「星野リゾート 古牧温泉・青森屋 古牧温泉渋沢公園」 を 朝の散歩!

   中央部の大きな池 「かっぱ沼」 から左手は 「渋沢敬三・祭魚洞庭園」

   「祭魚洞庭園」
    明治・大正・昭和にわたって 「日本経済・日本資本主義の父」 と云われた 「青淵・渋沢栄一翁」
    の嫡孫で 「戦時中の 日本銀行総裁、戦後 幣原内閣の大蔵大臣」 を歴任した 「渋沢敬三」 は、
    民俗学者でもあり、雅号を 「祭魚洞」 として 自身の書斎も 「祭魚洞」 と名付けていたそうです。
    その出典は 「中国の禮記 猛春の日、獺、魚をまつる」 獺が獲った魚を自分の巣穴の入り口に
    散乱させている様を、自分の書斎で 多くの書籍を散乱して検める事から 「祭魚洞」 と称したと
    云います。 (人気の日本酒 『獺祭』 と同じかな?)
    「古牧温泉グランドホテル」 を創業した 「杉本行雄」 は、渋沢家に仕え、その恩に報いるために
    この庭園を 「祭魚洞庭園」 と命名したそうです。 

   「渋沢大門」 に向かいます。







   「大門」 を潜ると 「祭魚洞庭園」、すぐ右手に 「鐘つき堂」



   「回遊路」 を右から廻ると・・・・・



   「渋沢神社」
    「青淵 渋澤榮一先生 立像」
    「祭魚洞 渋澤敬三先生 胸像」









   「晩香炉」 (「ゲストハウス」 でしょうか)



   「隅櫓」 (庭園で催された園遊会等では、茶室として使われていたと云います)



   「鳥居と小社」 が在ります!



   「旧渋沢邸」
    明治10年に 「渋沢栄一」 が 深川千住町に建てた自宅建物で、明治41年に三田綱町に移され、
    昭和4年に 「渋沢敬三」 が 西側部分を一部解体し 英国王朝風洋館を増築して 部屋数33室・
    総面積328坪とした。
    その後、平成3年に 此処 「古牧温泉」 に移築されたそうです。
    この建物の 「純日本風二階建」 を手掛けたのが、「清水建設始祖・二代清水喜助」 (現存する
    唯一の遺作と云われます)
    「和館」 は 大小26室で、内玄関・土蔵を含めて 延240坪、表玄関は 総檜造・階段の手摺は
    黒柿・二階18畳の天井板は 屋久杉一枚板・床柱は 南天・欄間は 柿が使われているようです。
    「洋館」 は、玄関・応接室・書斎・小書斎・食堂等の 大小7室 ・ 88坪で、玄関ホールと応接室
    2室はチーク材が、食堂はオーク材が使用され、釘を使わない楔・込み栓組立工法で建築され、
    「ステンドグラス・カットグラス・窓の金具類」 は 英国からの取り寄せだそうです。



















   「柏葉ホール」 (渋沢文化会館・渋沢資料館)



   「祭魚洞庭園」 を一周した処で  風強く、雨が降り始めました!





   急いで 「渋沢大門」 に戻り・・・・・





   更に 「西大門」 へ







   「青森屋玄関」 に戻り、「青森県立三沢航空科学館」 に向けて出発です!