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着付け歴28年、着付け講師歴8年

葵桜®︎きもの着付け教室 代表 松嵜まゆみですsakura03

 

葵桜®は、心に花咲く®おけいこ教室として、

幸せな女性の生き方をトータルでサポートする着付け教室として、

着物×コーチング×ビジネスで、

「技術」はもちろんのこと、「在り方」や「活かし方」をお伝えすることで、

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こちらでは、レッスンの様子やプライベートなど、講師の日常を綴っています。 

 

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会社員時代のエピソード2

 

 

普通、こういうのは数日に分けて投稿すると思うのですが、

今、ビジネス講座を積極的に販売しているわけでもないし、

興味のある方だけ見てくれたら良いので、

全スト―リー一挙公開します・笑

 

ちなみにこの5件のブログ2時間くらいで一気に書いて、読み返してません・笑

 

 

 

これまでのストーリー

 

会社員時代(その1) がむしゃらだった正社員時代

 


京セラを1999年の6月に退職しました。

 

ちょうど、2000年問題というのが当時あって、

 

ちょっとケチったために(それくらい、昔はバイト数←容量当たりの費用がめっちゃ高かった)、

伝票を年月表示をyy/mm/dd(99,12,31)としていて、、

それが、2000年になると、00,12,31となり、ソートがおかしくなるから、

yyyy/mm/ddに伝票を全部作り変えないといけなかったんです。

 

 

入力するだけの立ち位置ならさほど困ることはなかったのだけど、

うちの部署では、伝票を設計したり、

ホストコンピュータのマクロをくんだりしていたので、

それはそれは、大掛かりな作業だったはず。

 

で、おそらく、年号変わる日は寝ずに働くことになるだろうと脅されてて、

単純にそれは嫌やなと思っていたことと、

 

1999年の7月に本社ビルが山科から竹田に変わるタイミングだったので、

 

新しいオフィスに自分の居場所を設けてもらいながらすぐに退職するのは迷惑だなと思い、

このタイミングで退職。

 

 

この時、1ヶ月間、毎晩送別会を部署の人がかわるがわるしてくれて、

これは事業部長クラスの扱いでした。

 

 

退社日には32人の女子全員から個人的にお花をもらい、

退職の挨拶も途切れず、待ってくれてた同期が怒ってたな・笑

 

 

そんなに惜しまれつつ辞めた理由は、

遠距離の彼氏が東京にいて(同期で東京配属)、

4年付き合ってて、年齢も25歳。

 

そろそろ将来のことも考えるけど、

そのその彼(N氏)と結婚するイメージがわかなかった。

 

 

一度、別れを切り出したけど、

「それなら自殺する」と言われ、それは怖すぎるので、別れず続いてたけど、

 

やっぱり結婚するイメージはわかなかったので、

同棲をして考えようと東京で就職活動。

 

 

その間は、東京を拠点にしながら、(カッコつけてみた笑)

半年間、国内外に毎月一箇所旅行に出かけ、

26歳で、全都道府県を制覇!

 

 

いうても、高校時代の大会とか合宿で

15県くらい行ってて、

 

会社員の全国行脚でも、20都道府県行って、

 

関東在住のN氏に関東周辺5県は連れて行ってもらっていたから、

 

残りは、

一人で九州半周して、

同期と四国一周して、

高校のチームメイトと東北行ったら制覇したくらいですが。

 

 

そんなこんこんなで、

就職活動しながら失業保険もらって生活をしてました。

 

そろそろ失業保険切れるし、

本気になって就職活動をしようと、一社目の面接。

 

 

そのころ、短大卒以上の募集がほとんどで、

電話で問い合わせした感じでは、高卒なんて相手にされない感じで、

「とりあえず、履歴書持ってきてください」と冷たく言われ、

 

面接当日、履歴書を出すと

「京セラ本社出身」というのを見て、

面接なしで制服の採寸がされたりもして、

 

ここでも「最終学歴京セラ」を痛感したのでありました。

 

 

で、親に「就職決まりそう」って報告すると、

一流企業でないと…と、許してくれず・・・

 

 

結局「それなら、派遣会社に登録して、一流企業に雇われるのがいいのでは?」と思いつつ、

失業手当の申請に京都に帰る。

 

 

そして、その電車の中で、上司(Yさん)と再会。

 

私の強運伝説はまだ終わってませんでした。

 

 

そのYさんは、

斜視でオペレーターを続けるのはしんどいと言うた時に、

新しい部署に転籍させてくれた人で、

 

 

20歳の時、失恋したって話したら、

「時間できたなら、コイ!」とボランティア活動に付き合わせされ、

 

毎週末Yさん家族とともにボランティア活動に勤しんでました。

(彼氏ができても遠距離だったから問題なく参加できてた・笑)

 

 

奥さんもお子さんも、家族の一員として仲良くしてくれて、

子どもが生まれたら家族で2チームに分かれて産院に来てくれたり、

 

最近だと、2年前に「どうせ旦那仕事で忙しいやろうから」

って、私と娘を別荘に招待してくださったり・・・

 

という人なのですが、(Yさんの説明長すぎるやろ・笑)

 

 

その電車で言われた一言。

 

「N氏を本社に異動させるから、内藤は京セラに戻ってこい」と。

 

 

で、「N氏が京都に来るなら東京行っても意味ないから京都に残りますけど、

京セラには戻りません。」と言いながら、京都の派遣会社に登録に行きます。

 

 

そしたら、京セラから分社したIT会社を案内され・・・

 

「試しに面談行ってみてください。嫌やったら断っていいから。」

と言われていったら、

 

面談相手の課長(Hさん)が京セラ時代の知り合い(一緒に合宿とか言ってた)

 

 

断るわけにもいかず、何の因果か、京セラに舞い戻ります。

 

それはそれは大歓迎してくださりました。


 

前評判がよかったこともあり、何の苦労もなく、そこでも特別扱いされて、

好き放題な派遣社員が生まれます。

 

 

「契約書に書いてないことをやれというなら、時給上げてください。」

というのを毎回派遣会社が要求してくれたので、どんどん時給が上がっていき・・・

 

 

そのうち、「あまりにも時給が上がりすぎるから社員になってくれ」と言われ、

 

「社員としてしばられるのは嫌だから、契約社員だったらいいですよ」

と直接契約に変更。

 

 

それでもやりたくない仕事はやらないし、

やりたい仕事だけをさせてもらうというぜいたくな日々でした。

 

 

そうそう、それで、私の都合で本社に異動させられたそのN氏は、

 

チャラ目の人だったので、まじめな人の集まりの本社では馴染めず・・・

私を恨むようになります(関係ないやん・笑)

 

 

で、二人の関係はぎくしゃくし、ほどなくしてお別れしました。

 

 

ちなみに、この頃まだ、夫とは出会っておらず。

(同じ会社ですが、出会うのはまだ少し先)

 

 

そこで(派遣先で)どんな仕事をしたか?というのはまだ書いてないのですが、

この章は裏ストーリーということで、

 

やめたきっかけと舞い戻ったきっかけだけを書き記しておきます。

 

 

 

着付けも人生も思いのままに

きものライフスタイルコーチ 松嵜まゆみ

 

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