シンガポール通信

シンガポール通信

Uniquely Singapore
with Global View

今まで当たり前だと思っていたことが、当たり前に思えなくなるような、


あるいは今まで疑問にすら思っていなかったものが、実は疑問に思えてくるような、


加えて、内容はないけど「単に面白そうな」、


そんなシンガポールからの話題を発信していきたいと思っています。

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~日本の年末年始の旅行者数 過去最高の見通し~



この年末年始(12月23日~来年1月3日出発)に旅行に出かける日本人の数は、国内と海外旅行のいずれも過去最高になるという見通しを先般、JTBが発表していました。


JTBは航空会社の予約状況などをもとに、今月23日から来月3日までの間に旅行に出かける人の数などの見通しをまとめたとのことで、それによりますと、この期間に旅行に出かける人は前の年の同じ時期より2.0%増え、合わせて3052万人余りになる見通しだそうです。


つまり、日本人の4人に一人は年末年始に「旅行」するという計算になります。


国内旅行は前の年の同じ時期より2.0%増えて2983万人余り、海外旅行は2.1%増え69万人余りと、いずれも昭和44年「1969年)の調査開始以来、過去最高になっているということです。



理由についてJTBは、「この年末年始は暦の並びがよく、長い連休が可能なことや冬のボーナスが増えることを見込んでいる人が多いため」としています。



確かに、今年の一般的な年末年始の休みは12月28日から1月5日までの9連休と、「過去11年間で最も良い日並び」となっておりますので、日本特有の正月の里帰り帰省を含めた国内「旅行」が増えるのはうなずけるのですが、海外旅行も過去最高というのは昨年来からの「円安!」を考えるとちょっと意外でした。


円は今年だけでも年初来2割近く下落しており、このままいきますとG10主要通貨中では今年の最弱通貨確定です。



いくら「冬のボーナスが増える?」としてもさすがに2割は増えそうにありませんので、単純な「移動のコスト対比購買力」の観点での説明には無理がありそうです。
まあ、日本発着のLCCも(全く不十分ながらも)徐々に増えてきて、従来の「海外旅行」というイメージのみの虚構価格がまともなものになってきているのかもしれません。


因みに平均旅行費用は国内が3.9%増の3万2000円、海外は4.8%増の21万7000円だそうです。(総旅行消費額は前年比6.1%増の1兆1055億円)


「海外旅行」費用の21万7000円というのをどう捉えるかは人によって意見が別れるところでしょうが、昨年末来購買力が2割弱低下した「円」ベースで5%弱の増加ということは、旅行会社側も旅行者側もそれなりの「努力」をしている結果と言えるでしょうか。


話はそれますが、先般のWSJ日本の記事に、「円は1998年以降5回、世界最強の通貨となり、5回最も弱い通貨となった。正真正銘の極端な通貨だ。最大の2極化通貨に対する賞があるなら、円は受賞確実だ。」というのがありました。



こうしょっちゅう対外購買力が変わる通貨で「海外旅行」費用をマネージするのもやっかいなものです。
又、私のように「旅行」どころか「海外生活」そのものをマネージしないといけない者からすると全くもって頭痛の種でして、にっくき「円安」でしかありません。


ところで、G10通貨の中で今年、対ドルで最も強かった通貨は何でしょう。まさかと思われましょうが、それはユーロです。
「他のほとんどの通貨はドルに対して下落したが、ユーロは今年これまでに3%上昇した。わずか1年前には苦境に立ったユーロ圏のまずい点全ての運の尽きた象徴とも見られていたユーロは、イタリアやスペインなどの国の高利回りで利益を得ようとする投資家の動きもあって持ちこたえることができた。ユーロは、その99年の誕生以来、3回にわたって最も弱い通貨となったが、最強になったのはこれが初めてだ。」(「WSJ日本」より)


さて、「旅行」の行き先ですが日経新聞報道では(本当かどうか知りませんが)「国内は世界遺産に登録された富士山周辺の人気が高い。海外は北米や欧州など長距離の旅行先が増えた。なかでもイタリアやスペインなどの売れ行きが好調という。」とのことです。


またよりによって最弱通貨国から最強通貨国に旅行するとはあっぱれなものです。主たる対象は中高年層でしょうか?


一方、読売新聞報道では(これも本当かどうか知りませんが)「海外はインドネシアが7.7%増、マレーシアが7.1%増など、東南アジアに行く人の伸びが目立つ。ただ、沖縄県尖閣諸島や、竹島をめぐる問題の影響で、韓国は4.2%減、中国は横ばいと低調傾向が続くとみている。」とのこと。


まあ、インドネシアルピアは今年、アジア通貨の中で唯一、円以上の対ドル下落(2割強)している通貨ですのでインドネシアが増えるのは理にかなっているかもしれません。これは若者層が中心なのでしょうか?尤も、インドネシアは物価も上がっていますので果たしてそれ程の割安感を感じられるかどうかは微妙なところです。



又、人民元や韓国ウオンは今年はユーロに続く強い通貨ですので「行く」のではなく「来て頂く」のを期待するほうが理にかなってます。


尤も、暦上の年末年始に「移動」するというのは日本特有の現象かと思います。
当地シンガポーリアンはしょっちゅう「海外旅行」しており(この小さな島を出ると、文字通り全てが「海外旅行」ですので)、特に季節的なピークのようなものはありません。
強いて言うとSchool Holiday時期の6月とか11~12月といったところでしょうか。
世界最大人口国家の中国(台湾、韓国等も同)での祝日といえばなんといってもChinese New Year(来年は1月31日になります)でして、この時期に民族大移動がおこります。

日本政府観光局(JNTO)が9月18日に発表したPress Releaseによりますと

「2013年8月の訪日外客数は、前年同月比で17.1%増の90万7千人となり、8月として過去最高であった2010年(80万3千人)を10万4千人上回った。1月~8月の累計でも、前年同期比21.4%増の686万4千人に達し、この時期としては過去最高となった。」
そうです。


確かに、今年8月までの累計数を単純に年間数に引き直しますと1030万人と初の1000万人の大台にのることになります。



因みに2005年からの訪日外客数の推移は以下のとおりです。

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(*日本政府はもう何年も昔から年間1千万人という目標を掲げていながら未だかつて達成できていません。2011年の原発事故で決定的なダメージを受けているにもかかわらず昨年来外客数が回復している要因は、アジア諸国の継続的な経済成長と、「円安」が追い風になったことに加え、・特定国への査証条件緩和撤廃、及び・LCCの日本への乗り入でしょう。前者はコントロールできないにしても少なくとも後者はとっくの昔にさっさとできていたはずです。何をちまちまやっていたのかと思うとともに、返す返すも「これで原発事故さえなかったら・・」と悔やむに悔やまれません。)



一方訪日外国人の内、国別の上位5カ国順位は近年では、1)韓国、2)中国、3)台湾、4)米国、5)香港の順が基本だったのですが、昨年度は台湾が中国本土をわずかに上回り2位に浮上したのに続き、

今年も8月までの累計では、総数6,864千人の内、1)韓国1,780千人(26%),2)台湾1,463千人(21%)、3)中国839千人(12%)、4)米国531千人(8%)、5)香港493千人(7%)の順となっています。

特に台湾、及び香港の対前年同期比伸び率は共に50%増と大幅に伸びています。

台湾、及び香港からの来客数を年間数に単純に引き直しますと、夫々220万人、74万人という数字になります。

両国(地域)の総人口は夫々23百万人、7百万人ですので、なんとこの両地域からは年間で総人口の10%に当たる数が来日するという計算になります。



韓国は地理的、歴史的経緯より訪日外国人数では常に不動の1位なのですが、それでもピークは2007年の260万人です。一方同国の国民人口は50百万人ですから総人口対比では5%という計算です。

中国にいたっては何をか言わんやでして、総人口対比0.1%程度の訪日客獲得にしかなっていません。



日本国政府は大昔から訪日外国人数10百万人というお題目を唱えてきていました。そして今は2020年までに20百万人が目標だそうです。

私個人の見解としては、10百万人だろうが20百万人だろうが、「志として低すぎる!」と思う一方、

隣国の韓国そして世界最大の大国中国とうまくやりあえない限り、20百万人の目標達成など単なる戯言と思う次第です。




■訪星外国人



さて、国土面積で日本の0.2%以下、居住人口でも日本の5%未満のこの小国シンガポールへの昨年度の外客数は14.4百万人となっています。www.singstat.gov.sg/statistics




2008年以降過去5年間の推移は以下のとおりです。

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シンガポールの訪星外国人数は2000年の8百万人から03年のSARS流行時には6百万人にまで落ち込んだものの、その後は一貫して増加し昨年は2003年対比2.4倍になったわけです。

つまり、2003年~04年頃には日本と大して変わらなかったものが10年後の現在、大きく水をあけているということです。


(といいますか、ビジネス資源、観光資源的にも世界トップクラスの「大国」日本といずれも「小国」のシンガポールの数字とを比較すること自体が「おかしい」のに、比較した数字で負けてしまっているということが「更におかしい」と考えるのが普通の発想かと思います。)


尚、昨年の来星客国別上位5カ国は1)インドネシア259万人(20%)、2)中国158万人(12%)、3)マレーシア114万人(9%)、4)豪州96万人(7%)、5)インド87万人(6%)となっており、近年は大体この順位です。

インドネシアとマレーシアに隣接するお国柄、普通ならこの両国が1位、2位と思われがちなのですが、なんといっても大国「中国」のプレゼンスは大したもので毎年伸びています。


又、上位5カ国が総来客数に占める割合は日本の場合、従来より大体4分の3(75%)程であるのに対し、シンガポールは半分強(54%)程度であって、当地外客の多様性が伺えます。

Singapore Tourism Boardによりますと、一昨年2011年の外客の消費額は前年比18%増のS$22.3BLNとなっています。


http://www1.yoursingapore.com/annualreport/#/performance-details









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訪星外国人の第6位、7位はフィリピン人と日本人なのですが、2011年の消費額は両国人共に2010年比3割強増えたそうです。
(因みに日本国への訪日外国人の第6位はタイですが、7位は奇遇にもシンガポールです)


又、上のグラフを見てお分かりのように、殊「Shopping」という消費項目における中国人の消費支出の高さは群を抜いています。






8月9日はシンガポール共和国の48回目の「National Day」でした。



「National Day」というのは、まさに文字通り「国(家)の日」のことであって、ある国が、その国にとって最も記念すべき日として定めた記念日と定義されます。
多くの国では、「独立記念日」、「建国記念日」というものであったり、君主制の国では国王などの君主の誕生日であったりします。


シンガポールのNational Dayですが、日本のメディアは、「独立記念日」とか「建国記念日」とかの日本語訳をあてるのですが、「独立記念日」には、なにがしか(独立を)「勝ち取った」というニュアンスが感じられますので、シンガポールの場合、歴史的経緯*からしてこの翻訳は不適当な気がします。
「建国記念日」といわれると、まあ、そうかもしれないのですが、やはり「National Day」という概念自体が社会通念として確立していない日本(語)でのしっくりくる翻訳はなさそうです。



とはいえ、まあ平たく言いますと8月9日は現在のシンガポール共和国という国家の「誕生日」であり、「国」としての「まとまり」の象徴日です。


■ナショナルデーパレード(NDP)


で、その誕生日のお祝いに「ナショナルデーパレード(NDP)」と呼ばれる盛大な祭典(現在の会場はマリーナ・ベイ・フローティング・スタジアム)が行われるのですが、このNDPに向けては、まさに国を挙げての大準備が進められます。

主要な道路沿いには1カ月以上前からNDPのテーマやロゴが入った旗や幕、ボードなどが設置され、8月9日が近付くにつれて住宅やHDB(公団集合住宅)の窓にずらりと国旗が掲げられ、ビルの玄関や門などにも国旗や国章がはためき、NDPのリハーサルやNDP関連の数々のイベントが行われます。

NDP自体は「パレード」という言葉から想像される以上の大規模なイベントで、毎年5月頃に受け付けられる入場チケット予約は抽選(応募はシンガポール国民または永住権保有者のみ)でなかなか手に入らないほどです。


近年は「旗日」であってもめったに国旗を掲揚している家を見なくなった日本から来られる人が見ると、ちょっとしたカルチャーショックを感じられるかと思います。



*歴史的経緯

シンガポールは大戦中の日本軍政(1942年~45年)から解放された後、再び19世紀初頭からの英国植民地下に戻されたわけですが、自治権の回復という意味では1959年6月にリー・クワンユー氏(当時35歳)が英連邦自治州シンガポールの初代首相に選出された時からです(現在の国歌Majulah Singapuraもこの年にできています。結構いい曲です。)。

英国からの完全独立という意味では1963年9月にマレーシア連邦の一部に自ら選んでなった時ですので、英国からの独立はこの時に達成されています。


問題はマレーシア連邦内での人種対立に起因するパワーバランスの崩れでしょうか、結果的にマレー人優遇策をとるマレーシア中央政府と華人が多数を占めるシンガポールとの融和は果たせず、シンガポールはマレーシア連邦参画後たった2年で連邦から追放される形で「独立」を余儀なくされた(スピンオフしたのではなくスピンオフさせられた)といわれています。


1965年8月9日の連邦離脱を表明するリー・クアンユー首相のTV会見はリー氏が途中感極まって会見を20分間中断したのはあまりにも有名なエピソードです。

感極まったというのは嬉しさからではなく、逆に悔しさ、途方に暮れる気持ち、将来への不安の気持ちからだと同氏は「回顧録」の中で述べています。



■シンガポールの公用語


さて、先程「国としてのまとまり」という表現を使ったのですが、当地のように様々な人種、民族、宗教、文化が入り混じった社会においては、まずはコミュニケーションの基本として言語が決定的に重要になるわけですが、シンガポールの公用語(Official Language)は何かといいますと、意外なことに英語一本というわけではなく、英語、マレー語、華語(標準中国語=マンダリン)、タミル語の4言語が共に全て公式な言語とされています。

学校教育でも、各民族語が英語とともに必須科目として教えられていますし、公的機関、銀行等の口座開設等用紙、公共交通機関での表示等は全て4言語表記されています。


尤も、ビジネス、行政などでは英語が基本、国会討議も英語でなされます。憲法上国語はマレー語(国歌もマレー語、軍隊のコマンド表現もマレー語)とされているものの儀礼的なもので、シンガポールがかつてマレーシア連邦の一員だったことの名残のようなものです。若い世代は大多数がバイリンガルあるいはトライリンガルです。
(当社事務所の中だけを見回しても、英語、華語は基本として、誰かはマレー語、タミル語と(ついでに)日本語も解するという構成になっています。)




■作られた言葉(国語) インドネシア語


一方これに反し、先般のHaze騒動でシンガポールとの外交関係がぎくしゃくしたお隣の(ASEAN最大)「国家」インドネシアですが、この国では1945年から「インドネシア語」が国語として唯一の公用語指定されています。

で、驚くのは、「インドネシア語」といわれるものは、例えば首都ジャカルタがあるジャワ島内で話されていた言語よりも「マレー語」に酷似している(というか、殆どマレー語)ということでしょうか。

200万平方キロメートルという広大な国土面積を持つインドネシア全国民が、そもそも同じ言語で話していたはずはありません。地域地域で単語も文法も異なった500~600以上の言葉があると言われています。ジャワ島内にしても西のスンダ人と中東部のジャワ人に大別できるわけですが全く違う言語です。島が違えばこれまた民族と言語が異なり、リゾートとして日本でも有名なバリ島もまた、独立した民族・文化と言語が存在します。


例えば、
「Thankyou - You are wellcome」 (ありがとう-どういたしまして)という表現は、

Indonesia語    Terimakasih - sama sama トゥリマカシ - サマサマ

Jawa語       Maturnuwun - sami sami マトゥルヌフン - サミサミ

Sunda語      Haturnuhun - sawang surna ハトゥルヌフン - サワンスルナ

Bali語      Matursuksma - sami sami マトゥルサクスマ - サミサミ

となります。


インドネシアという国家は国語を制定するにあたり、インドネシアの中心地ジャワ島のマジョリティであるジャワ人とスンダ人のどちらかの言語に寄せるのではなく、(両民族間に劣等意識や優遇措置の前例を作らないために、)マレー語に寄せたのでした。

ジャワ語に統一し、ジャワ島を二分するスンダ族が一斉に反旗を翻せば、スンダが独立してしまう恐れがある。逆も又然り、ということでしょうか。


中国は漢の時代から2000年かけて文字だけは統一しています。北京語なる言葉を公用語指定していますが、全く異なる言語と民族が存在しています。アメリカも英語で統一して200年と少しですが、当然エスニックグループは存在し、各エスニックグループは母国語で話しています。これに比べるとインドネシア語の統一の歴史はわずかに70年で、まだまだ多くの軋みが存在することが容易に想像できます。


言葉の問題一つをとっても日本にいては想像もできない困難が世界にはあるものです。

と、いいますかむしろ「日本」という「国」のほうが世界的には珍しい国であり、「日本人」ほど自らが帰属する「国家」という括りに無自覚な「国民」も又世界的には珍しいと自覚しておいたほうが良さようです。


今年、御年90歳のシンガポール建国の父、リー・クアンユー元首相が嘗て書かれた一文に次のような下りがありました。

48年前を振り返り、改めて「国家」とは何かと考えさせられた次第です。

「There are books to teach you how to build a house, how to repair engines, how to write a book. But I have not seen a book on how to build a nation…。」(「回想録」より)