あおいです。
「僕は変人かもしれない」
ゴールデンウィーク明け頃から、息子がそう口にするようになりました。
「変人でいいじゃない。人からは理解されにくいけど、変人であることは将来の息子を助けてくれるかも」
「いや、そういうことじゃなくて」
聞けば、クラスに「変人」Eくんという子がいて、ものすごくクラスでも浮いている子らしいのです。
そのEくんと息子は仲良くなったのですが、その子から「俺とお前は変人仲間だよな」と言われたそうなのです。
「Eくんは小学校の頃からいじめられててね、誰からも好かれてないんだって言ってた」
「ふーん」
「お前もそうだろ? って言われたんだよね。違うよって答えたけど、僕が変人かもしれないのは本当かも」
息子に限らず、お父さんも、お父さんの兄弟たちも、息子の従兄たちも、小さな声で言うならお母さん自身も、変人かもしれないね、と答えました。
人からの好き嫌いは激しいけども、ちゃんと仲良い友達は出来るよ、心配しなくても大丈夫なんだよ。
Eくんと仲良しになれるといいね、きっと共感しあえる関係になれるよ。
そう言いながら、私の中には腹黒い感情もありました。
同じ小学校出身の子からの嫌がらせから逃げることが出来るかもしれないという期待です。
また、いじめられっ子ならばいじめてこないという思い込みが私にはあったのです。
何だろう、他人のことなら「そりゃそうでしょ」とピンとくることが、当事者になってしまうと分からなくなってしまう。
「変人同士、仲良くなれる」などというのは私のいい加減な思い込みでした。
そもそも「お前」と呼ぶのは無礼ではないの?
振り返れば色々と思うけども、息子の選んだ友達を否定することは、当時の私には出来ませんでした。
Eくんともっと仲良くなりたいと思った息子は、彼と同じクラブに入りましたが、お約束通り、これが息子を窮地に追い込むことになるのです。