最近、本当に更新が出来て無くてごめんなさいm(_ _ )m
昨日母にブログをサボっている事を話したらば、「楽しみにしている人がいるんだから・・」と言われました。本当にそんな人がいるかは不明ですが (・・。)ゞ 徒然なるままに日々の有様をお話しいたそうと思います。
さて、五月二日の報告からであります。
世間ではGWまっただ中(と言っても平日でしたが)の明治神宮において「春の大祭 奉祝行事」が執り行われ、父の一郎が能楽協会の依頼を受け、能「吉野天人」を舞う事となりました。
この明治神宮奉納能は能楽五流(観世・宝生・金剛・金春・喜多)が毎年持ち回りで承り、能を奉納しています。ただその持ち回りは流儀で行っているため、御宗家、御分家(観世銕之亟家)、観世喜之家、梅若六郎家、梅若万三郎家等々、多くの家がある観世流の能楽師は中々出演の機会が巡ってこないのが現状です。梅若研能会は昭和五十年代に中村裕師が「花月」を舞ったのが最後なので約三十年ぶりの奉納能でした。
舞台は野外に作られていました。明治神宮の鳥居をくぐり、門を一つ抜けた広場の中心に正方形の舞台が設けられ、観客は四方八方から観能出来るようになっています。し~か~し~、皆さん思い出してください。今年のGW中、雨が降ったのは最終日と二日の日だけで、あとは快晴でしたよね。明治神宮といい、武蔵野公演といい青木家の関係する公演は…。青木家は日頃の行いが悪いから…(笑)でも、「青木一郎能の会」の日のお天気は大丈夫でしたね(=⌒▽⌒=)
そんな訳で、雨天会場の舞台での奉納になりました。雨天時の舞台は本来やるべきだった舞台より更に拝殿に近い場所(一般参拝者が参拝する一つ前の屋根の付いた木造建築物)に敷き舞台を敷きました。
奉納という事もあって、拝殿に背中を見せないようシテは拝殿に向かって舞い、観客も舞台横や斜め前からの観能というかなり特殊な舞台でした。また、観客との距離も大変近く、一体感のある舞台であったのが印象的でした。(写真右手側がご神前、左側が参拝の場。)
午後三時三十分より狂言「酢薑(すはじかみ)」が上演され、続いて能「吉野天人」の開演となりました。
前シテの唐織姿(下の写真)、地謡の謡、木造の建物に染み渡るお囃子の音色。
中入のあとシテは紫色の長絹を身にまとい、頭上には天冠が輝いており、通常扇で舞うところを桜の枝を持って舞う姿は、雨にもかかわらず足を運んでいただいた観客の方々、一人ひとりの心の中に過ぎ去った今年の春の桜が蘇ったのではないでしょうか?
帰りの車中、父は「神様に向かって舞うような雰囲気が良かった。雨天会場の方が拝殿に近くて、しかも趣があった。」と言っていました。まぁ、晴れるにこした事はないんですがね(≡^∇^≡)
次ぎに梅若研能会が明治神宮奉納能のお仕事を承るのはいつの事やら…。今度こそ快晴の空の下で…と思う今日この頃でした。