昨日は、茨城県・土浦市の児童養護施設「窓愛園」の「ありがとうの会」にお招きいただき、伺ってきました。
今まで、何度かこの児童養護施設について触れたことがあるのですが。。。
ここ窓愛園は伯母の嫁ぎ先が運営しています。
第二次世界大戦後、上方ユキさんが戦災孤児を家に一人また一人と連れ帰り、
家族と一緒に生活を始め、食糧難の中、気がついたら大所帯になってたいたことから始まったそうです。
上方さんは代々、私財を投じて養護施設の建物を造ったり、建て替えて運営していて
本当に尊敬しています。
乳児院を卒業した月齢の子から高校生まで約50名、簡単に引き受けられることではありません。
私は学生の頃に初めてここを訪れたときに、いろいろな意味で衝撃を受け
それ以来、自分のできる範囲で洋服を送ったり
協力してくれるお友達に呼びかけたりしています。
昨日は、ここを卒園する子たち(就職したり、進学したり)
と、
筑波大学のボランティアの学生さん(学校帰りの子供達に勉強を教えてくれます)
のお別れ会、「ありがとうの会」
でした。
今まで、何度かこの児童養護施設について触れたことがあるのですが。。。
ここ窓愛園は伯母の嫁ぎ先が運営しています。
第二次世界大戦後、上方ユキさんが戦災孤児を家に一人また一人と連れ帰り、
家族と一緒に生活を始め、食糧難の中、気がついたら大所帯になってたいたことから始まったそうです。
上方さんは代々、私財を投じて養護施設の建物を造ったり、建て替えて運営していて
本当に尊敬しています。
乳児院を卒業した月齢の子から高校生まで約50名、簡単に引き受けられることではありません。
私は学生の頃に初めてここを訪れたときに、いろいろな意味で衝撃を受け
それ以来、自分のできる範囲で洋服を送ったり
協力してくれるお友達に呼びかけたりしています。
昨日は、ここを卒園する子たち(就職したり、進学したり)
と、
筑波大学のボランティアの学生さん(学校帰りの子供達に勉強を教えてくれます)
のお別れ会、「ありがとうの会」
でした。
筑波大学の学生さん、本当に素晴らしいんです。
小学生以上の園の子達ひとりひとりに大学生が担当としてついて、面倒を見てくれるのですが
時には授業参観に、時には受験の付き添いにも行ってくれるそう。
子供たちにとっては自分の担当の学生さんは、本当にお兄さんやお姉さんのようなものですよね。
そんな担当のお兄さん、お姉さんも学生生活が終われば離れなければなりません。
「ありがとうの会」ではお互いに何年かの御礼や思い出を手紙にしてみんなの前で読み上げるのです。
本当に感動的でした。
泣かずにはいられません。
私は懇親会で乾杯の挨拶を。