去年は、夏以降植木屋さんが入らなかったので、庭の梅の木は伸び放題。梅の花がたくさん咲きました。早速、目白のカップルがやってきて、顔中黄色い花粉をつけながら、器用に蜜を吸っています。

 

芭蕉の第五回目の大津滞在は、元禄三年三月中下旬の頃から九月末までの六か月余りと、長期にわたっています。引き続き、その滞在中の句から。

 

      (23)夕べにも朝にもつかず瓜の花 芭蕉

  夕べに咲く夕顔にも、朝咲く朝顔にもならず、日盛りを咲く瓜の花。

  そのあるがままの姿を咲き誇っている。(『類柑子』に「幻住庵にこもれるころ」と前書き。)

 

(24)夏草に富貴をかざれ蛇の衣 

(25)夏草や我先達ちて蛇狩らむ

この二句は、芭蕉が、酒堂から贈られた膳所市中の案内図、小提灯・蝋燭への礼状の中に、列記しています。(24)は、生い茂る夏草を蛇の抜け殻で豪華に飾ろうというもの。(25)は、夏草の茂みには蛇もいる。私が先に歩いて、その蛇を狩りましょうと。二句共に、幻住庵への来訪を乞う芭蕉の気持ちがよく表れています。

 

(26)橘やいつの野中の郭公(ほととぎす)

 花橘の香りが漂う中で聞くほととぎすの声。いつかどこかの野中でも、この花の香りとほととぎすの声を聞いたことがあったような気がする。(『卯辰集』)

 

(27)日の道や葵(あふひ)傾く五月雨(さつきあめ)

 五月雨が降り注ぐ中、葵が太陽の通る道の方へ花を傾けている。立葵などの、いつに変わらぬ向日性を言っている。『猿蓑』所収。

 

     (28)螢見や船頭酔うておぼつかな

(29)己が火を木々の螢や花の宿

この二句は、凡兆と共に、瀬田川に舟を浮かべて蛍見をした時に芭蕉が詠んだ句です。この頃の瀬田川流域の石山寺や螢谷は全国一の螢の名所で、『和漢三才図會』には、ここの螢は並の二倍ほども大きく、数百匹が群をなして飛び、30メートルもの高さに塊まって盛り上がると、まるで火焔のように見えたとありました。この時の凡兆の句「闇の夜や子供泣き出す螢船」も、火焔のような螢に怯えて泣きだした子供の様子だったのかもしれません。(28)の句は、螢谷のあたりの急流で、酔っぱらった船頭の船さばきが、危なっかしいかったのでしょう。(29)は、木々に泊まっている螢達が自分自身の光で、木々を花と照らし出し、まるで花の宿のように輝かせている様子でしょう。

 琵琶湖の湖東には、平家蛍よりも大きな源氏蛍発祥の地もあり、私も、その乱舞の様子を見に行ったことがありました。三十年くらい前には、湖西線堅田駅の山側にも、蛍がいて、その蛍を捕まえて、家の中に放して楽しんだこともありました。水の豊かな琵琶湖で、蛍を楽しむ芭蕉が、ここにいます。