『多様性(ダイバーシティ)』を大切にしよう、と耳にすることの増えた昨今ですが、
現状は言われているだけに留まっているなと感じている。
そもそも、マイノリティ当事者や関係者でない限り、その必要性にピンときていないのだろう。
でもピンとこない、のままにしておいても世界に優しさが増えないので、考えてみようと思う。
マイノリティであるが故に、理解されないことで苦しんでいる人が苦しまなくて済むように、
色々な人がいることを理解して受け入れよう、という主旨で言われているのだと理解している。
LGBTQなどがその例として筆頭に上がるが、性的なマイノリティ、脳の特性のマイノリティ、
感覚のマイノリティ、環境や状況のマイノリティ、
そういったいろいろなマイノリティの人が生きづらい世の中が現状であり、
その生きづらい人たちが声を上げ続けてきた成果として、世間への認知が進み、
多様性は大事だねって言わせるまでには持ってこれたのだろう。
文化人や若者の中では、その感覚が浸透している感はある。
でも社会全体に理解されるにはもう少し時間がかかりそうだ。
私自身はあらゆる面でマイノリティなので、
むしろマジョリティの気持ちが分からないことが多い。
マイノリティ、マジョリティに関わらず、人は自分と違う立場や性質の人のことは分からない。
人とはそういう生き物なので。
まず、この『人は分からない生き物だ』という前提の元に考えたいと思う。
もう一つ付け加えると日本の近代人においては、
『他の人も自分と同じ』という間違った幻想を抱きがちだという特性もある。
『人は分からない生き物だ』し『他の人も自分と同じ』と思い込みがちなのだ。
私だって例外ではない。
その特性を超えて、もっと多様性を受け入れよう、もっと優しい世界にしよう、
というのには知性を感じる。
そして、優しい世界はほとんど全ての人が望んでいると思う。
だけれどもそれを体現、自覚できていない人がほとんどだ。
どうしたら、多くの人が理解し、体現にまで持っていけるのだろう。
それはマイノリティ当事者がいかにうまく伝達できるかによるのだと思う。
分かっていない人に、他の人は自分とは違うのだよ、ということも織り込みつつ、
マイノリティの人の苦労がどんなもので、どうしたらそれがなくなるのか、
分かりやすく、押し付けがましくもなく、いじけた感も出さず、
優しく伝えることができたら、世界を優しくする当事者になれるだろう。
ハードルの高いことを言っているだろうか。
でも伝えずして理解してくれと言うのは無理な話で、
分かってくれないといじけることでは何も生まれない。
まずは伝えよう。
そして理解をしようと、耳を傾けてくれる多くの人の優しさが、
さらに理解を広めていくのだろう。そんな優しい人ばかりの世界だと信じて、
表現手段を持っているマイノリティの方々は、発信していって欲しい。
『すべてはベストなタイミングで用意されている』