心のしげみ Herzgewächse 2 |  美しい暦     

 美しい暦     

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▲先生ぃ、80年くらい前に何でアルバカーキなんかで『ワルシャワの生き残り』の初演をする必要があったんですか?ワルシャワは焼け野原だったかもしれないけど、LAやボストンやニューヨークの方が良かったんじゃ?だいいち、何で俺らの旅行の最終目的地がアルバカーキなんでしょ?ってコトもある。

 

「1975年の4月、ここアルバカーキのちっぽけな電子計算機会社に怪しげな電話がかかってきた。どのくらいちっぽけかというと、コレから行くカートランド空軍基地で働く人が副業でロケットのおもちゃを作ったりしていたような吹けば飛ぶような会社で…。」

「先生、それよか、その電話の相手って…?」

中梅は話に興味を持ったのかソフトクリームの浮いたルートビールのストローを吐き出しながら尋ねた。

「アメリカの大学生。『おたくのミニコンピュータで動くプログラムを作ったんで、動かしに行くから見て欲しい』って電話で…」

「ばちものだったの?」

「まぁ、そんなところね。その大学生はそんなちっぽけなコンピュータなんて見たことも触ったことも無かったのにハッタリかましてアポだけとって、それからようやく大学のコンピュータを借りてプログラムを作り始めた。」

「でっちあげだったんだ。」

中梅はバニラの混ざったサロンパス臭い息を呆れたように吐いた。

「彼は、でも、慌てて作ったプログラムをちゃんとその会社に持っていった。」

「動いたの?」

「動いたんだろうね。それで、その会社と正式に契約を結んだ。」

「なぁんだ。」

「もともと、ハッタリだったんだよ。学生の名前はビル・ゲイツ。契約するのに個人名じゃあんまりだと思ってテキトーにつけた会社の名前が『マイクロソフト』…」

「ウインドウズじゃん!?じゃ、先生、もしかしてマイクロソフトってもともとはアルバカーキーの会社だったの?」

「ようやく気づいたか…」

「ウソとハッタリで出来たような会社じゃん…って、フザけてる。」

中梅煋次朗は真っ赤なタラコ唇の間から、小学6年生のルートビール臭いゲップを吐いた。

 

「なヵ、これって牢屋か何かですか?」

中梅たちは正面からではなく、すぐ脇の道から建物正面エントランスへ滑り込んだので、白く太い窓枠とリベットの浮き出た無粋な正面の鉄扉に圧倒されて言った。薄汚れたスモーキー・ベージュのつるんとした何の装飾も無い、のっぺりとカドを丸くした平べったい建物にほんのいくつか窓枠が穿たれている。

「あなた様がた、建物の横から来たから、これが何かわからないのよ。正面手前にちゃんと看板があるでしょ?何ていう建物なのか読んできてごらん」

ルート66を左折したとば口に、低層のメキシカンモニュメントな低い門柱があって、クリーム色の地に真っ赤なペンキでUNIVERSITY OF NEW MEXICO と書き抜かれてあった。彼らはそれを見てからテスラのドライバーに「後でピックアップするから建物を見ておいで」と言われ下車してまっすぐに歩いてきた。大学構内には同じプエブロリバイバルのビルが立ち並んでいたので、小学生にもこれがこの大学の建物だとはわかっていたのだが、目の前に建つものは貧弱なユッカの植生が飾り程度に生えている花壇を擁してとても古ぼけくたびれて見えた。

男の子らはイトランの芳香の立つ熱気に充満した構内のコンクリートの小路を20メートルばかり折り返して戻り、

「”カールイスル”ジムって書いてあった。ジムって体育館かよ。」

あまりの炎熱に丘村虎夢が夏バテしたジャックラッセルテリアか何かのように口を半開きにしながら、吐き捨てるように言った。指揮者は少しズッコケて呆れかえりながら、

「虎夢クン、あなたいつも鉄分多めですとかなんとか自慢してるくせに、あれを”カールイスル”って読んだか。はぁ。」

「いや、オレはあくまでもヒガシの近郊型がメインの小鉄でして…」

「丘村っち、『東』って?」

「中梅君、東ってJR東日本のコトでしょう?そんなことより先生が言いたいのは、近郊型追っかけがメインのアナタがISLEをイスレと読むとは…。」

「先生ぃ、それロングシート以外の場合、ISLEは『アイル』って読んで、『通路側』って意味っすよ!モハ153とか113系じゃジョーシキじゃないすか?」

「じゃ、この体育館の名前、”カールイスル”ってのはオカシイでしょ。今から100年前ぐらいにできたアメリカの歴史登録遺産になってるぐらいの建築物ですよ。なんて読むべき?」

「カールアイル?」

「リエゾンするのよ。正式にはカーライルと読みます。」

団員達には歴史登録遺産と言われてもピンと来ない。砂漠の青い空の下に押しつぶされそうに在るだけの日焼けたこげ茶色の汚らしい外見の建物で、しかもどこからどう見ても体育館には見えないメキシコの田舎町の土レンガで出来た窓の少ない狭苦しそうな施設だった。

「んで、何で俺らはここに居るんですか?」

第二次世界大終結およそ3年後の1948年11月4日、当時ニューメキシコ大学の持っていた一番大きなこの体育館で、演奏会が行われた。

カート・フレデリック指揮、アルバカーキ市民楽団の演奏で、一線譜へ音高を詳細に書き込まれたナレーションを担当したのはシャーマン・スミスという男だった。市民楽団と言っても、内実はロータリークラブが作った大学生やアマチュア音楽家メインの楽団で、指揮者もナレーターもニューメキシコ大学の教員。だが、指揮者の本名はクルト・フックスベルグといい、シェーンベルクと同じウイーンで生まれ育つ。母親はアウシュビッツで殺され、父もユダヤ人コミュニティーで働いていた。シェーンベルク同様、親族は殺されアメリカに逃れ大学の音楽教員をしていたのである。作曲の委嘱をしたものの、クーセビツキー財団が稿料の支払いを渋り初演が遅れ、おそらく気をもんでいたシェーンベルクに彼はラブレターを書き、「セッティングは全てこちらでやるから、曲の初演をさせてもらえないか?」と頼んでいる。金や栄誉目当ての興行でないことは明らかだった。

初演が行われたカーライル体育館のスパニッシュ・ゲートのあるメインエンタランスで『ワルシャワの生き残り』をアカペラで歌ってみないかという指揮者の大胆な勧めに、少年たちは一人も首を縦に振らなかった。

「先生ぃ、80年くらい前に何でアルバカーキなんかで『ワルシャワの生き残り』の初演をする必要があったんですか?ワルシャワは焼け野原だったかもしれないけど、LAやボストンやニューヨークの方が良かったんじゃ?だいいち、何で俺らの旅行の最終目的地がアルバカーキなんでしょ?ってコトもある。」

指揮者は何かに深く納得して肯首した。

「じゃ、次のところに行きましょ。」

「…まさか、タコベルじゃないでしょうね?」

「まさかぁ、バーキンだろ?やぱ。」

 

彼らは再びテスラのピックアップを受け、ルート66を西進してから国立原子力研究所でリトルボーイとファットマン(のレプリカ)を見せられたあと、空軍基地職員だという男のバカでかいランドクルーザーに押し込まれて、タンブルウィードやクレオソートやユッカしか生えていない砂漠の荒野の真っただ中へと繰り出して行った。タコベルのガカモレ&ハラぺニョたっぷりナチョス付き5レイヤーbeefブリトーやバーキンのオニオンリングとベーコン&スイスローヤルクリスピーチキンバーガーといったものは、ニューメキシコ州中央部の海抜1500メートル都市の南東部郊外、バカみたいな好晴天の荒涼とした景色の中、もはや実態も香りも色彩すらも無い儚いゆめ幻と化していた。

 

I cannot remember everything. I must have been unconscious most of the time.

I remember only the grandiose moment when they all started to sing, as if prearranged, the old prayer they had neglected for so many years – the forgotten creed!

But I have no recollection how I got underground to live in the sewers of Warsaw for so long a time.

何もかもが思い出せない。なんときか、私は前後不覚で喪心していたのか。

記憶にあるのは、あたかも予定調和ともいえる幾年月も記憶から漏れていた古き祈り、畢竟忘れられし信仰を皆が謡いはじめる荘厳の刹那!

だが、いかにして、ワルシャワの汚水に浸かりどれほどの長の日々、地下下水溝に潜んでいたのかさえ失念しかけている。

 

『ワルシャワの生き残り』ナレーションのキャスティングには時間も手間も要した。

地のテキストの英語の部分と、ユダヤ人を処分しようとナチスの軍曹が狂気のままに命令を叫びまくるドイツ語の部分で構成されている。

団員たちは「ナレーターは英語の得意な子が選抜されるだろう」と単純に思っていたが、クライアントからのたっての希望は、「少年の精悍な声でドイツ語の命令文を飛ばす凄まじい恐怖の生地獄」であり、カクカクしたドイツ語を語気強く一気にまくしたてられる活舌の良さが第一に求められた。この要求は一連の録音レパートリーの中で唯一、まったくロマンチックでもエロティックでもない、オーストリア訛の無いドイツ語を早いテンポで語気強く乱暴に発し怒鳴り散らすという、あまりシェーンベルクの曲らしくない要求だった。獨協中学を受験するからと、どの程度なのかドイツ語を勉強しているらしき医者の息子が一人2メゾにいるにはいたが、彼の声は星の王子さまも顔負けの愛くるしくキュートなもので、ホロコースト演目に適しているとは言い難かった。曲はコンテンツのアルバムの最終曲として配布される事が最初から決まっており、キャスティングの遅れも「まあ、最後の曲なので仕方ないか」という指導者たちのノリで、当初後回しにされていた。いつまでたっても担当候補者の人選がはじまらない『…生き残り』の扱いを不審に思ったのか、春休みを終えて合唱団練習場に「戻って」きた少年たちは、5線譜ホワイトボードに今年の合唱団の目標をグリーンのペンで書いていた指導者の背中を取り囲んで質問をぶつけた。

「先生ぃ、ワルシャワ何とかって曲だけ、なヵ、トクベツなのはなぜでしょう?」

「先生は別に特別じゃないと思ってるけど?」

一番右わきの際で、ホワイトボードに書かれた文字をこそぎ取らんばかりの卑近へ薬指の腹を滑らせていた相模(弟)がぼそりと

「曲、最後が変なんですよ。第一、英語が文字化けしちゃってる。最後の合唱のとこがね…」

配布だけは済んでいる該当の楽譜に言及した。春霞のような男の子の指でホワイトボードマーカーの文字が消されないかヒヤヒヤする。

「譜読みやってないから、知らなかったよね。あれ、ヘブライ語をローマ字で表したモノです。相模君、楽譜最後まで読んでて頼もしいわね。『…生き残り』はアルバムの最後の曲にするつもり。その最後の部分だから、一番大切だね。」

「ヘブライ語って?」

ここで指揮者は内心、オイオイ(^_^;)\(・_・) と思ったが、

「ユダヤ人の言葉だね。」と答えておいた。

少年はそれでも「何でこの曲がラスト? つーか、アルバムコンテンツの最後に?」となかなか骨のある質問をした。

「シェーンベルクのね、最後の、最後の頃の有名な作品なの。このころはもう歳とって目がすごく悪くなっちゃって、A3ぐらいの大きな紙に、線の幅が5ミリぐらいもある「こどものバイエル」の上巻みたいなビッグな五線譜を書いてもらって、そこに作曲してたんですって。すごいね。」

「ユダヤ人だったから?」

「執念で10日間ぐらいで作曲したらしいよ。シェーンベルクさんは自分の親類とか知り合いをみんなホロコーストで残忍に殺されてて、それを移住していたアメリカで2-3年経ってからようやく人づてに聞いて怒り心頭でこれを作曲したって話です。」

「それが最後だなんてかわいそう。」

「そうだね。相模っち、キリッとした声に似合わず心優しいわね。」

4年生の頃は未だ「トッぽい兄ちゃん」という印象だった子だが、高学年になって脚も長くスラリと伸び、ソフトアシメの髪をフッとゆすってMCを語るようなステキな男の子に成長した。

「まぁ、顔もルックスも優しくてイケメンだってよく言われます。アンパンマン少年合唱団には負けますケド。」

指揮者は内心、「調子に乗るな!」とは思ったが、ヒラメキで相模リヒトを『ワルシャワの生き残り』のナレーターとしてうまく鍛えられそうだと直感した。合唱部分は選抜レコーディングキャストが総勢で担当することが最初から決まっている。

 

アルバカーキのサウス・イースト区はどこへ行ってもどの方角を目指しても「ROAD CLOSED」という看板のかかった赤い縞模様の車止めか、もっと多いのは何も書かれていない立ち入りを阻むゲートが道の突端と言えるところにあった。そこから先はもはや「道」「通路」と言えるものは無い荒涼とした原野で、運良く小さい石ころだらけの小径が繋がっていれば木製看板にハイカー・ピクトグラムが添えられたトレイル・ヘッドの入り口であることは子供にもよくわかった。人々はそこから、何が楽しいのか目の前に立ち上がるサンディアピークという立山剱岳ぐらいの高さの峰へ連れ立って登ってゆくのだった。ただ、この旅の最終地点になるはずのABQアルバカーキ空港以南の広大な地域だけが違っていた。

目立たぬよう、だが誰が見ても威圧感と異常を感じさせるような無機質な鉄柵が、彼らの行手を阻んでいたのだった。

 

The day began as usual: Reveille when it still was dark. "Get out!" Whether you slept or whether worries kept you awake the whole night. You had been separated from your children, from your wife, from your parents. You don't know what happened to them … How could you sleep?

The trumpets again – "Get out! The sergeant will be furious!" They came out; some very slowly, the old ones, the sick ones; some with nervous agility. They fear the sergeant. They hurry as much as they can. In vain! Much too much noise, much too much commotion! And not fast enough! The Feldwebel shouts: "Achtung! Stilljestanden![4] Na wird's mal! Oder soll ich mit dem Jewehrkolben nachhelfen? Na jut; wenn ihrs durchaus haben wollt!" ("Attention! Stand still! How about it, or should I help you along with the butt of my rifle? Oh well, if you really want to have it!")

いつものように日が始まった: 朝まだき暗い刻。

「出ろっ!」 

眠ったのか、それとも不吉に苛まれ一晩中起きていたのか。子からも、妻からも、親からも引き離されたまま、彼らに何が起こったのかさえも知らされず…如何にして眠りをむさぼれようというのだろうか?

トランペットの鼓吹– 「出ろっ! 軍曹さまが、おカンムリだ!」

彼らが姿をあらわす;とても鈍重な者、年老いた者、病人、機敏でナーバスな者もいた。軍曹を畏怖している。皆、急いている。徒らに!おびただしいノイズ、おびただしい喧噪。こんなんじゃ、生ぬるい!

軍曹の咆哮:「"Achtung! Stilljestanden! Na wird's mal! Oder soll ich mit dem Jewehrkolben nachhelfen? Na jut; wenn ihrs durchaus haben wollt! (意味:気を付けぃ! 動くな! さもなくば台尻で激痛をお見舞いしてやるっ? 欲しいか?!」)

 

はるかサンディア山脈の峰々の稜線に沿って、食べ残したとろろのように千切れて浮かぶ積雲。だが、それよりも上は、天井に傘のような熱線を放つ太陽系の恒星が座する位置まで、均一にゼニスブルーの成層圏が広がっている。

その山脈の見えない麓の線まで、日本人の感覚で形容すれば「枯れた草木」が一面黄土色の砂地の大地を覆い尽くしているだけの死の世界だ。だが、眩しさを堪えてよく見ると、あちこちに何かの計画で掘り起こされた土砂が茶色く均され覆土されていたり、どこか秘密めいた場所へ繋ぐために打ち捨てられた道の様相で作られた徹底した直線の暴露の道筋が走っていることも分かる。かつて、遠い昔、射爆場か何かに使われていたらしいということが感知できた。

少年たちは炎熱にやられていたこともあるのだが、何か不穏なものを感じて言葉少なになり始めていた。

彼らの一行はわざわざルイジアナ大通りを南下して、横断する通りの東の半欠けに折れた後、運転手がフロントガラスへよく見えるよう何かのカードを窓枠に引っ掛けるよう掲出すると、ギブソン・ゲートを真正面から進んで基地に入った。

U.S.エアフォース。カートランド・エア・フォース・ベース

中梅はプエブロ漆喰色の大きな道標に、鄙びた地の色とは不釣り合いなスモークシルバーの堅いフォントで星のマークとともに穿たれている文字を読んだ。ドライバーは、彼らに基地のほぼ正面から進入することを見せたいと思ったに違いない。

「何があるんですか?」

相模リヒトが尋ねた。

「さあ、何でしょうね?」

指揮者は見え透いた口調で答えた。

彼らは右折の上さらに南下し、先ほどサンディア山脈までの大地に広がる途方も無い荒野とあまり変わらない場所をぐちゃぐちゃと通り抜けた。途中で運転手が減速し(だが、決して停車しなかった)、周囲を一応確認しながら口を開いた。

「決して車の外に出てはいけません。絶対に。さもなくば

彼らは、こういう警告を日本では受けたことがなかったのでいささか当惑し、

「どうなるんですか?」

誰とも無く問うた。

「発砲を受け、射殺されます。」

アオケン少年だけが「はい、わかりました。」と形式的な返答をしたが、他の誰も言葉を発しなかった。

 

The sergeant and his subordinates hit everyone: young or old, (strong or sick), guilty or innocent … .

It was painful to hear them groaning and moaning.

I heard it though I had been hit very hard, so hard that I could not help falling down. We all on the ground who could not stand up were then beaten over the head …

軍曹とその部下たちは皆を殴打した: 若者も年寄りも、(健常者も病の者も)、原罪あるが無かろうが….

沈痛極まりない彼らの呻き、嗚咽。

昏倒の末にさえ耳に届いた。

起立することも能わず、頭蓋を殴打された。

 

「 "Abzählen!!" , ”Achtung!!!" , "Rascher! Nochmals von vorn anfange! In einer Minute will ich wissen, wieviele ich zur Gaskammer abliefere! Abzählen!!!!"(さっさとやれ!やり直しっ!早くしろ! もう一度、最初からだ! 何匹ガス室にぶち込めるかとっとと知りたい! 数えろっ!!)」

指導者の刹那の勘は的中し、相模リヒトのドイツ語の狂気の命令の叫び声は、他のどの代役の少年合唱団員にも真似できなかった。早口で、捲し立てるように、凶暴に声を荒げて叫びたてるナレーションは確かに小学6年生の少年の声ではあったが、ヒトラーユーゲントものけぞる末期的なものになっていた。指導者たちですらちょっと怯んでしまうような恐ろしさを感じさせた。レコーディング・プロデューサーの目論見は見事に結実したことになる。ご本人は「楽譜に書いてある通りに言ってるだけです。シュプレヒ・ゲザングなんで。」と、こともなげに言っていた。もちろん、自分の叫んでいる「ガスカンマー」というのが何であったのかも知っているし、この命令文を投げている対象が何なのかも知っていた。男の子はただ、聞いてくれる人に誠心誠意音楽を届けるという仕事を6年間弱も続けてきた経験から、「無慈悲で人の皮をかぶった悪魔のようなナチス軍曹」を少年の声を駆使して真剣に演じているのだった。

「先生ぃ、俺らは、ナンでアルバカ村の大学のショボい体育館で『ワルシャワの生き残り』の初演があったのか、まだ説明してもらってません!!」

降車すれば無条件に射殺されるらしい車中、中梅煋次朗は彼らしい軽口で引率教師に質問を投げた。

 

そして彼らはついに、基地の中でありながら更にものものしい銀色の鉄柵で区切られた広大な一角へと達した。

これまで飽きるほど見てきたニューメキシコの黄土色の大地であるのは変わりなかったが、その造形はいかにも異常で人々が知る「少年合唱団」の美麗さとは全く縁のないものだった。

「お墓…ですか?」

中梅は思わず問うた。

少年たちが車中から見渡す限り、地面に同じくらいの背丈の子供をゴロンと置いて、その上に石灰質のアルカリ土壌を被せて盛り上げたという形態のものが累々、何百と規則正しく夥しい数で広がっていた。合唱団の少年たちはちょっと躊躇しながら、「これ、何なんですか?」と尋ねた。

合唱団指導者は責任を転嫁するように、案内役の運転手に問いを振った。

「…nuke」

男の答えは単音節ほどの短いものだった。

彼らは日本の小学校で、この英単語を習っていなかった。『ニューホライズン』にも『サンシャイン』にも『ジュニア・トータル』にも『クラウンJr.』や『ワンワールド』にも『ヒア・ウィー・ゴー』や『ブルースカイ』にも、”ニューク”という語彙は載っていなかった。

ただ、こうした時事学習を学校の自由研究の時間で取り組んでいた加賀協太朗だけが、薄紫のプチプチの頬や太ももを震わせてぎゅう詰めの車内の真ん中で震え始めた。こんな砂漠の真ん中でさえ嫌な唾液に引っ付いた上下の口唇をこじ開けるがごとくぼそりと言った。

「…核爆弾…ですか??…これ全部?」

彼らは何百発という大量殺戮兵器の眠る只中をゆっくりと通り過ぎていたのだ。

 

I must have been unconscious. The next thing I heard was a soldier saying: "They are all dead!"

Whereupon the sergeant ordered to do away with us.

There I lay aside half conscious. It had become very still – fear and pain. Then I heard the sergeant shouting: "Abzählen!" 

They start slowly and irregularly: one, two, three, four – "Achtung!" The sergeant shouted again, "Rascher! Nochmals von vorn anfange! In einer Minute will ich wissen, wieviele ich zur Gaskammer abliefere! Abzählen!" ("Faster! Once more, start from the beginning! In one minute I want to know how many I am going to send off to the gas chamber! Count off!")

気を失ったに違いない。

次に聞こえたのは兵士の言葉:「こいつら、まるごとオシャカであります!」

軍曹は命じた。「こいつらを片付けろ!」

半分意識を失って横たわっていた。恐怖と痛みで何もかも無くなった。

それから軍曹の叫喚:

「Abzählen!」(数えろっ!)

始めは緩慢に不規則に:

いち、にい、さんっ、しい

「Achtung!」(ぼやぼやすんな!)また軍曹の叫び

「Rascher! Nochmals von vorn anfange! In einer Minute will ich wissen, wieviele ich zur Gaskammer abliefere! Abzählen!」 (さっさとやれ!やり直しっ!早くしろ! もう一度、最初からだ! 何匹ガス室にぶち込めるかとっとと知りたい! 数えろっ!」)

 

彼らはさらに基地を貫通するペンシルバニア通りを南進し、途中から細道に入って、なんだか胡散臭い施設のビルの前を通り過ぎた、一般人の入れないところだが、今度ははっきりと施設名の表示があった

 

Kirtland Underground Munitions Storage Center

 

少年たちはもちろん「ミュニーション」という単語も知らなかった。「カートランド地下弾薬格納施設」…名前は単純明快だが、少年たちはこれがアメリカ空軍の世界攻撃司令部の施設で、下階層には3万平方メートルの地下室にわたって3000発の核爆弾が収められるという説明を受けた。「先生、その通訳って確かなんですよね?」「間違ってないですよね?」少年たちは言い寄らんばかりに指揮者を問い詰めた。彼らは合衆国の中で、いや、おそらく世界中で最も危険極まりない核爆弾の倉庫の際にいるのだった。

彼らのランドクルーザーは空軍基地の道路にのったままアルバカーキ国際空港の搭乗者エントランスへ横付けしようとスピードを早めはじめた。空港の滑走路はもともと空軍のもので、敷地の中だったからである。道の両側にクレオソートやユッカの見慣れた植生が流れていくのを見ながら、丘村虎夢がフッと

「先生ぃ、誰かが言ってたみたく、俺らは、何でアルバカーキの大学のあの体育館で『ワルシャワの生き残り』の初演が行われたのか、まだ説明してもらってませんよ。」と思い出したように言った。

空軍基地だ。滑走路ほか空港の諸施設は思いのほか近くにあって、かれらの行く道に入り組んで建っている。

「答えは、君たちがこれから飛行機に乗る空港の重要な役割よ。」

指揮者は左手にニューメキシコの野放図な陽光を受けてきつく発熱する26番滑走路の誘導路を眺めやって言った。

「この空港が何だっていうんですか?」

「君たちがアルバカーキの街に入るとき、大きな河を渡ったでしょ?覚えてる?」

子供達は記憶にはあったが印象として強く残しているものでは無かった。

「リオ・グランデという河です。」

親戚の半分がブラジル人というアオケン少年が即座に

「日本語で言うと、『大川』っていう名前の河ですね。」と応じた。

「その河を遡って、ちょっと北へ行ったところのメサに、ロス・アラモスというところがある。アメリカ人の感覚なら、車で行ってもすぐという感じの場所。1942年、今から85年くらい前、このメサを立ち入り禁止にして物理学者や軍事関係者を集め、研究施設を作って『マンハッタン計画』という極秘の計画が始まった。」

「何の計画ですか?」

「何だと思う?」

彼らは今見てきたものを反芻して、すぐに

「核兵器ですか?」とあっさり回答した。

「その研究所で、世界で一番最初に作られた核兵器は、これからみんなが行くアルバカーキ空港から輸送機に乗せられ、最終的にテニアン島という、サイパンの南の島に運ばれた。それはさらに1945年8月6日、エノラ・ゲイという名前の飛行機に積み込まれ…」

「先生ぃ、その飛行機ってまさか、その日の朝、広島へ飛んで来るんじゃ…」

合唱団の子供達は、爆弾に格納されたわずか800グラム強のウラン235が、めくるめくとりかえしのつかない核分裂熱核反応を繰り返しつつ、一つの都市とおびただしい人々を薙ぎ倒してゆく殺戮の光景をはっきりと脳裏に思い描き、再び首を揺すって震撼した。そして、嫌な顔をする案内役のドライバーに頼み込んで滑走路の延伸した位置にあるペンシルバニア・ストリート(名前はストリートだが周囲には何も無い)の真ん中の路肩に7分間だけ車を停めさせ、降車して誰に指図されるともなく少人数の隊列を組んだ。彼らは、サンディアピークの頂に背を向け、ランウェイ26の方角をきつく眺めやった。そして相模リヒトが意を決し進み出て、たちどころにナレーションの声をクレオソート臭い灼熱の荒地の宙空へ語気強く放った。

 

They began again, first slowly: one, two, three, four, became faster and faster, so fast that it finally sounded like a stampede of wild horses, and (all) of a sudden, in the middle of it, they began singing the Shema Yisrael.

 

“Shema Yisrael, Adonai Eloheinu, Adonai Echad.”

 

再びの数改め。最初はゆっくりと、1,2,3,4…

速くなり、そして速くなり、ついに野生馬の群れのごときスピードで!

そのただ中、彼らは卒然、『聞け、イスラエルよ』を唱え始めたのだ!

 

(合唱)聞け、イスラエルよ、主はわれらが神、主は唯一なり。

心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして汝が神、主を愛せよ。

さすれば今日命ずこの言葉こそ、心に満つ。

汝らそれらを子らに教え、坐するときも、道ゆくときも、伏すときも、また立ちゆくときもそれらを語り継ぐべし。

汝はそれをしるしとして腕に結い、目の間に想起させしめん。

またそれを汝が家の門辺に書き記すべし。

 

 

 

(登場する施設等はフィクションです)