内湖のそばのビヨウヤナギ

 

 「子規新報」(通巻215号)が送られてきました。これは、愛媛県松山市の小西昭夫さんが編集長の月刊俳句新聞です。表紙は、坪内稔典氏のエッセイと京都志津屋のあんパンの写真。毎号最もページ数を割り当てている特集記事、今号は、松山俳句協会副会長を務めたという品川柳之の俳句30句が挙げられ、その中から40名が、各々好きな句を選んで鑑賞しています。これには、編集長小西昭夫さんの「俳句を読める(鑑賞できる)俳人を育てたい」という強い希望が反映されています。私も、あるメール句会でご一緒している小西さんに誘われて参加しています。

 

    蝶々を青空高く見失ふ  品川柳之

 上五と中七の「蝶々を青空高く」まで読むと、明るい希望が感じられる。ひらひらと身ほとりを飛びまわっていた蝶々が、いつの間にやら青空高く飛んでいくのだから。しかし、その明るい希望は、下五の「見失ふ」で一気に消え去り、切なさ、哀愁が漂う。それは、希望あればこその哀愁であり、言い換えれば、哀愁の中の希望とも言えるだろう。心惹かれる一句である。(川島由紀子)

 

 そして、最終の見開きページが新報俳壇 今月の一句と今月の秀句(コメンテーター4名)です。

 以下は、私の俳句とコメンテーターのコメントです。

 

     口論のふっと蜜柑の匂いする  川島由紀子

 

 「匂いする」で、蜜柑を食べていたのかと気づかせるところが巧み。最初は蜜柑を食べながらの他愛のない会話だったのだろう。口論の最中だが、一方は場の状況を一歩引いたところから眺めているところに静かな可笑しみがある。(杉山久子)

 

 夫は口角泡を飛ばすほど頭にきたのか、先程まで蜜柑を仲良く食べていたのに、と余裕の妻は蜜柑の匂いを感じつつ思う。(東英幸)

 

 杉山久子さん、東英幸さん、それぞれの鑑賞をありがとうございます。

 

 俳句新聞子規新報には、俳句は作者と読者が創り上げるものだという小西昭夫・編集長の考えが反映されています。