって奉納された

   ものです。 私自身も若い頃から、本山の『益州老師、素堂老師』

   の謦咳に接し、現在の『泰巖老師』にもご指導を戴いて参りました。

   そうした ご縁もあって、十年ほど 前に、『正伝永源院・本堂』に

   『襖絵・四季山水図』を奉納させて戴きましたが、その後一昨年の

   暮れ『泰巖老師』から、本山のほうへも何か描いて欲しいという勿

   体ないお話を戴き 一年かけて制作いたしました。 『本山大書院』

   に納めさせて戴くのは、古来著名な画家たちの画題としてよく取り

   上げられ、また詩にも詠まれてきた『瀟湘八景』を描いたものです。

   『瀟湘八景』とは、中国湘南省の景勝地として名高い『洞庭湖』周

   辺の風光明媚な風景で、季節・時間・天候など、最も美しいタイミ

   ングをとらえて、中国北宋時代の文人画家『宋廸・大洪・牧谿・玉

   澗』ら、また日本でも『狩野元信・相阿弥・大雅・大観』らによっ

   描かれてきました。

   紙は『楮八、雁皮二の割合の混合紙』を使用。 墨は、中国の古い

   『松煙墨』を使って描いています。      細川護熙」との事。

 

   『瀟湘八景図』

   「瀟湘」とは、「中国湘南省」に「瀟水・湘水」と云う 河が在り、

   これらが合流して「洞庭湖」と云う 大きな湖にそそぐ 地域の名で、

   古くから伝説や神話が残る、数多くの詩人や画家たちが訪れる中国

   有数の景勝地で、北宋時代(11世紀)に活躍した画家「宋廸」が

   八通りの景観を選び豊かな自然を絵画化したのが『瀟湘八景図』の

   始まり。 現在、その「瀟湘八景図」は遺っていないが、史料を基

   に再現された。 「八景」とは、町の賑わいを描いた「山市晴嵐」、

   遠く海上を帆船が行き交う様を描いた「遠浦帰帆」、のどかな漁村

   の光景を描いた「漁村夕照」、遠くうっそうとした山寺の鐘が響き

   渡る情景を描いた「烟寺晩鐘」、しとしとと降る夜の雨の情景を描

   いた「瀟湘夜雨」、湖上に浮かぶ月を描いた「洞庭秋月」、砂浜に

   雁が舞い降りるところを描いた「平沙落雁」、山に雪が降り積もる

   様を描いた「江天暮雪」の八つです。

 

   「烟寺晩鐘」

 

 

 

   「洞庭秋月」

 

 

   「山市晴嵐」、「漁村夕照」

 

 

   「瀟湘夜雨」

 

 

   「遠浦帰帆」、「平沙落雁」

 

 

   「江天暮雪」

 

 

 

   「細川護熙氏」による「掛け軸・達磨大師」

 

   「禅の宗祖・達磨大師」が 印度から「中国 梁」に渡った時、仏教

   に帰依していた「武帝」から宮廷に招かれ「問答」を行ったと云い

   ます。

   「朕、寺を立て僧を度す。 何の功徳か有る」

   (私は仏教に貢献してきた。 どれだけ利益が得られるか)

   「無功徳」

   (利益:りやく などない)

   「如何なるか是れ聖諦第一義」

   (仏教の心理は何か)

   「廓然無聖」

   (一点の雲もない空のように、晴れやかで心理も迷いもない空っぽ

   の状態だ)

   「朕に対する者は誰ぞ」

   (私の前に居る あなたは誰だ)

   「不識」

   (知らない)

 

   「達磨大師」は「禅の精神」を真摯に伝えているのですが、「武帝」

   には理解できなかったと云います。

   「自分が何者であるか」など、分からなくて当然です。

   自分の思う自分と、他人から見た あなたの印象は異なっている事も

   多いでしょう。

   あなたが 自分だと思っているものは、主観的な意識の中の 自分で、

   脳内での自分であり、実在としての自分「本当の自分」など、何処

   にもないのかも知れません・・・・・と、云う事らしい。