「真言宗智山派大本山 成田山金剛王院神護新勝寺」

   天慶二年・939年、「平将門の乱」 による乱世に 「朱雀天皇」 の勅命を受けた 「寛朝大僧正」

   は 「弘法大師・空海」 が 自ら敬刻開眼した 「神護寺護摩堂 不動明王御尊像」 を奉じ 京都を

   出て、大阪から海路にて 「上総国・尾垂ヶ浜」 に上陸し、「下総国・公津ヶ原」 の地に御尊像を

   奉安して御護摩を焚いて戦乱の鎮まるを祈願すると、祈願最後の日 「平将門」 が敗北し平和

   が訪れたと云います。

   「寛朝大僧正」 は京都に戻ろうとするが 「御尊像」 は動かずに、この地に留まる様に告げた事

   から 天慶三年・940年 「成田山新勝寺」 が開山とされています。

 

   「総門」

   平成19年・2007年建立、高さ:15m、桁行:14m、梁行:8m 唐様五間三戸楼門・総欅造り

   「生まれ歳・守り本尊」 として 「千手観音菩薩・虚空蔵菩薩」・文殊菩薩・普賢菩薩・勢至菩薩・

   大日如来・不動明王・阿弥陀如来」 の 「八体佛」 が奉安されているそうです。

   (施工は 「世界最古の会社・金剛組 宮大工」 だとか)

   「文化十一年」 と刻まれた台座に 「阿吽の狛犬」 が乗っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

   「蟇股」 には 「法輪と、十二支の彫刻」

 

 

 

 

 

 

 

   「石灯籠」 が並ぶ参道を進むと、急階段の上方に 「仁王門」 が見えてきますが・・・ここで

   左に曲がると 「石碑」 が一杯 (左右に 「獅子岩」 が在ります!)

 

 

 

 

   そして 「光輪閣 (本坊寺務所・客殿)」 への 「山門」 が在ります。

 

 

   あれ、なんだ? 分厚い表札のような物が・・・・・「お札」 かな?

 

 

 

 

   「山門左側木鼻」 の 「獅子頭」 は 「玉取りの獅子」 で、「透かし彫りの篭毬」 を抱いて

   います!

 

 

 

   さあ、「仁王門」 への階段を上がりますかな・・・急だなぁ~、中央の 「手摺」 が役立つ!

 

 

 

   階段を上がると・・・・・「狛犬」 が

 

 

 

   「仁王門」

   文政十三年(天保元年)・1831年建立 (再建とも云われます)、入母屋造・三間一戸・

   八脚門・総欅造りで 「国の重要文化財」

   「築地、魚河岸旦那衆」が贈った大提灯  (直径:2.4m、高さ:2.8m、総重量:800kg)

   「成田山」 と書かれた大額は 「東大寺別当道恕上人」 の揮毫だそうです

 

 

   門の左右に 「朱塗りの仁王像」 (今は、色褪せていますが・・・・・)

   門右手 「阿形・那羅延金剛像」、左手 「吽形・密迹金剛像」 (金網の中にいらっしゃるの

   ですが、正面に小さな縦格子窓が付いていますので、その隙間を狙って)

   門裏側には 「四天王の二尊、広目天と多聞天」 (「多聞天」 は金網化粧中でした)

   「琴・棋 (囲碁)・書・画」 の彫刻 (中国支配階級が嗜む四つの芸事) も見えています。

  

 

 

 

 

   「仁王門」 の右に 「燈明台と 開運地蔵尊、そして石碑」

   「燈明台」 は 明治二十七年・1894年に建立されたが、地震により 「宝珠・笠・火袋」 が

   失われたようです (「成田山」 と縁の深い 「歌舞伎市川宗家 『成田屋』」 の歌舞伎役者

   の名前が在ります。

 

 

 

   そして 「仁王門」 を抜けると 「仁王橋」 が在り、その両脇から 「大本堂」 への階段を

   見上げると、その両脇には・・・・・!