山道でちょっとした駐車スペースがあり、その向こうが山の斜面、という所には、
たいてい道路からは見えませんが、その斜面にゴミがたくさん落ちています。
そこに車を停めた人がお弁当やペットボトル、さらに家庭ゴミを、
燃えるゴミと燃えないゴミに分けるのが面倒なのか、袋ごと投げ込んでいるのです。
いらなくなったタイヤや電化製品などもあります。
山の斜面の清掃活動では、転びそうになるとすぐに近くの木を掴むようにしています。
これはとても有効で、これまでずっと助けられてきました。
そんな有り難い木々達ですが、その木の根を張る土は汚染され、
木の根の間にまでカンやビンが入り込んでいます。
この木はどんな気持ちなのか、苦しくはないのか、などと思いながら、
根に挟まったゴミを引っ張り出してゆきます。
そういえば子どものころ、日本昔話で「聞き耳頭巾」というのがありました。
かぶると、動物や植物の話が分かるようになる、という頭巾です。
その頭巾をかぶれば、この木の話が聞けるのだろうかと、
たわいもない想像をしなが作業をします。
聞き耳頭巾があればこの上ない宝物だろうと思います。
でも、こうしてゴミを拾っていると、もしかしたら「聞き耳頭巾」は、
なにも特別なものではなく、誰もが持っている、自然ヘの思いやりの心ではないかと
思いました。
自然を汚さないことや、物や食べ物を大切にする勿体無い精神など、
これまでの自分の人生を振り返ると、多くの大切な宝物を失ってきたことが
分かり悔やまれます。
でももうこれからは、この「聞き耳頭巾」を 、ちゃんと忘れずにかぶって行きたいと思いました。
人が、良心という聞き耳頭巾をかぶり、
物言わぬものたちへの声を聞き取ろうとする姿勢が大事なのかもしれないと思いました。
