子ども頃は皆、一様に無邪気である。

しかし大人になるにつれ、その無邪気さは否定される。

出た、否定。

私は『天才合宿』というコンテンツを通して、

「ダメを言わずイヤを言う」と言い続けているが、

世の中は否定で埋め尽くされている。

ここにもまたダサい否定があるのだ。

 

いつまでも子どもの純粋さを持っていて欲しい、

ロリコン色が国全体に強い日本なのだが、

それと矛盾して無邪気さを否定し、

『年相応』なるどこの誰が決めたのでもない概念に当てはめようとする。

その子どもに押し付けている矛盾を自覚して欲しい。

どちらも気持ち悪いです。

 

あなたは子どもが子どもらしく無邪気でいる時、

遊んでいるとき、阻害する大人ではありませんか?

「そろそろ○年生なんだから」とか「お兄ちゃんなんだから」とか

「○才にもなって」みたいな、

無邪気キラーなクソ台詞を言っていませんか?

子どもにも、大人にも。

 

無邪気なままに遊んでいるのに。

無邪気なままに感情表現しているのに。

それを否定されると、どうなるのでしょう。それはつまり、

ありのままの心や感情や感性を否定すること。

否定されたそれらは、扉の奥や引き出しの奥にしまわれてしまいます。

これはダメなものなんだ、と自らも否定して、

奥にしまい込んで、やがて忘れていきます。

そうして大人びて見られるようになっていくのです。

「しっかりしてるわねえ」「お姉さんになったわねぇ」

なんて大人は褒めてくれます。

その方が大人お気に入りのようです。

 

無邪気さを奥にしまったまま、大人になります。

中には無邪気さを隠さないまま大人になった人もいます。

「アイツはガキだな」なんて言って、奥にしまった痛みをまた嘲笑います。

 

 

無邪気とは字のごとく、邪気の無いことです。

む‐じゃき【無邪気】 の解説

[名・形動]

  •     1 素直悪気がないこと。いつわりや作為がないこと。また、そのさま。「―ないたずら」「質問に―に答える」
  •     2 あどけなくかわいらしいこと。また、そのさま。「赤ん坊の―な笑顔
  •     3 思慮に欠けること。また、そのさま。

 

出典:デジタル大辞泉(小学館)

 

 

まっすぐに愛情も向けるし、偽りなく笑うし、

楽しもうとすることに遠慮がありません。

自分が思ったそのままが、誰かを傷つけるなんて思いもよりません。

 

傷つくというのは、どれだけ既成概念を採用しているかと、

相手の敵対的エネルギーや表情言葉の強さ、

そして受け手の経験からくるネガティブさによって起こります。

多くの人は人を傷つけたくはありませんから、

「それってあなたの問題でしょ」などとは言わず、

どうしたら傷つかないか配慮してくれます。優しいですね。

でも実際には受け手の問題です。

既成概念を採用しないというのは、現代社会では難しいですが、

どれが既成概念でどれが自身の概念なのかは分けて見れたら良いですね。

それを分けて見れていたら、

メンヘラを人に向けることはありません。

 

まっすぐに愛情を向け

偽りなく笑い

楽しもうとすることに夢中で

自分が思ったそのままを言葉にする

 

そんな人は嫌いですか?逆の

 

愛情に条件を付け出し惜しみ

作り笑いが上手で

やらねばならないことを作り縛られ楽しみもなく

自分の思っていることを言わない

 

そんな人好きですか?優しい言い方するならば

 

愛情を受け取るにも渡すにも自信がなく

自分の感覚にも表現にも自信がなく

楽しむことは否定されきたので分からず

自分より他の人を優先する

 

そんな風に生きたいですか。

子どもにそんな風に生きて欲しいですか。

世界にどんな人で溢れていて欲しいですか??

 

 

子どもだろうと大人だろうと、

その人の無邪気さを否定しないでください。

概念で潰したり、自分自身が出せない痛みから、

潰そうとしないでください。

自らの無邪気さを思い出し、扉の向こうから連れてきて開放し、

既成概念なんか気にしないで

思いっきり夢中になって楽しんで腹から笑ってください。

バカみたいに大きな口を開けて、

バカみたいな笑い声をあげて、

まっすぐな目で人を見ましょう。

 

ところで今私、無邪気な自分を扉の向こうにやっています。

普段は結構無邪気な人だと思っています。

どんな時にそうなるかって、

やっぱり感じる感情のままいることを否定されたり、

それによりそのまま感じ続けていると苦しい時です。

ああ、こうして人は心を閉ざしていくんだな、

無邪気さを採用しなくなっていくんだなって、

内側から眺めています。

飽きたらやめると思いますが、

私の苦しみの原因になっている人がお迎えに行ってくれたら、

はやく出てくるかもしれません。

いつだって自力で回復する必要はありません。

1人で生きている訳ではないんですから、

ジャンジャン人の手を借りましょう。