僕にとっては、「のん」でなく、いつまでも“天野アキ”を演じた能年玲奈なんだが…………もうあの放送から12年が過ぎたんだね。
あの頃はまだまだ少女っぽさが抜けず、元気なだけが取り柄の下手クソな女優だった。
それが、さかなクン🐟️をモデルにした映画の主役に抜擢されて、早速完成したのを観た途端僕は、「一皮剥けて、ずいぶん色気が増したなァ……(泣)」と感じた。
その映画は2年前公開だから、「あまちゃん」から10年目だ。女子の10年は、野郎どもの浅はかな10年よりは遥かに厚みがあろう。
能年玲奈は、少女からオンナになっていた。
さかなクン🐟️は、どちらかと言えばジェンダーレスっぽい印象のキャラだが、能年玲奈が演じた「ミー坊」も性別不詳と言う設定である。(女のコっぽくはあるが………)
詰め襟の学ランを幾らか緩めに着て、ミディアムロングの栗毛を風になびかす。女子学生らしき好みや立ち居振る舞いは皆無。孤立を気にかけない。悪く言えば、自閉スペクトラム数歩手前だ。
そんな若者の、性別を越えた一種の根性ドラマである。
実は、コレが僕には胸キュン💕なんだ。
エヴァの綾波レイ、「野球狂の詩」水原勇気、或いは機龍(メカG)を駆ってGODZILLAに挑む家城茜(=釈由美子)のような戦闘的女子に通じる武闘派ツンデレヲタクの好みである。
ミー坊くんは、ある意味「闘って」いる。
いやいや、バイオレンスの闘いではない。むしろバイオレンス完全否定……というか、その枠外で無邪気である。
しかし、闘っている。闘わざるを得ない人生選択だ。
映画は、視聴覚両面から巧みにこの闘いを印象づける。
ビジュアルとして、男子の象徴たる学ランを戦闘服に擬定させ、終始耳障りともとれるミー坊の話し言葉のぎこちなさは、民族紛争の根源である言葉の壁を思わせる。
それは無理解であり、偏見であり、常識に名を借りた世間の偏狭さに対する、自己をかたくなに全うしようとモガく人間の反抗だ。尊厳をかけて、命がけの闘いに身を投ずるマイノリティと、魚しか愛せない特殊感性のミー坊の姿とが分かちがたく交差する。
闘わざるを得ない人間の発する哀しみのオーラが作品を包み込み、観ていて泣けて仕方なかった。
笑える場面で涙に苦しむのは、僕だけだろうか。
「南極料理人」の沖田監督が、この映画を作った。
南極の時も、主人公シェフ👨🍳は、ある意味、理解の壁と格闘していた。ドームふじの観測隊員の一人ひとりも、何かと闘っていた。闘う人間に沖田氏はsympathyを感じるのだろう。
沖田氏の絵作りは、どこか懐かしいテイストがある。
昔、NHKで日曜午後に地上波で放映していた「中学生日記」と似ている。昭和の名残りをそこここに漂わせる。
南極にしても、さかなクン🐟️にしても、僕と不思議に好みの波長が一致する。
沖田監督は、だがちょっとイジワルなとこもあって、この作品にさかなクン🐟️を辛い役回りでキャスティングしている。さかなクン🐟️もよく承知したな、と思えるようなとても損な役である。ズバリ、変質者の「ギョギョおじさん🐟️」で登場する。
あの騒ぎの後、彼は一体どうなってしまったんだろうか………………😢😢😢
(ついでにネタバレになるが、この作品では、ハコフグ帽を外されるさかなクン🐟️を一瞬目撃出来ます!まさに、ギョギョギョギョ〜っ🐟️🐟️🐟️)
しかし、だ。
なによりも、能年玲奈をジェンダーレスにして、学ラン着せるって発想が素晴らしい。
これからの能年玲奈の活動から目が離せない。
ドンドン、いいオンナになってく予感がする。
僕としては、ショートヘアより、長めの彼女がイイ。
他人がやらない役を買って出て、演技者として幅を広げていってくれたらいいな…………
追補 東京海洋大に入学してみると、実にコレが能年玲奈が演じたミー坊みたいな女子がたくさんいるってことを発見しました。
さかなサン🐟️もいるし、クジラさん🐳もいます。
シャチさん🐋、マグロ&サメちゃん🦈。
そしてそして、南極ガール🇦🇶も、しらせ🚢ガールも、
おんなじ資源エネルギー学科にいたのです!!!









