鬱病の改善方法-1 の続きです。必ず1を読んでからお進みください。

ここでは以下について詳しく書いていきます。

 

~初期の基本的な過ごし方~


5.やりたくないことをしない、やりたいことをする~最初の約束 (楽しい時間を作る。やりたいことを探る)

6.まずはとにかく休息 (思う存分寝まくる、ダラダラ過ごす)

7.苦しいことと、休息しながら向き合う (過保護過干渉は禁物、本人の力を邪魔しない)

8.薬の代わりになるもの (オヤツは大事)

 

~回復期に入ったら~


9.本人の選択を尊重(回復と帰還の時期など)

10.動物や子どもとの触れ合い (癒しや社会貢献)

 

 

~初期の基本的な過ごし方~

 

5.やりたくないことをしない、やりたいことをする ~楽しい時間を作る。やりたいことを探る~

 

「一つだけルールというか、約束事があるの。それは『やりたくないことをしない、やりたいことをする』ってこと。それ以外はルールはないから」。

うちで過ごすことを決める時に、まずお伝えするのがこのセリフ。

最初はもちろん、

やりたいことなんか思いつかないほど憔悴しきっていますから、

ひたすらやりたくないことをしないでいてもらいます。

約束することで、意識してもらいやすいです。

どうにも人は気を使って、やった方がいいかとか、

やらねばならないかと動きがちだし、

動いてしまった方が楽だとも考えます。

でもそれをしないでくれとお願いするのだから、

気楽に捉えてもらいやすいと思います。

もちろん芯からそう思えていないとダメです。

何か手伝って欲しい、なんて内心思ってしまってはダメです。

コンディションによっては何か役に立ちたい時もあるかと思いますが、

最初のうちは一切求めないのがいいでしょう。

この初期での見定めはとても大切です。

 

 

6.まずはとにかく休息 (思う存分寝まくる、ダラダラ過ごす)

 

やるべきことが一切なく、

観測者が『やりたくないことはするな』とルールを敷いている場合、

たっぷり行うであろうことが休息と睡眠です。

そしてこれこそが最初に必要なこと。

休んでなんかいられない、と

自信の心身の過労やストレスを無視し続けた結果の鬱なので、

何もしないで休むことが元より苦手な人が多いでしょう。

特に余計に構うことはせず、食事やおやつなど必要な時だけ声をかけ、

自分のことに集中しているのが良いです。

ほっとき力がないならば、自分を忙しくしておきましょう。

変に氣を向けてしまうのは良くありません。邪魔な氣です。

観測者として相応しい在り方や氣でおりましょう。

 

 

7.苦しいことと、休息しながら向き合う ~過保護過干渉は禁物、本人の力を邪魔しない~

 

これも観測者としての大事な側面が試される場面で、

関わる際にどのような心持ちであるといいかという話になります。

特に意識したいのが過保護と過干渉です。

この二つが人間を壊すものだと全投稿でも軽く触れましたが、

それをしないための意識の持ちようとしては、『信じる』ことが重要です。

鬱病なのだから、もちろん苦しみがある。

その苦しみがピークに達することもある。

辛そうな人を見たら、何かしてあげたくなるのが人間です。

しかし適した観測者は感情だけに流されては務まりません。

「この人はこの苦しみを、困難を必ず自ら乗り越えられる力があるんだ」

そう芯から信じて見守ってください。子育ても同じです。

その人の力を信じて伸ばすことが、周りのサポーターがする大切なことです。

転んで、どう立ち直るのかを自ら経験しなければ、

転ばないようにしたり、上手に転んだり、転んだ後の回復も、

できるようにはなりません。

毎回転ばないように手を貸して、その成長の経験を奪うことは、

虐待にも等しいです。人の力を奪うのですから。

とても重要なことなので強調しています。

良かれと思って手を貸す人が多すぎるのも、強調する理由です。

信じられる自分であろう。

それができないなら、観測者にふさわしくないので、

鬱病の当人からは離れてください。

 

苦しんでいる時。信じて見守ってください。

肩に優しく触れたり、暖かい飲み物を出したりして、

自身が落ち着くならそのくらいは良いと思います。

無視しているのではなく、

信じて見舞っているのだと伝わるのがいいですが、

おそらく苦しみのピークには、あまり心には触れないと思います。

自分の力を過信しないでください。

何かできると過信して、行動した結果に落胆しないでください。

過信してしまうなら、口をつぐみ、離れ、そっと見守ってください。

今はまだ何かできる段階ではないのです。

あなたが無力なわけでも、事態が悲観的なわけでもないんです。

ただ、『その段階』なだけです。

適した段階で、適した対応というのがありますから。

心して欲しい重要なポイントです。

もし、自死まで望むような段階であれば、断薬などは諦め、

プロフェッショナルのいる病院などで

対応してもらうのが良いと思います。

必要な要素がまるで変わってくるので、個人に出来る範疇を超えます。

見極めも判断も素早く行いましょう。

 

 

8.薬の代わりになるもの (オヤツは大事)

 

良い食事を基本にしつつも、オヤツは本人が望むもの、

好むものを選びましょう。

例えば断薬する際には、代用品になるような存在も必要です。

それはチョコレートかもしれないし、キャラメルかもしれない。

一時的に高カロリーになったとしても、

何かしらの支えが必要な時はあります。

柔軟に、そして楽しくオヤツの力を借りましょう。

時に手作りオヤツが登場するのも良いでしょう。

楽しみながら、伺いながら、解放部分と意識して選びましょう。

本人が買い物できるのであれば、本人に選んでもらいましょう。

あるいはリクエストを聞いて買ってきてあげましょう。

休息をどのように過ごすかは人それぞれですが

、私達の休息にはしばしばオヤツが登場するので、

癒しや楽しさの象徴でもあります。

少し多すぎると感じても、やがて落ち着いてくるので緩く捉える大事な部分です。

 

 

~回復期に入ったら~

 

 

9.本人の選択を尊重 ~回復と帰還の時期など~

 

たっぷりの休息が取れると、肌ツヤも毛艶も良くなり、

表情も明るくなってきます。少しづつ意欲が出始めて、

何かに興味を持ってきます。

何かしたいという気持ちが持てるまでくると、良い傾向です。

明るい兆しです。簡単なお料理をしてみたり、お掃除したり、

お出かけをしたり、おしゃれをしたり、

何か役に立ちたいと思えるのもこのころでしょう。

そうした兆候が出てきたら、乗って行きましょう。

「じゃあどこどこ行ってみる?」とか「なになにしてみる?」なんて、

協力できそうなことを提案してみてもいいでしょう。

 

もう大丈夫、と本人が思えた時が、共同生活の終わりでした。

だいたい2ヶ月~3ヶ月くらいだったと思います。

ちゃんと本人が見定めて判断します。

何かしたい意欲が湧いてくるのでしょう。

短期間で済むのは、邪魔になる観測者がいないからです。

これが1人でも環境に邪魔な観測者がいると大幅に時間がかかります。

年単位になり、なかなか回復が進まなくなるでしょう。

 

私の息子が不登校になった時、

今思えば彼は軽い鬱状態にあったと思います。

自分の息子であると

フラットな観測者であるという難易度はかなり上がるので、

時間がかかりました。

心配しないというのは難易度の高いことです。

息子の回復時も見るからに艶が良くなりました。

彼の場合、最後に原因不明の嘔吐下痢で救急車で運ばれたのですが、

全てデトックスされたかのように、

そのあと輪をかけて晴れやかな様子になりました。

無理して学校に通わせた期間が2~3ヶ月ほどあったので、

それがなければもっと回復が早かっただろうし、

心配という余計な氣を送っていなければ、

もっと回復が早かったと思います。

1年ほどはかかったように記憶しています。

 

 

10.動物や子どもとの触れ合い ~癒しや社会貢献~

 

疑心暗鬼になっていたり、妄想的になっていたり、

人を信じることが怖くなっている人でも、

純粋な子どもや動物に触れ合う時には安心を得られたりします

(個体差や相性はもちろんあります)。

なので彼らの手を借りない手はありません。

触れ合う機会を持つのがオススメです。

うちには子どもがいるので、

わざわざ会いに行くことはありませんでしたが、

懐こい猫がいたらより良かっただろうなと思います。

ご近所で飼われている犬達の力も借りました。

大人だけだと硬くなりがちな空気も、

子どもや動物がいることで和むという経験をしている方も

多いと思います。

時にハプニングも起きますが、

そんな優しいハプニングも良い刺激です。

大人が出すギスギスした空気に比べたら、

少々ガタピシして過ごしたとしても全然良いのです。

気晴らしに何か遊ぶにしても、

子どもや動物のような不確定な動きをする存在がいると、

何かと楽しいことが起こりやすいですし、

何より彼らは無邪気に楽しみます。とてもいい雰囲気が作られます。

 

こんなことがありました。

一人暮らしのご近所さんが急な事故で入院となり、

飼っていた犬達のお世話ができなくなりました。

ちょうどうちで療養中だった方は、犬に詳しかったため、

お世話役を買って出ました。

療養中などは(育児中もそうですが)社会との断絶というか、

社会で自分は何の役にも立っていないような気持ちになりがちです。

実際はそんなことないのですが、そう思える人は少数で、

ましてや自分に余裕のない状態の時です。

そんな時に役に立てる経験というのは、

とても心の救いになったと思います。

もちろん犬との関わりからの癒しも大きいです。

そしてとても感謝されました。

自身の回復が少し進み、

誰かの役にも立ちたいというまで気力が動き出したタイミングでしたが、

まだ十分な回復ではなかったので、

引き続き十分な休息とおやつを取りながらバランスをとっていました。

誰かの役に立てるという心の喜びが、

回復に大きく役立ったのは間違いありません。

 

 

次回は最終回。

私のような環境を用意できない人に向けて、

最低限できることについて書きます。

 

『すべてはベストなタイミングで用意されている』