(前回ご紹介いたしましたように、)現在、シンガポールの国会議席数全84の内、82議席をPAP
(People’s Action Party)が占めています。
なんと98%!
で、残り2議席ってどこの政党でしたっけ?確かWorkers' Party が1議席あったような・・・・
というくらい、PAPの存在があまりにも圧倒的過ぎる為にPAP以外の政党といいますと世間一般には殆ど知られていません。
ところが意外や意外、気になったので調べてみますと、シンガポールに登録されている政党の数はなんと
28!もありました。http://www.singapore-elections.com/political-parties.html
もっとも、休眠中のものもあったりして、実際の選挙戦の対象になる政党というとその数は限られます。
前回2006年の選挙を見てみますと実際に選挙を戦った他政党は6つとなっています。
シンガポールに住んでおりますと、PAPのことはいろんなメディアでしょっちゅう目にするのですが、他政党については(少なくともマスメディアでは)殆ど何も伝わって来ません。
ま、シンガポールは、時に「明るい北朝鮮」と揶揄されることがあるように、メディアは政府が実質おさえ報道は統制されている(*注)ようですから当然と言えば当然でしょうか。
(*注)非政府組織(NGO)「国境なき記者団」(これは日本語の翻訳でして、原語は仏語の「Reporters Sans Frontieres(RSF)」です。又、英語名は「Reporters Without Borders(RWB)」です。)が毎年実施している報道の自由度調査の結果、シンガポールは毎年きわめて低い評価を受けています。
2010年度は178の国・地域中136位でした。
http://en.rsf.org/press-freedom-index-2010,1034.html
)
因みに日本は11位で英国の19位、米国の20位よりも上です。
・・・ま、世の中そういうもんなんですかねえ?
で、話題の中国は171位でした。北朝鮮がてっきり最下位の178位かと思いきや下から二番目で、最下位はアフリカのエリトリアでした。上には上(下には下が正しいでしょうか)がいるものです。
ところで、あえて今回はシンガポールの支配政党PAPの事を日本語翻訳の「人民行動党」と呼んでいないのですが、その理由は単純でしてPAP(People’s Action Party)の翻訳として日本のメディアが使う「人民行動党」という言葉の響きが、どうにもしっくりこないからです。
何故Peopleの日本語訳は「人民」でしかないのでしょうか?
「人民」という言葉に変な「概念刷り込み」を感じてしまう私としましてはこの言葉を聴くたびに毎回居心地が悪くなってしまいます。
単に「行動党」とだけでも訳してくれているほうがよっぽどすっきりしますし・・・といいますか、この程度の英語であればそのまんまPAPと伝えるほうが、「人民行動党」と伝えるよりもましな(少なくとも不必要な誤解を与えない)気がします。、
つまりこれは、日本語で政治あるいは市民社会を語る事自体が、日本語自体の制約からして無理があると感じてしまうと共に、多分これは日本のメディアが有する文脈上の問題ではないかしらと思う次第です。
世界の多くのものは原語表現に対応する正式英語表記(加え今や中国語表記もか?)はされるものの、それの正式日本語表記が何なのかといった(世界の目から見たらどうでもいい)事が、わざわざ設定されるという事はまずありません。
従って、日本のメディアが海外の事象を日本語に翻訳して伝える際は、ある意味「勝手に解釈され勝手な日本語に翻訳されて伝えられているもの」と考えていた方が無難かと思います。
一方逆に、日本語表記のものについては、その正式英語表記は何なのかは通常設定されますので、その意味では、英語メディアの記者って楽かもしれません。
例えば、ここで話題にしている政党名ですが、日本の政党 はいずれも日本語名と共に正式英語名称を持っています。
例えば御存知の通り、
民主党 は Democratic Party
自由民主党 は Liberal Democratic Party
です。
なんかそのまんまってかんじですねえ。(芸がないと言えば芸が無い)
もっとも公明党は英語名(?)もKOMEITO(New Komeito)というもので英訳にはなっていませんので外人と話す際には苦労します。
そういった中、日本語名と英語名で、その想起させるイメージに意外なほどの違いを感じさせるものがあります。
・まずは「英語ネーミングの勝ち」、という意味では多分、「みんなの党」の=>「Your Party」でしょう。
この間、あるシンガポーリアンの友人(所謂グローバルマクロといわれるスタイルのヘッジファンド運用者の方で、且、大変な日本通の方です)と世間話をしていた際に、会話の途中で突然彼が、"By the way, I like Your Party、"と発言されたものですから、最初は、一体何の事か(私の何が好きなのか?)訳分からず「はあ」とだけ適当にうなずいていたのですがその後の彼の文脈から、ああ、「みんなの党」のことねえ、と漸く理解した次第でした。
(*注;上記例は、あくまでも一つのエピソードを紹介するものでして、筆者の政治的嗜好とは一切関係ありませんので念の為。)
・次に「英語ネーミングを聞いて漸く安心(?)できた」のが、「たちあがれ日本」の=>「Sunrise Party」でしょうか(?)。
結党報道当初、最初に私が他人事ながら心配した事は、「一体英語名は何なのかしら?
まさか、Stand Up、Japanじゃないよね?」ということだったのですが,
やはりそこまで単純ではなかったです。
以上はほんの一例ですが、ことごと左様に、英語(あるいは他の原語でも同じですが)表記と日本語表記とで、その意味するニュアンスが全く異なるものになる事がよくあります。
(まあ実態としての差があるのかどうかはともかく)
もっとも、固有名詞の翻訳ですら苦労するわけですから、外国語の議論の論理構成を日本語で正しく伝える事などは、そもそも不可能なものと割り切って、日本のメディアが日本語で伝える外国の話(特に外交問題)なんかは、はなっから聞かないと決め込むのがいいかもしれません。
話しは脱線するのですが、論理を伝えるには不向きでも、語感表現では極めて多彩なのが日本語かと思います。
先の外国語から日本語への翻訳表現とは逆のケースで、そういった日本語の語感を外国語に翻訳する際の困難さ(不可能さ!)に触れた面白いエピソードがありました。
村上春樹さんが、以前エッセイに書かれていたのですが、ベルリンのホテルに泊まっていた際、何気なくつけたTVで小津安二郎監督の「東京物語」が放映されていたそうです。
台詞はドイツ語吹き替えで、ある場面での笠智衆と東山千栄子の会話。
「そうかね?」
「そうですよ」
「やはり、そうかね?」
「そうじゃありませんか」
「やはり、そうだね」
「そうですよ」
なんていう台詞をドイツ語でやられていたらしいです。
「そーであるのか?」
「そーであるのだ」
「そーであるべからざることなきか?」
「そーであるべからざることなきなり」
「そーであること、然り」
「然り」
なんだか、形而上学的色彩さえ帯びてきます。
やはり、翻訳は無理ですねえ。
