「京都ホテルオークラ」 の 「初詣バス」 を予約しておきました!
   元日 朝9時30分に出発し、『北野天満宮・下鴨神社・上賀茂神社』 の三社を巡るのだそうです。

   桜の名所 『平野神社』 の脇を抜けて 「北野天満宮」 に向かいます。

   「平野神社 南門」
    慶安4年・1651年に 「御所の旧門」 ( 元和5年・1619年頃に、内裏の 「女御御里御殿の門」
    として建てられたのではないか) を下賜されたものと云います (「薬医門」、 切妻造・桟瓦葺)
    古くは 現在の 「大鳥居」 の位置に在り、昭和18年・1943年に 「南門」 として移築された。



   「寒緋桜」が咲き始めています!



   「平野神社 東門・大鳥居 扁額 『平野皇大神』 」




   『北野天満宮』
    「菅原道真公」 が 「大宰府」 で没した後、都では 「落雷などの災害」 が相次いぎ、これらが
    「道真の祟り」 だとする噂が広まり、朝廷は 「道真」 を無罪とし 左遷を撤回して官位を復し、
    正二位を贈った。
    天暦元年・947年 北野の地に、朝廷によって 「道真を祀る」 社殿が 造営された (実在の
    人物を 「神」 として祀った最初の神社と考えられる)
    後に 「藤原師輔」 が、自分の屋敷の建物を寄贈して 壮大な社殿に改築。
    「一条天皇」から「北野天満宮天神」の称が贈られ、「正一位・右大臣・太政大臣」 が 追贈
    された。
    それ以降も 朝廷から 更に 「菅原氏・藤原氏、足利将軍家」 からも 崇敬を受けていたが、
    「麹座・麹製造独占権」 を巡るトラブルから 文安元年・1444年)に 「室町幕府軍」 の攻撃
    を受けて 「天満宮」 は焼失した。
    「第十代室町幕府将軍・足利義稙」 が 「所司代・細川勝元」 に命じて、全国から木材等を
    集め、社殿の造営をさせ、余った材木で 「参詣人の休憩所」 として「七軒の茶店」 を建てた。
    その後 天正15年・1587年 境内において 「豊臣秀吉」 によって 「北野大茶会」 が催され、
    その際に献上された 「団子」 を気に入った 「秀吉」 によって 「法会茶屋株」 が認可され、
    これが 「花街・上七軒」 となるそうです。

    こちらの境内には 200頭の牛が居ります。 牛達みな 『菅原道真公』 が去らぬように座り
    込んでいるのだそうです・・・(『もう 歩けません! 』)。 
    『天満宮』 は 『学問の神様』、その使徒である 『牛の頭』 を撫でてから 『自分の頭』 を撫で
    ると 頭が良くなると云います お試しください! (「自分の頭」 を先に撫でて、それから 「牛
    の頭」 を撫でますと 牛が・・・・・ みなさま、呉々も 逆にされないよう お願い致します)

   「北門」 から入場すると







   「文子天満宮」



   「三光門」 
    「後西天皇御宸筆『天満宮』の勅額」
    「三光」 とは 「日・月・星」 の彫刻が梁の間に在る事が由来だが、「星の彫刻」 が無いと云われ
    「天神さんの七不思議 星欠けの三光門」 とされる・・・此れは、かつて朝廷があった 「大極殿」
    から望むと 丁度 この門の上に 「北極星」 が輝く事によるそうです。
    社殿と共に 「桃山時代」 の建築様式として 「重要文化財」 に指定。



















   「本殿・拝殿」 に 「初詣」 に向かいます。
    現在の建物は 「豊臣秀吉」 の遺命により 「豊臣秀頼」 が 慶長12年・1607年に造営した
    日本最古の 「八棟造(権現造) 社殿」 で 「入母屋造・本殿」 と、「入母屋造・拝殿」 の間を
    「石の間」で接続し、「拝殿」 の左右に「楽の間」が接続して複雑な屋根構成 (全て檜皮葺)
    となっている (「本殿」 と 「拝殿」 が、「石の間」と云う 石畳の廊下でつながり、「本殿」 の
    西には脇殿を、拝殿の両脇には楽の間を備える)
    「本殿・石の間・拝殿・楽の間」 を合わせて 「総面積約500坪」 の一棟として 国宝に指定
    されている












                 (この 「拝殿欄間? の神牛」 一頭 だけが 「立ち牛」 だと思います)







   「吊燈籠」




   実は、この後で 「御朱印」 を戴いたのですが・・・・・まあ 「元日」 に大勢の方々が 「御朱印帳」 を
   もって「御朱印所」 に並ぶ訳ですから、「お巫女さん」 の姿をした人も、なんですなぁ~ もう少し
   書ける人を集めて貰うと良いなぁ、戴いて吃驚するような 「御朱印」 に酷く落ち込んでしまいまし
   てね。

   気を取り直して 「史跡 御土居 (もみじ苑)」 へ
   (境内の西側に 紙屋川に沿って、「豊臣秀吉」 が 洛中洛外の境界と 水防の為に築いた土塁)







   「樹齢600年の大欅 東風・こち」



   「楼門」





   「石の牛」 に 受験生らしき子供達、その親御さん達が 頭を撫でに来ます (「牛の頭」 が先ですよ!)



   「梅が咲いています!!!」 (「暖冬」 なのですかねぇ~ 「梅」 は咲くし、「平野神社」 の
   「寒緋桜」 も早い。 「紅葉・黄葉」 を終えた筈の 「銀杏」 も 未だ未だ 葉を付けているしなぁ~)









   「バス」 に乗り込み 「下鴨神社」 に移動・・・・・「一の鳥居」 の前を通過!
   (木曽の花崗岩の一本柱、高さ11.4mの大鳥居で、大正10年10月に建立)