内湖にすっくと立つ白鷺。
首をすくめて魚に狙いを定め、次の瞬間魚を銜えていました。
芭蕉の第五回目の大津滞在は、元禄三年三月中下旬の頃から九月末までの六か月余りと、長期にわたっています。引き続き、その滞在中の句から。
(30)わが宿は蚊の小さきを馳走かな 芭蕉
幻住庵を訪ねてきた金沢の秋之坊に、ここではせめて蚊の小さいことがもてなしだと言っています。芭蕉のユーモアが感じられる句です。
(31)やがて死ぬけしきは見えず蝉の声
幻住庵在中の作で、「無常迅速」と前書きした自筆の句切が伝っています。短命で「やがて死ぬ」と思えばこそ、生命の燃焼ともいうべき蝉の声に、感動を覚える芭蕉です。ところが、『おくのほそ道』所収の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」では、逆に、蝉の声に静寂感が感じられます。このふたつの対照的な感覚が、面白いと思いました。
(32)合歓の木の葉越しも厭へ星の影
夜空の牽牛星と織女星よ、合歓の木の葉越しであっても、このひとときを大切にしてください。この星の影には、二つの星の様々な思いが込められているのでしょう。
(33)玉祭り今日も焼場の煙かな
木曽塚の草庵ー義仲寺の無名庵にて。先祖を迎える魂祭りの今日も、焼き場には煙が上がっています。今日は魂祭りをしている私達、その誰にもいつかは訪れる命の終わりが思われます。
(34)猪もともに吹かるる野分かな
草木のみならず、猪も吹きやられるほどの野分の激しさ。山の中の幻住庵のまわりには、猪もいたのでしょうか。
(35)こちら向け我もさびしき秋の暮
この句は、京都の北向雲竹という僧侶の自画像に、頼まれて讃した句。「飄然と彼方を向いている僧よ、こちらを向いておくれ。私も寂しいのだから、秋の夕暮れは」と、呼びかけ、雲竹にたいする親愛の情にあふれています。
(36)草の戸を知れや穂蓼に唐辛子
元禄4年に義仲寺の無名庵が新築される前の木曽塚の草庵の庭は、赤い穂蓼や唐辛子があるだけでした。そんな庭の趣を是非知ってください。