ジョリーです
今をときめく漫才師も
若手時代があって
泥水をすすって
貧困生活して
成功者になってゆく
みたいなサクセスストーリー
そういった動画を見ていたら
ふと自分の若いころを思い起こしていた

会社で僕と同年齢の人は私の正体を
知ってるかもしれない
今でいう
いわゆる
Theクズ男だったと思う

30年近く前
オウム真理教の
一斉捜索のニュースが流れていた
丁度自分は研修中の身だったけど
同じ課の先輩に連れられ
自分は雀荘にいた
最初は麻雀のルール知らないと嘘をついて
断ろうかと思ったんだけど
みな優しそうな人だったので
正直に参加したのは覚えている
研修中は
バイト代をもらいながら
今日はスタジオ
今日は印刷
今日は校正
今日は台割を折る
みたいな
部署をいくつか回っていた
様な気がする
今は東京だ大阪だ工場だとわかれていますが
当時は印刷工場も一階にあったし
本社完結でもっとアットホームだった
(僕たちより年配の方はもっとアットホームだった笑)
結婚する人がいたらカンパ
火事で災難に遭われた人にもカンパ
封筒を抱えて事務の女性が回ってきてた
のを逃げ回っていた(笑)


定時時間も過ぎて
仕事が終わればだいたい
雀荘かパチンコ屋(笑)
雀荘は負けても仲間うちなので
ジュース代が行き来するような
大した額ではないのだが
パチンコ・スロットは
デッドオアアライブ
まさに生きるか死ぬか(笑)

当時のスロットは
爆発したら止まらない機種もあって
裏ものといっていたかな
壊れたかのように
出っぱなしで一夜で20万稼げるような台があって
勝てば
あさくま(ステーキ屋さん)で
先輩におごって
その足でゲオに行って
プレステ1とかドリームキャストを
プレステ1!ドリームキャスト!!!(懐かしい)
ソフトとともに大人買い
両手に大袋抱えてたなぁ~

でも
ゆうてパチプロじゃないので
良くて

二勝八敗くらいの勝率
雪だるま式に増える負債(笑)
研修が終わり
四月から正社員となったが

入社一年目は
給料日の3日後は
もう食糧難
ギャンブルで
けちょんけちょんにやられ
一円も博打に使えない状態・・・
なのに一発逆転を信じて
打っていくが

出ないときはとことん出ない
何度もUFJ銀行に行き
5万・3万と引き出し
どんどん負けが込んでゆく
そうすると
あー
今日の夕飯は
台所の引き出しにある
シーチキンだな~とか
まだ負けてゆくと
あー今日の夕飯は
テーブルにある
ポテチ半袋だな~
いやポテチ半袋っ!!!

どんどん夕飯のグレードが下がってゆく笑
最後は麩を酢醤油で食べたっけ(笑)

ギャンブル依存症なのかと
言われればそこまで
深刻ではなかったけど
深刻なのは栄養が足りていなかった
知る人ぞ知る
一日一食
いおりがディナーと皆に言っていたし(笑)

まぁしんどくても
全責任は自分に振りかかってくるから
扶養がいないって~のが
一番デカかったんだろうなぁ

更生できた理由は
財布の番人(妻)ができたことなのかなぁ
学生時代から

お付き合いさせていただき
餓死二歩前くらいに
ご飯を作りに来てくれたり
飯おごってもらったり

そう思うと
ジョリーの若い頃って
とんでもないクズ男だったなぁ
でも
娘にはクズ男を家に
連れてこられたくないので
こんな過去絶対言えない