ストックホルム症候群……………

あの頃の阿蘇の様子を映し出す手短な上手い表現かもしれない。

派遣で集められた僕らは、世代も性も職種も雑多だったが、災害対策本部の建物の中でフロアーを越え走り回っているうちに、不思議な連帯感が醸成され、知らずそれに包みこまれていた。

各人の行動に、その連帯感は極めて歪な形で反映された。時に派遣された者同士男女の戦場の恋に発展することもあれば、派遣要員と現地人との道ならぬ関係に陥った者もいた。

極端なストレスに晒され、刑法犯に近い不祥事沙汰もあったが、全ては伏せられ、黙殺もしくは非事実として扱われた。

男性グループ同士が週末毎に語らい、阿蘇から熊本市内に1時間以上かけて降りて行く。公用車で盛り場に堂々乗りつける。市内中心部にある風俗店が集まるエリアに支給された制服兼作業衣のままで消えていく風景なぞ、まだまだ健全だった。

つまりは、あの年の阿蘇や益城は、戦場そのものだったんだ。



20近い都府県から阿蘇に送られてきた支援員たち。

周辺自治体や被災住民、復興をまさに第一線で担う調査・設計会社、施工業者らとの果てしない協議に加え、危険な現場立ち入り、無制限の休日時間外勤務…………に喘ぎ翻弄されながら、互いを横目で確認し、着任してひと月もしないうちにその不思議な連帯感の和に一人ずつが浸された。

見えざる何かに力ずくで中に放り込まれたのが事実に近かろう。

ハッキリ言っちまう。

当世風「働き方改革」「ワークライフバランス」などという甘い覚悟でいると、真っ先に被災地で生命を自ら断つか、元来た場所に逃げ帰るかしかない。実際、そんな仲間もいた。事実の大半は永遠に伏せられる。

被災地って奴は、僕は当然戦争を知らぬ世代だが、もしかしたら、戦場を100倍くらい薄めるとそうなってくる気がする。では…平時の世界は、と言えば、戦場をどんなに薄めても決してイコールにはならない。

日本は遠からず、富士山噴火🌋並びに南海トラフを震源域とする大規模なプレート境界型地震🫨に見舞われる。それは避けようがない。

その時、サバイバル技術などの小手先ではもうどうにもならない場面が果てしなく続く。一人一人に鋭い刃が突きつけられる。

しかし、そんな混沌とした中で、もしかしたら日本人はタフに淘汰されていくのかもしれない。

ひょっとしたら、この災害を契機として適者選別が峻厳に行われ、日本人のDNAは新しい進化を遂げるかもしれない。

それならそれで、また未曾有の災害も良し。

そう思うしかない…………か



どんなに希釈しても有と無との境界は乗り越えようがない。この断絶こそ、被災地の実際なんだ。

現実からの逃避で「無」世界から「有」の巷にやって来た僕は、完全にノックアウトされ、生きてくために、自分を棄てた。正気と良識に蓋をした。

だから、あの半年の記憶は、実はベールがかけられたようで今だに思い出せないことがある。

あの頃、現地から所属に送信していたレポートの写しを、ふと何かの拍子にアルバムで見る。しかし、目に映るのは大半がまるで遠い記憶の断片。現実味が損なわれた乾いた文字と写真。

真実はどこかへ消えた。



坊っちゃん・健蔵と“山嵐”堀田は、教え子たちがイザコザを起こした師範学校の生徒らとの果たし合いに巻き込まれてしまい、散々な立ち回りを演じて挙句、翌日の朝刊にスキャンダラスな書き方をされてしまう。

「…中学教師堀田某と、近頃東京から赴任した生意気なる某とが、順良なる生徒を使嗾してこの騒動を喚起するのみならず、……」

これでまた健蔵の癇癪玉が破裂する。

「それに近頃東京から赴任した生意気な某とは何だ!天下に某という名前の人があるか!」

この一人剣幕の後段で、健蔵の祖先が多田満仲(ただのまんじゅう)と言う姓名であることが読者に知らされる。
これでようやく坊っちゃんの正式な名前が定まった。
多田健蔵が坊っちゃんの本名だ。
その名で、僕は「続・坊っちゃん」を創った。

(「坊っちゃん」の回終わり)



次回からは、「漱石先生を読みなおす〜三四郎」を語ります。