~ 心に花を咲かせましょう ~ 葵桜きもの着付教室 まつさき まゆみ です。
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昨日に引き続き、時代祭りの話です。

昨日の「江戸時代の婦人行列」に引き続き、「吉野時代の中世婦人行列」編

時代祭は、平安遷都から1100年目を記念して、明治28年に、桓武天皇を祭神として平安神宮が造営され、

10月22日から3日間にわたって紀念祭が盛大に挙行されました。

 

そして、その翌年の明治29年から、毎年遷都の日にあたる10月22日に執り行われているそうです。

 

行列は、明治時代(1868年~1912年)から過去に遡って、延暦時代(782年~806年)までの千余年の文物風俗を模した行列でもって時代風俗行列が行われます。

 

というわけで、着付け講師目線で時代祭のご紹介。

「時代祭から学ぶ!苦手な歴史」(笑)

 

「吉野時代 中世婦人行列」編です。

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吉野時代って何年?って調べたけれど、よくわからない(汗)

 

行列の順番によると、鎌倉時代と室町時代の間でした。

 

当時の婦人行列の写真


◆大原女(おはらめ)
洛北・大原の女性は、大原女として、薪や炭などを頭に乗せて京の町へ行商に出ていた。
.

◆桂女(かつらめ) 
京都・桂の里に住むアユ売りの商人を指す。白い布を頭に巻いてアユやあめなどを売り歩いた。

巫女(みこ)の一種でもあり、婚礼や出産など、家の祝い事に訪れた。

 

◆淀君(よどぎみ)
1569-1615

豊臣秀吉の側室。母は信長の妹・お市の方。秀吉の子・秀頼を生み、秀吉の没後は秀頼を擁して大坂城で実権を握ったが、大坂夏の陣で落城の際、自刃した。
 

 

◆藤原為家の室(阿仏尼)

 

◆静御前(しずかごぜん)
源義経の側女。義経と吉野で別れた後、捕えられて鎌倉に送られ、源頼朝夫妻の前で義経恋慕の舞を演じた。後に、能の「吉野静」「二人静」などの題材となった。

 

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大原女にしろ、桂女にしろ、働く女性の着物の丈は短い!ということがおわかりいただけましたでしょうか?

 

 

余談ですが、淀君は舞妓さんがしておられたようで、

時代祭に参加していない舞妓さんが「同期~」っていうて写真撮撮影してはりました。

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私が見ていたのは、列が始まる手前だったので、リラックスされている様子も見れてお得でした。

(将軍さんが馬に乗って携帯で会話してはったりもして・笑)

 

この内容ではあまり着付け講師目線でもないので、お詫びに私の大原女姿を。

当時22歳。

時代衣裳の着付けの勉強をしていたときに、着せてもらいました。

 

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