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 姫のメモ

 松平洋史子は子育てしながら働く
 ワーキングママさんを応援しています!

もともとおしぼりは、外と内の境界を認識するものとして、旅籠で用意された水桶と手ぬぐいから発展したものです。布に染み込んだ思いやりです。冬の寒いときには温かなおしぼりを、夏の暑いときには涼しいおしぼりを提供するのは、四季のある日本だからできることです。

 

このサービスをいち早く提供したのは、外国人向けに何か日本らしいおもてなしができないかと考えて、昭和29年に東京ーサンフランシスコ線に採用した日本航空の国際線でした。

 

日本の茶の心は、お客様の装いに添い、季節に合わせたお湯をととのえ、夏は涼しく、冬は暖かくおもてなしをすることです。何か始めるときには一呼吸いたします。手紙を書くときにでも、拝啓、時候挨拶から本題にはいります。それらが、日本の文化です。

 

その心から、外からいらしたお客様に、ホッとして戴くために、心地よいお時間を

もって戴きたいと、お出しするものです。

 

 

おもてなしの講演に、飛行機で向かいました。飛行場に、お迎えを戴きました。

お出迎えのの青年が、私の顔を確認されてから、車を待たせてありますと言われ、私の前をスタスタと歩き出されました。

お荷物をお持ちしましょうかと、一言お声かけることも、おもてなしですよと、後ろからお声かけしたら、空気がシーンと流れてしまいました。

 

車で講演の会場に向かい、ご紹介戴いた方とお目にかかり、気まずさをなんとかしようと、先程のお声かけのお話しを致しましたら、今度は移動する為に、その方が私の荷物をお持ちになられてしまいました。

私の一言が、老年の方にお荷物を持たせてしまいました。

 

正しいことを言うときは、その情景、事情で人を傷つけることになることを、気をつけなくてはならないことを、学びました。

その方には、深く感謝しております。

 

私の祖母松平俊子は、明治23年、侯爵鍋島直大六女として、東京の永田町に生まれました。

鍋島家は、現在の首相官邸一帯の地にありました。西洋館は、三階建て、シャンデリア、螺旋階段、大サロンなど洋式のすべてをとりいれ、ダンスを楽しんだと聞いております。明治天皇が

来邸し手品をお楽しみになられてとも聞いております。

 

お屋敷の周辺は、溜池や日枝神社がありました。お婆さまは、小舟で学校に通われたともお聞きしました。雨の時にはとお聞き致しますと、雨の日は馬車でいきますよと、お話しをされていました。

 

その頃は、お食事は、各自自分の部屋でとります。そんなある日俊子お婆さまは、目覚めて廊下の遠くの台所から甘辛い匂いがして、こっそり見にいくと、お手伝いさんたちが、大きな鍋から

皆頬を膨らましてフゥフゥとおいしそうに食べていたので、後であれは何かとお聞きになられ

夕食に出して下さいと頼まれたら、当時お毒味のあるお食事をなされていたお婆さまには、ぬるいおうどんが出されたそうです。

 

華族女学校の時代は、成績もよくリーダー的な存在でした。活発なところもあり、授業が終わる鐘を合図に廊下に足を一歩だして、お友達の為にテニスコートを確保するのがお得意だったとお聞きしました。

俊子お婆さまは、明治の時代にのまだ日常にミシンがないうちに、これからの女性には洋装が生活に不可欠とミシンを習われました。それからは、家の中ではいつも洋装で過ごすことを決めていられました。

 

そのことは当時の日本の女性には、衝撃なことでしたし、周囲からだけではなく、松平家の中でも気まずい空気を膨らませました。

 

そんな中で、俊子お婆さまをご理解して戴けたのは、伊藤博文さんにお頼まれして、鹿鳴館で華族の皆様にダンスを教えた俊子お婆さまのお母様でした。そして、そのお母様のことを、ご理解なされたのは、時代に先駆けて率先する人がいなければならないのだよと、お父様が励まされたのですと、まだ13歳の俊子お婆さまの気持ちに寄り添われました。

 

その中で俊子お婆さまは、合理的改善は、まず自ら試みて後、人さまにお勧めするのです。

洋装にすることで、日常の生活が改善され、時間に余裕が生まれ、主婦も趣味や修養の時間が得ることができます。「鍋島侯爵の令嬢が風呂敷抱えて公設市場通い、家庭生活改善のために」などと当時は有名になりました。

 

自分を信じた道をだからです。

終わりなき  夢のはじまり  松平

                   (德川家康公四百年祭記念大会 豊田市松平郷より)

 

昨年(平成27年)は、德川家康が亡くなってから400年の節目にあたります。Wikipediaによれば、徳川家の始まりとして知られる松平親氏は、清和源氏の新田氏の支流で、上野国新田群新田荘得川郷(現在の群馬県太田市德川町)を拠点とする得川義季と称する時宗の僧で、松平郷の領主松平太郎左衛門少尉信重の娘婿となってその名を継ぎ松平親氏を名乗ったといいます。

德川幕府約260年という長期政権はこの松平親氏に始まったといえます。

 

進みゆく  世に遅れじと  立田姫  いや新しき  道もとむらん

 大正14年に出版された俊子の著書「ミシン裁縫の伴侶」の巻頭を飾った

 下田歌子の筆

 

それに対する著者の返歌

いにしえを  ふりかえりつつ  進み行く 道はいかに  遠くとも

  私の祖母の歌です。

これからの女性は学問だけではない、社会をリードする女性として人柄を磨いて

いくことが、女性としての気品を学ぶことになります。

孟子に君子に三楽あり、という一文があります。父母ともに存じ、兄弟こと無きは一楽なり、仰いで天に恥じず、伏して人に恥じざるは二楽なり、天下の英才を得てこれを教育するは三楽なり、とあります。そのうち一つでも合格すれば一楽になり、それが女性としての気品になります。

私には、どれもないわ、と思われることも一楽です。誰しもが、父母から生まれます。、

人に恥じても天に恥じない自分があり、常に人生を学ぶ生き方に気づくことが、

生きる姿勢となり、女性の気品になります。

自信がある女性も無い女性も、互いに支えあい、補うことこそ、

こらからの女性です。

 

優しいピンクローズの花模様のワンピースの女性がケースを覗いていらっしゃいました。

その可愛い女性は、「先生のブログを読んでいます。最近書いていらっしゃいませんね」

と、私に久しぶりにブログを書くことに気づかせてくれた女性でした。

お母様から戴いたネックレスのリフォームを承りました。

その女性が生活の中に、きっとお使い易く喜んで戴けるように考え

リフォームをしております。

「とても素敵です」と、いってネックレスを首にかけて戴いたとき、

その姿を見たとき、良かったと思える時です。

私は、真珠を販売をするときより、それを喜んで着けて戴くときが、

このお仕事の喜びの瞬間になります。

「ありがとうございます」

素敵な女性をお見送り致しました。

 

 

「間」は、日本の文化であり、日本の心です。

春夏秋冬のあるのが、日本の文化を生むのではなく、

季節の変わり目の間が、風流をつくり文化になるのです。

 

桜の花が咲き、ハラハラと花びらが散り、川面に敷詰められ、、

石畳に薄いピンクの色道が出来ると、その横町に紫陽花が顔を出します。

 

向日葵が咲く頃、どこからともなく子供の夏休みの声も小さくなると、

けたたましいミンミン蝉が鳴き終わると、コスモスの花が風に揺れ、その風が

落ち葉を舞い踊らせ黄昏れの虹をつくります。

散歩していた猫もいつの間にか、日だまりの下で日向ぼっこしてます。

 

そんな季節の変わり目でも、桜は土の下で、次の春を待っています。

 

私たちは、そんな間があるから、文化が生まれてきたと思います。

心豊かな人間になろう。

自分の身に引き当てて考えよう。

 

花の色を見て、「きれいだな」と感じてみよう。

きれいだなと感じたまま、頭脳に伝えよう。

この花を、眺めたり、祈ったりしよう。

この花は、きれいだから折らないようにしよう。

この花を大切にしよう。

 

人間の世界には、いろんな物事があり、現象が起こります。

その中で、自分に関わることが、事実なのです。

 

見ずや  あすは散りなん  花だにも

力の限り  ひと時を咲く

 

 

 

真珠は、お母様からお嬢様へのファーストパールと言います。

いつかそれに相応しい女性になるようにとの思いを込めて贈ります。

 

さて、真珠が欲しい、娘に買い求めましょうと、思われていらっしゃる方へ

まず、ご予算を決心なされてください。それがお母様の一番のプレゼント

になります。

 

後は、私たち専門店、専門家にお任せください。

その方にお似合いのパールを、お話しをしながら、ご一緒に選びます。

年齢、身長、首周り、用途を、お聞きしながら、肌との相性をみながら、

真珠の色、大きさ、長さを決めてまいります。

 

良い真珠を買うには、信頼できる販売員にお任せすることです。

 

お悩みの方は、お尋ね下さい。