私は『できなこと』を人に求めないようにしている。
なぜならできないことをちゃんとすることを求められたり、
できないじゃないかと指摘されるのが苦痛だからだ。
誰しもそうだと思っているがそうでもない人もいるようだ。
いつもならできるのに、できなくなる『時』もある。
心身がしんどかったり、タスクに追われすぎていたり、
コンディションが良くない時などがそうだ。
子育て中のお母さんもそうだろう。
現代のお母さんは無理な量のタスクを抱えてる。
自覚的に手放さなければ良いコンディションを保つのは難しく、
結果としてパフォーマンスが落ちる。
パフォーマンスが良い時にはできるのに、できなくなる。
当たり前のことなのだが、良いコンディションを保つことの重要性は注目されていない。
発達障害や精神疾患のある人、子育て中のお母さんはこの苦痛に共感すると思う。
社会のレールの王道を外れた経験の無い人は、
身近な人から学ぶ機会でも無い限り分からないのが普通だと思う。
私自身、妊娠して心身が思い通りにならない体験をするまで、
知識も無ければ想像力を働かせる機会もなかった。
「困りごとがあれば、どうすればいいか考えて、それを実行するだけじゃない?」と思っていた。
思い通りにはならない経験をしない限り、分かり得ないのだと思う。
発達障害はあり、人とは違っていたものの、
そんなに困り感を自覚したことがなかったので(感忘れていくだけ?)
最初に理解する機会となったのが妊娠だった。
以降、子育てやその中での震災体験を通じて、より理解が深まっていく。
大切な約束事なのに、どうにも遅刻する人が叩かれているのを見た。
単純に「遅刻するなんて最低」という意見を出す人は、若かりし日の理解する前の私と同じだ。
人には『できないこと。できない時』というのがあるのをまだ知らないのだ。
経験するのはどんな機会か。自身や大切な人に起きる大病か事故か震災か。
または体験レベルで響く書籍との出会いか。
分からないということも責められない。ただ、知識は渡せると思うのだ。
それは経験者の役割、大人の役割の一つだと思っている。
経験の無いものには分からないのだ、ということを知っておこう。
分からないということは、誰かに優しくできない、もしくは傷つけてしまうこともある。
そして優しさは巡り、かえってくるものだ。
優しい世界を生きたいならば、自らの優しさを体現して生きよう。
傷つけたいと思っていないのならば、いろんな感覚や認知や価値観の人が存在しており、
それを自分が全て分かることは不可能なのだと知ろう。
自分の無知を自覚して生きよう。
そしていろんな人の話を聞いたり知ったりする機会を持とう。
それが自らの豊かさや幸せに繋がることを、先人として伝えておく。
ネットには分からないことを分かっていない、残念な振る舞いの大人がたくさんいる。
同じ大人として、本当に申し訳なく思っている。
自分は誇れるような振る舞いをしたいと、日々精進中です。
まだまだ修行が足りない感じだし、知らないことだらけです。
『すべてはベストなタイミングで用意されている』