あおいです。
息子の特性もあるし、担任の先生には味方になって欲しいし、平穏に暮らしたい。
社会に出れば、親が守ってやれない場面ばっかりになるのだし、今のうちに対処方法を身に着けてもらいたい。
息子が「学校には言わないで」というなら、それを尊重したいと思うし、出来ることなら目立ちたくもない。
…その気持ちが無くなったわけではありません。
ブログを書いていなければ、多分、今も黙っていたと思います。
息子に降りかかるトラブルを、私自身も客観視できなかったろうと言えるからです。
トラブルの記録を取った方がいい、と勧めてくれたのもアイさんでした。
校長や教育委員会と交渉するにあたって、重要になる資料だと教えてくれました。
当時の私は、担任の先生と協力していければ何とかなるんじゃないかと信じていたし、その時の担任には熱意とは別の謙虚さがあったと思います。
なので、記録は取ることにしましたが、それを使うことになるとは考えてもみませんでした。
でも、記録を取り続け、時系列に並べ、トラブルの発端と解決までを表にしていくと「とんでもないな」と気付くのです。
ここまで事態がこじれているのに、私も担任の先生も、よくぞここまで放置したなと思うのです。
特性があろうがなかろうが、シンプルにダメなものはダメだよね。
今のところ元気に学校に通えていても、シンプルにダメなものはダメって言ってもいいんだよね。
また、他の方からのメッセージでも「学校が信用できないなら、教育委員会の方が話が早いと思いますよ」と言われました。
「もしも学校と交渉してみて、それでも無理なら、教育委員会です」「それでもだめなら、他にも道はあります」「困っているなら手助けしたいです、応援しています」
どの意見も、耳に痛く、でも、大切で温かい言葉だと感じました。
そういうわけで。
夫に、申し訳ないけれど今後は担任の先生と交渉するのは辞めようと思う、と伝えました。
息子によく似ている夫は、やはり私とは考え方がまるで違います。
今降りかかるイジメや学級崩壊すら「地域外の学校へ行かなきゃって思う動機付けになって良かった!」と実に前向きです。
どんな反応が返ってきても、もう、私は「とりあえず学年主任の先生と面談」という線は譲るつもりはありませんでしたが、夫は「一生懸命、考えてくれたんだね、ありがとう、それでいいと思うよ」と肯定してくれました。
私の気持ちは落ち着きました。
翌朝、すぐに学校へ連絡することに決めたのです。