息子との会話で気付いたこと | マイペースな日々

マイペースな日々

『中学生 いじめと学級崩壊』というタイトルを変更しました。
息子は2024年に大学生になりました。

あおいです。

*このブログ記事は過去の話です。
基本的に解決していない問題ばかりです。
大変モヤモヤされることとは存じますが、息子(アキトくん(仮))のような小学生がどのようなトラブルに遭ってしまうのかを書いています。*

子どもたちが問題行動をしている間、息子は何をしているのでしょうか。

もちろん、一緒になって騒ぎません。
例えば、他の子たちが、お店でかくれんぼをし始めると、ようやく取り上げられていたゲームで遊ぶことができるので、一人でそれに興じていました。

まずは、息子の、その無責任な態度を怒ることになります。
お店の応接室で遊ぶということは、この場所の管理人は息子であるということです。
管理が出来ないなら、遊ばせるわけにはいかない、という話も散々してきました。

でも、息子の返答はいつも同じ。
「僕の言うことなんて、誰も聞いてくれないから、意味ないと思う」

実際に、息子は、私に怒られ続けてからは「遊びに来ていいよ」なんてことは、Pくんにすら言っていないと主張しました。
親の都合で出かけることが多いことも、そもそも親が子どもたちを歓迎していないことも、場合によっては親がキレて怒ると思うということすらも、友達とやらに伝えていました。

それを「あっそう、別にどうでもいーから」と無視して遊びに来るそうなのです。
じゃあ、遊ばないって追い返してくれよ、となると、そんなことをしたら学校生活が大変になってしまう、と拒否してきました。
優等生の多くは息子を無視するし、ヤンチャな子は意地悪をしてきます。
ゲーム好きな子たちは、無害ではありませんが、学校という空間では(たまに)息子の味方をしてくれる頼もしい存在だということでした。

場所とゲームの提供は、息子にとっての処世術でもあるのです。
「僕は、楽しいと思えることもあるし、追い返せない。イヤで困っているのなら、お母さんが追い返せばいいよ、僕はそういうことも有り得るってことを伝えているから、気にしない」

当時の息子にとって、友達と言うのはその程度のものでした。
相手が自分を尊重してくれなくても、少し悲しいだけで、特に問題だとは思わず。
逆に、息子自身が、相手を大切に思い、庇うわけでもありません。

「友達」という言葉の意味が、私と息子とで大きく違うということを知りました。
そこには、もう少し愛着のようなものがあるのだと思っていました。

イヤだ、困る、というのは、私自身の感情であることに、間違いはありません。
相手の子に文句を言って、それが子ども経由で保護者に伝わると面倒だな、と思っていることも事実です。

それでも、息子のため、あまり子どもたちにイヤなことを言ってもな、と思っていたのも本当だし、一方で、息子のため、色々と言ってやりたいのも本当でした。

が、当の息子本人から「今のお母さんの感情は、お母さん自身のものだから、好きにしてください」と言われてしまうとは………
そうなのです、もう、私自身が、遊びに来る子どもたちの存在を「迷惑だなぁ」と心底思っているんです。

「迷惑だなぁ」と言えずにイライラして、息子に「こうして欲しい」と訴えるのは、間違いだと思いました。
まさにそれは、祖父母世代がやっていることと同じであることに、気が付きました。