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 姫のメモ

 松平洋史子は子育てしながら働く
 ワーキングママさんを応援しています!

あるとき宮内庁からさる皇族方のご逝去の連絡があり、お身内は真珠などアクセサリーは、ご遠慮くださいとの注意がありました。

葬儀の受付ではお顔を存じ上げない方がお見えでも、装いでお身内かお客様かの区別が出来ます。

 

葬儀のお部屋にご案内戴くと、正面に、お棺があり、そこには、白い百合の、花束が一つ。

うっすら紫のライトが、天井からのレースのカーテンを、照らしていました。

その前には、天皇陛下、その後ろには、当時の土井衆議院議員他議員の方々、私は席に

座り、どなたも息を静かに、心臓の音が聞こえそうな厳かなシーンの中、15分くらいたちましたでしょうか、ご夫妻が立たれて、棺の前で拝礼して、お部屋を後になさいました。

 

真珠によるお客様と身内の区別これこそ真珠の裏表です。真珠のおもてなしと思います。

日本の真珠を、老舗三越で自分が立って販売し、日本の文化を広めたいという

私の母松平起三代が、今から49年前に始めた会社が葵パールです。

 

お婆さまの昼間の装いは、シルクのワンピース、お帽子、手袋、ハンドバック、

黒革靴でした。その胸元には、真珠のネックレスでした。

それが、とても品があって、幼い私には、大人になればと、憧れでした。

 

お家の中では、プリーツスカート、ブラウス、カーディガンに、まあるい真珠のブローチが

お気に召されていられました。私が好きだったのかもしれません。

 

毎年お正月に、叔母様の秩父宮妃殿下のお屋敷に伺うときは、朝からのお支度が

皆様それれぞれお気をつかわれていられました。

自分が着たいということではな。く、この装いをお気に召していただけるかしら、

そんな会話でした。そこには、必ず真珠のお箱がもたれてきて、わたしが、中学になりましたら

着けて戴きました。

 

真珠のおもてなしでした。

 

 

秋風が窓辺のレースカーテンを揺らす。お湯が沸いたので、イングランド紅茶を

ポットに1,カップに1,自分に1,小さじに茶葉をいれます。

70度にさましたお湯を、音をたてて、ポットにいれます。すると、茶葉が、ワルツを

踊ります。今日は、ワルツでしたが、時には、軍艦マーチになることもあります。

暫くすると、静かになり、カップにゆっくり注ぎいれます。真っ白なカップの中が

あめ色になり、湯気が香りになります。贅沢な時間となります。

 

何でも無い日常の時間の空間を、意識して生活してみるだけで、そこに、素敵な

ストリーがあらわれます。

 

きれいな部屋(居)は、きれいな心(意)をあらわします。

 

涼風に  コスモスの花  首かしげ

微笑むごとく  心ととのう

 

大日本茶道協会のお手前は、型から入り真に抜けます。

 

丹田・目・手・残心と、型があります。それが美しい所作であり、ものを大切にする心であり、

おもてなしの一服になります。

 

お道具に、丹田を向けて、目で確認して、手を道具に差し伸べ、お道具を手にする。その後

そこに心を残すことこそが、一服のお茶となります。

この精神こそが、おもてなしになります。

 

  茶の湯こそ  心しづめる  にちにちの

  立ち居ふるまい  正す道なれ

 

この精神は、日本橋三越にて真珠の販売にも生きています。

心をこめて、目でにこやかに「いらっしゃいせ」と言って、優しく手を

差し伸べ「如何ですか」と、お話しを申し上げ、「ありがとうございます」と

心を残します。「又のお越しを楽しみにしております」 礼

 

 

 

この意味は、深いのです。

 

松平家では、お皿を裏から洗います。人の見えないところを思うことが、

おもてなしです。と、教わります。裏から洗えば、表を洗わない人はいません。

人の見えないところに、人の思いを重ねることこそが、思いやりであり、おもてなしです。

 

茶道にも、形はあります。お婆さまは、これからは、外国から沢山のお客様が見えます。

お客様に日本の畳に合わせて戴くより、お客様に合わせるお手前こそが、おもてなしです。

と、言って、大日本茶道協会には、海外から来られた方の為に、椅子に座って一服のお茶を、差し上げる立礼のお手前があります。

 

添える言葉も教わります。「涼しくなりましたね」「昨日までは、暑かったですよ」と言うのでは

なく、「そうですね。秋の風を感じるようになりましたね」と、相手に寄り添う会話を重ねることが、

おもてなしにつながります。

 

嫌なことは、丹田に入れて、その方に寄り添うことが、おもてなしです。それがうらばかりになるのです。私たちには、目に見えないかっこづけが武士のおもてなしにもなります。

久しぶりにブログを書こうと思いました。そうさせてくれた方に、今日会いました。

日本橋三越で葵パールの販売をしておりました折り、素敵な女性が私の前に

立たれたので、「パールのことでご相談ですか?」とお聞きしたところ、「はい。」とのお答え、ではこちらにお座りくださいと、お席にご案内致しました。「こちらは葵パールさんですか?」と

聞かれたので「葵パールの松平です。」と、お答えしました。

 

「お目にかかりたくて、参りました。」「私は、松平先生の本を3冊も持っています。」「最近ブログ書いておられませんね。」

 

私の独り言がある方に届いていることを、知りました。

 

「今日は、母から戴いた二連のアコヤのネックレスが古いのですが、何とか使い易くできるでしょうか? 是非、松平先生にご相談したくて参りました。」

その方を美しくしてさしあげたい、そして、その場に、相応しくしてさしあげたいと思ってます。

「どんな時に、お使いになりたいですか?」「コンサートの後に着けたいです。」わかりました。

それでしたらと、メジャーを持ってきて、その方にベストバランスの長さをお計りして、余った珠で、ブレスレットをお作りしましょう。コンバーチブルにして、使い道に、巾を持たせましょうと、オンリーワンのネックレスの加工をお預かりしました。

 

アクセサリーやジュエリーは、今日お目にかかる方へのお気遣いのものです。

後ろ姿を、お見送りしながら、一期一会の出会いに感謝して、久しぶりに、ブログを書いています。

 

「ありがとうございました。」

私たちが生きることは、感謝の花を咲かせることです。

それは、時として笑顔の花でもあり、涙の花でもあります。


幼い時に、おばあさまが、この花瓶に、お庭から一番似合う

お花を切っていらっしゃいと、言われました。子供ながらその

花瓶が大切なものとわかりましたた。ですから、子供

ながら、お庭からそのお花を探すのに時間がかかりました。

そのお花を見つけて、はさみで切った時なぜか悲しくお花さん

ごめんなさいと言いました。そしてその花瓶にいれた時、笑顔の

花が咲きました。


生きることは、何かに泣き何かに笑い感謝の花を咲かせること

だと思います。本当に、皆様ありがとうございます。


いつか花瓶に素敵な花を咲かせます。それは、感謝の花です。



松平俊子・大日茶道協会初代会長について、

侯爵鍋島直大の六女として永田町に生まれました。鍋島邸は今の総理大臣官邸の場所に

明治25年三階建の洋館を建てて、明治天皇、皇太后が行幸啓になられたこともありました。

昭和2年には文部省の財団法人生活改善同盟の理事として、女性の開放に立ち向かわれました。

大正12年関東大震災が発生後、赤十字病院で女性が働看護婦の先駆者となりました。

昭和5年関東大震災時に多額の援助を受けたアメリカに遣米答礼使としてフーバー大統領との

会見、ロックフェラー氏訪問しました。日本女性の品位は緊張状態にあったアメリカとの関係に

とても好感をもたれました。

昭和2年海外婦人協会を設立、昭和8年には、日満婦人会理事、11年には、航空婦人会会長

仏教婦人青年同盟理事、日蓮宗婦人会代表を務めていました。

文化の振興にも努めました。茶道では、雲伝心道流茶道会、華道では広山流、盆石では細川流

など支援を惜しみませんでした。

教育にも携わってきました。昭和7年昭和高等女学校の校長を引き受け、毎週作法の授業を

受け待ちました、戦後は昭和女子大学となり名誉学監を務めました。

それ以外に、社会活動は少年保護司の資格をとり、女性のための保護施設「娘の家」を設立しました。

昭和6年には、日本少年保護協会理事にもなられて、司法省から台湾出張も命じられ、敵の潜水艦が出馬つする中台湾に命がけでむきました。

俊子がいかなる気持ちで、社会事業に取り組んでいたかの記録があります。昭和8年日満協会の依頼で満州在住に向けて講演したのが、日本のラジオでも全国放送されました。新聞にも記載されました。

「昔、中国の高僧たちがインドへ仏法を求めて旅に出た時、砂漠の中では白骨を道しるべにしたと言います。

私も尊い心を自らものとするよう毎日努めております。たとえこの身が白骨と果てようとも、それが後に

それが後に続く皆様方の道標となるなら、喜んでこの身を捧げます

松平俊子は、松平家の本家筋である水戸家に嫁いだ。高松藩主頼聡と井伊直弼の息女千代姫である。

高松松平家に嫁したその日に、直弼に大老の命が下ったと言われている。幕末の混乱の中、

松平家の本家筋である水戸家の家来が桜田門の事件に加わったので、松平家を去った。明治になり千代子

を呼び戻した。

皆様に、心を込めて、お似合いの真珠を、お選びしたいと思います。



   いにしえを  ふりかえりつつ  進みゆく


      道はいかにと  もとめこそすれ



            皆様と、共に    


働く女性には、育児、料理、掃除、洗濯、
家事は たくさんあります。
家事を楽しむには、どうしたらいいのでしょうか。

疑問をもたないで、楽しんで家事を受け入れることです。

可愛い子供の寝顔がみられます。
料理はクリエイティブなことです。材料から、盛り付けから、テーブルセットから、デザートまでいろいろ工夫できます。
掃除は、家庭の嫌なことを外に、はきだせます。
洗濯は、季節の空気を、思い切り吸うことができます。
どれも、時間があるとき、体調がよい時に、むらはあります。

いいのです。むらがあっても、それでも自分なりに工夫して楽しんでいければいいのです。
やらされているという気持ちになると、それは仕事になりますが。
家事は、自分が楽しんでやれること、と思うことです。

先日、若い男性に、奥様のプレゼントとしてネックレスをお買い上げ戴きました。奥様は、海外にお仕事なので、自分が有給をとって、お子様の保育園の送り迎えをしています。
日ごろの奥様の姿をみているので、自分も楽しんでできます。このプレゼントも奥様への感謝の気持ちですといってられました。

家事もやれるほうがやる時代になる日は、もうすぐかもしれません。

ごきげんよう。さようなら。