私のアメブロのタイトルは『天才人生 ~へんたいじんせい』。

天才と書いてへんたいと読む。

へんじんじんせいと迷ったのだが、音の響きでへんたいじんせいにした。

今回も音の響きを優先し、変態のススメではなく変人のススメとする。

 

私が変人を名乗るほど開き直ったのはこのブログを開設した頃で、

当時岡田哲也さんのオンラインサロンに入っていたのだが、彼との交流の中で獲得していったものだ(感謝)。

子どもの頃から人とは違い、人から変わっていると言われ続けていたのだけど、

変人と言う自覚を公言できるまでには40年以上かかったということだ。

世の中ではマイノリティな存在、変人。

多くの場合はバカにされたり怖がられたり下に見られたりする変人。

そんな色眼鏡を持った人達に対して揺れないメンタルを持っていないと名乗れない変人。

そんな変人を、オススメしたい。オススメするのにはそれだけの理由がある。

 

変人の定義

シンプルに、『普通ぶらない』こと。

つまり『人と同じにすること』にエネルギーを使っていないということ。

『人目を気にすること』にもエネルギーを使わないし、

『人と同じようにできない』ことを気にしてへこむこともない。

エネルギーは自分がしたいことに使う。

無駄なことにエネルギーを使わないから、自分がしたいことにエネルギーを注げるので、

良くも悪くも突出した人となる。

 

メリット

・人からどう見られるか気にならない

・好きな格好ができる

・注目される

・『変人だから』という認識が免罪符的な役割を果たすことが多い

・『普通』を求められない

・色眼鏡人の方から避けてくれる

・おもしろいと興味を持ってくれる人が周りに残る

・自分自身でいられるから軸ができる

 

以下詳しく解説していこう。

 

人からどう見られるか気にならない

 

これが一番大きいメリットだろう。

人目を気にして行動が制限されることほどバカバカしいものはない、

と死ぬときには納得できると思う。

人と同じようにすることにエネルギーを使うのと、

自分がしたいことをすることにエネルギーを使うのと、

人生でしたいのはどちらだろうか。

特にしたいことがないので、目立たぬように人と同じようにしたいです、

という人もいるかもしれないけど、人生で参考にできる人や事例が見つからなかった時や、

ものすごい大切な選択肢の前で迷った時に、

指針にできるものがないことが怖くないですか?と聞きたい。

人をあてにしてばかりいると、生存確率が下がる。

 

好きな格好ができる

 

人からどう見られるか気にならないから、好きな格好ができる。

髪型だって服装だって踊り方だって、本来したように自分の感性のままにそうするものだ。

髪色ひとつ自由にできない環境というのはどんな気持ちなのだろう。

校則などで些細な髪型の違いでガタガタ言っていることは、

果たして本当に子どもの将来にプラスに働くのだろうか。

言うことを聞く人間をただ育てたいだけなように思うのだが、

それって良い人材?その人は幸せ?

見た目はその人を表す大切な一要素だ。

 

注目される

 

自分がしたいことにエネルギーを注げるということは、それだけ集中力も高まる。

それが絵を描くという行為なら内側の投影度や解像度が上がっていくし、

それが思考であれば自身に納得のいくところまで持っていけるだろう。

つまり自己が大きく表れることで他との違いが大きくなっていき、目立ってしまう。

自己アピールしたいことがあれば普通に埋もれている人より目にしてもらえる機会が多い。

 

『変人だから』という認識が免罪符的な役割を果たすことが多い

 

『変人』以外にも『発達障害』『精神疾患』『アーティスト』『博士』なども

免罪符的な役割をしていると思う。

例えば学校に毎日遅刻してしまうとする。

普通を名乗っているとそれは怒られたり罰せられたりする。

でも、発達障害であるとなると怒られたりはしない。

なぜならば努力でなんとかなるものではないと認識されているからだ。

「病気なんだから仕方ない」というのが普通の人が遅刻を許す理由となっている。

遅刻ばかりしてしまうのに普通ぶろうとしようものならその度に怒られる。

怒られまくって自尊心を削られていく。自尊心は生きていく上で大切すぎるものだけど、

現代の多くの人はないがしろにしている。つまり生存確率が低い。

正直、努力でなんとかなるものではないものも、

努力しても人生にメリットがなくむしろデメリットなものも沢山あると思う。

努力とはエネルギーを使うものだ。

何にエネルギーを使った方が人生が豊かで後悔の無いものになるかは、人によってまったく違う。

遅刻しないことに使うエネルギーの量も人によってまったく違う。

そこを理解している人がほとんどいない。

そこを間違えるとそれこそ疲弊しすぎて自死してしまう道に繋がるというのに。

疲弊する、エネルギーが大量消費される事柄に努力をすることは命を削る。

エネルギーが心地よく流れていく事柄にこそ努力は注ぐ方が、死なない。

ただ、変人な性質であるのに変人であることをネガティブに捉えていると、致死率は高い。

色眼鏡人は集団で人殺しをしているが、自覚することなく死んでいく。そんな人に殺されるな。

自身の性質に誇りを持て。ネガティブをポジティブにする作業をしていくのだ。

 

『普通』を求められない

 

「普通はこうだから」「ルールなんで」という文言のみで従える人を生み出すのが一般的な学校だ。

納得することなく、内容を深掘ることもなく従えるのは奴隷や兵隊だ。

確かに戦いのような世の中だ。兵隊が必要なようにも思える。

多くの企業はいまだに従順な人材を求めている。

変人は飼いならされないから、組織では扱いづらい。

昨今では変人による変人に向いた企業も増えてきたように思うが、まだまだマイナーだ。

普通ぶらないことはマイナーなのだ。圧倒的マイノリティなのだ。

多くの奴隷の中で、数少ない自由人なのだ。

『マジョリティ+服従』『マイノリティ+自由』どちらが魅力的に感じるだろうか。

案外マジョリティを選択する人が少ないのでは無いだろうか。

多くの人は自由を求めていて自由人に憧れる。ただ、マイノリティになることを恐れているから選べない。

やったことがないから怖いのだ。『普通ぶること』や『服従』を求められないことは、

自尊心を守れる。自身を大切にできる。自分の自由を守れるのだ。

敵なんて幻で、兵隊も奴隷も服従も必要ないのだ本当は。

 

色眼鏡人の方から避けてくれる

 

嫌ってくる人は近寄ってこないという、シンプルにありがたいこと。

イヤなら寄らなきゃ良いじゃん?なんていう必要もなく、ハナから近寄ってこない。

そのためには見た目の変人感も大切である。分かりやすく変人ぽさを表現することは、親切である。

変人はキライだ、無理だ、って人と事故らないための安全柵みたいなものだ。

その点、私は金髪の利便性を気に入っている。

何なら刺青も入っているし、近寄り難いオーラを出すのも得意だ。

そういう親切さも併せ持っていると、愛すべき安全な変人としてこの世界でも生きていける。

 

おもしろいと興味を持ってくれる人が周りに残る

 

嫌だと思う人が寄ってこないと同時に、好きだと思ってくれる人が周りに残りやすい。

これもありがたいことで、呼吸のしやすいことだ。

変人にとっては呼吸のしやすいところは、普通人よりも少ない。

呼吸のしやすい環境は貴重で大切だ。変さを知った上で好きだという人というのは、

実に呼吸のしやすい環境になってくれる。そういう人を大切にすると良いと思う。

 

自分自身でいられるから軸ができる

 

変人は人に合わせない。あるいは合わせられない。これは大きなメリットである。

器用に合わせられるが故に、自分を見失っている人が6割はいるんではないか?

アンハッピーなことである、と私は見ている。

人に合わせるをしないというのはどういうことかというと、全てを自分で考えて選択し、

責任を負うということだ。ある人が「レールを外れると、全部自分で考えなきゃならなくなるんだよ!」と

言っているのを聞いて心底驚いたのだが、そうか、考えたくない人の方が圧倒的多数であるか、と納得もした。

責任だって、誰かにとってもらいたいのだろう。

私には無理だ。レールになんかうまく乗れないし、自分で考えたいしその上で納得したいし、

自分で選びたいし、責任をなすりつけるようなことは美学に反する。

ごめんちょっとディスってる。ダサいなーと正直思ってるもので。

 

以上、変人であることのメリットでした。

一般的デメリットの方も見ていこうと思う。

 

デメリット

・ジロジロ見られる

・色眼鏡人にバカにされる

・怖がって離れていく人がいる

・マトモと思われる人にしか任されないものは、任されない

・家族も変人の家族として見られる

・『普通』に所属できない

・ウザすぎたりコワすぎたりキモすぎたりして時々(あるいはしばしば)引かれる

・すべて自己流にカスタマイズしなければならないので、労力がかかる

・自由にする才能が育ってないと迷いだらけで辛くなる

 

 

もしかして過去にも変人のススメ記事書いていたかと思い、検索したら7年前の記事に出会い、

まだ変人開き直り切ってないような記事を見つけた。

母親というラスボス

 

変人の道も1日にして成らず、なのか?

天性のものが果たして大きいのか?

『すべてはベストなタイミングで用意されている』