内湖の露草

 著者の秋葉清明さんがびわこ句会とびわ湖俳句塾の芭蕉の猿蓑を読む会(講師:坪内稔典)に参加されたのは、六十歳を超えて退職後、自宅のある横浜を離れ京都の大学の大学院で芭蕉の研究をされていた頃でした。

 本書の中にも、「芭蕉と仏頂禅師」の話が出てきます。芭蕉は深川で仏頂禅師と出会い多大の影響を受けつつも、その人生の歩み方には大きな違いがありました。迷いを一喝し迷える民衆を救いたいとその半歩前を行く仏頂禅師と、その迷いを大切にし迷える民衆の一人として歩む芭蕉。それは、俳諧の本質を「不易流行」、つまり永遠に変化しないものごとの本質「不易」と、ひと時も停滞せず変化し続ける「流行」の両面から捉えようとした芭蕉の姿に通じるものなのでしょう。

 

 「大学卒業後、日本企業のイタリア・ローマ近郊での農場開拓に従事」から始まる本書は、そのイタリアでのダビデとの出会いと生涯にわたる友情、恋人との出会いと別れ、サウジアラビアへの出稼ぎ、ドイツでの日本語教育、、、、そしてコロナ罹患後のダビデ墓参のためのイタリアへの追憶の旅と続きます。決してサクセスストーリーではない、迷いながら悩みながら歩んでゆく日々、誰を愛してどう生きて死んでゆくか、極めて個人的な物語が赤裸々に綴られています。

 迷いを大切にし迷えるひとりの人間の小さな物語。でもそのような本書の中に、私は、キラッと光る素敵なフレーズを、いくつも発見しました。

 例えば、「中学生の時に見たゲーテの肖像は威厳に満ちて近寄り難かった。けれども、イタリアで思い浮かべたゲーテは違っていた。(中略)そのゲーテを探し求める旅が、実はユーモアたっぷりのダビデのような人間に出会うことだったのかもしれない。(後略)」。

 「数々の失敗や挫折の足跡も、月の灯りのように輝いて見える。苦しい悲しい涙の方がずっと多いが、それこそが美しい。唯一の太陽よりも無数の星々が愛おしい。」

 迷うこと、戸惑うことを大切に描くことは、自分のかぶっている皮をはがしてゆくことかもしれません。でも、その先にこそ僅かながらも柔らかな灯りが見えてくるのでしょうか。