筆者の内田茂氏とは実際にお会いしたことはありませんが、共通の友人のメール句会で、ご一緒したことがありました。

 表紙絵は、画家でもある蕪村の代表作《夜色楼台図》の一部です。冬の夜空の下、雪の積もった家々の屋根からは、俳人蕪村の人々の暮らしに対する温かいまなざしが感じられます。私は、京都の金福寺にある蕪村の墓、そして、実際にこの絵を見た時のことなどを思い出しました。

 本書の中で、著者は、制作年順に並べられた蕪村の作品について、『俳人蕪村』を著し蕪村を高く評価した子規が内藤鳴雪、高濱虚子、河東碧梧桐等と共に輪読した『蕪村句集講義』、萩原朔太郎の『郷愁の詩人与謝蕪村』、蕪村を「籠り居の詩人」と呼ぶ芳賀徹の『與謝蕪村の小さな世界』、『蕪村全集』の編者尾形仂の解釈、『蕪村句集』玉城司の訳注を参照にしながら、蕪村俳句の解釈の幅を示してくれています。

 例えば、今回、私が特に興味を感じた俳句の解釈を、下記に挙げてみます。

    地車のとゞろとひゞくぼたんかな   蕪村 59歳

 萩原朔太郎の解釈は、「夏の炎熱の沈黙の中で、地球の廻転する時劫の音を、牡丹の幻覚から聴いているのである」。これについて、筆者は、「俳句の解釈は、作者の手を離れた途端に読み手に委ねられるという俳句特有の特質によるものだろう。」と、述べています。

心太さかしまに銀河三千尺 蕪村 62歳

 「心太を啜るのは、銀河三千尺を逆に吸い上げるようなものだと言うことだ。」という筆者の鑑賞に、心が広々してきます。しかも、作句時の蕪村は62歳というのですから、言葉の世界に遊ぶ蕪村の若々しい心も感じられ、共感しました。

 教科書にも取り上げられ、なじみのある蕪村俳句ですが、

 「俳句は、作者と読者が創造する言葉の世界だ」ということを、改めて思い出させてくれる一冊でした。

 最後に、ご恵贈下さった内田茂氏に心より御礼申し上げます。