あおいです。
*このブログ記事は過去の話です。
基本的に解決していない問題ばかりです。
大変モヤモヤされることとは存じますが、息子(アキトくん(仮))のような小学生がどのようなトラブルに遭ってしまうのかを書いています。*
小学4年生の話が続きます。
息子の担任が、平たく言えば無力化されて。
そして、隣のクラスの担任は、放任主義の権化でした。
隣の担任は、独特の教育観をお持ちで、お話を聞けば「ごもっとも」と思える話をされる方でした。
子どもの得意を伸ばしたい、勉強だけが全てではない。
だから、宿題は出さないし、運動の課題も設けない。
勉強が好きな子は、自分で自主学習に取り組めばいい、運動が得意な子はスポーツクラブに入って才能を伸ばせばいい。
学校の授業科目になくたって、コミュニケーション能力が高い子も立派な才能の持ち主だし、人は何かしら素敵領域を持っている。
子ども同士でぶつかり合うのも、先の見えない世の中を渡っていくためには大切なこと。
子どもには生きる力がある!
…と、母ほどの年齢の先生から言われて、即時に反論できる人が、彼女のクラスの保護者にはいませんでした。
私も、即時反論できる自信はないです。
個々の才能を伸ばすために、先生が見守り、導く、という話なら、きっと問題はなかったんでしょう。
しかし、隣の担任は、あまりにも自主性に任せすぎたし、そのやり方は、息子の学年の児童にはレベルが高かったかな、と思います。
息子のクラスでは宿題を出していましたが、どうして自分たちだけ…という不満が多くて、やってこない子も当然のようにいました。
このような状況ではありましたが、学級崩壊に陥っていたかというと、違うかな、と思います。
何だか不思議ですね。
先生方が子どもに求めるレベルが低かったので、荒れるほどの葛藤が生まれなかったのでしょうか。
参観日はとても静かでしたが、授業についていけない子の存在は教室の後ろから眺めているだけでも一目瞭然でした。
鉛筆を持たなかったり、逆に鉛筆でノートに落書きしていたり…静かだけれど、授業には参加していませんでした。
授業を静かに受けることと引き換えに、学力に言及されないという取引でもあったのかと思うほどに。
息子の担任は、それでも、隣の担任よりは熱意があったと思いますが、次第に保護者との期日付きの約束を守れなくなってきました。
プリント配布のお願いも、アンケート回収のお願いも、先生方が懇親会に出席できるかどうかの確認も…安請け合いをしては約束を守れない、が繰り返されるようになりました。
このルーズな感じが息子にはちょうど良かったようですが、クラス委員の私にはつらかった。
私自身も未熟であり、担任の先生を励まし続けることは出来ませんでした。
先生のことを、責めもしなかったけれども、アテにすることも無くなりました。
ただ、穏やかな感じに見せかけて接するのが精一杯でした。
翌年、息子の担任は講師待遇で別の小学校へ異動となり、隣の担任は情緒支援級の担任になりました。