ストレスのはけ口となっている食

現代人は多くのストレスを抱えていて、

そのはけ口を食欲で満たしている。

ストレスのない暮らしをするには、

環境をストレスのないものにするのが第一歩だが、

そもそも、自分の心身が何にストレスを感じているのか、

そこから分かっていない人がほとんどだ。

ストレスこそが一番の望まない病気の原因の根本にいるのだけど、

なぜか皆ストレスに無頓着だ。

なぜなら、対処療法よろしく気軽にとれる溢れかえった食物で、

瞬間的に満たされた気持ちになるからだ。

だが根本にアプローチしない限り、

病は形を変え繰り返される。

 

うんこは自分の通知表

『食』は大切だ。体は食べたものでできていると言うが、その通りだ。

食べた食物は腸内菌たちの状態にダイレクトに影響を与える。

「うんこは自分の通知表」だと私は言うが、その通りだ。

腸内の状態、イコールその腸の持ち主の状態を表しているのだから。

腸内細菌の良さは機嫌や身体の調子の良さに直結し、

性格と言われるものはその菌の状態のことを表すと言える。

良い感じのうんこをしているヤツはいい感じのヤツなのだ。

私たちの肉体は菌の乗り物だとすら言えると思っている。

 

忙しさへの代償

そこまで分かっていてもだ。私は食べすぎる。

大食漢というわけではないが、自分の適量を超えて食べてしまう。

身体からの訴え「もう食べなくていいよ」を無視し、

欲望を満たそうとする。そう、何らかのストレスを埋めようとしているのだ。

と同時に、美味しそうなものの誘惑にも負け続けているのだ。

この冬も負けた。

秋口から蓄えた過重脂肪は3キロを超え、次男に「そんなに?!!!」

という驚嘆の声を出させた。完璧なまでの敗北だ。

春から夏にかけて脂肪を返上していくのが毎年のルーティンだ。

つまりは毎年敗北している。

 

何がストレスになっているのか。

私が把握しているのは『忙しさ』だ。

普通の人に比べたら、呑気なもんだぜライフを送ってはいるものの、

現代社会と決別しているわけではないので、どうにも巻き込まれてしまう。

そして自らの多動や衝動性が引き起こしたスケジュールにも、同様に巻き込まれていく。

「忙しいのなんてイヤだ!食べすぎるのなんてイヤだ!」身体は訴え続けているのに、

なんて言うことを聞かないのだろうか、私は!

 

 

本能が欲する量は?

去年の天才合宿、海でのサバイバルでは飢えたかった。

ちゃんと飢えて本能を動かし、自分の身体の望みと行動のズレを修正し、

適量の適した食物で過ごしたかった。切に。

ところが!現地で収穫した食物以外に、

保険として持参していた芋や小麦粉を実に美味しく楽しくクッキングしてしまい、

望みは叶うことはなかった。。。

弱い、なんて弱い人間なんだろう。

これでも割と意思は強い方だと思っていたのだが、

だからきっと多くの人はもっと弱いのだろう。

そもそも飢えたいとか本能を動かしたいとか思わないだろうし。

でも私は知っているから。真に健やかでありたいならば。

真に自分で在りたいならば。真に幸せを感じたいのならば。

食べ過ぎていては無理なんだ。

だからこそ挑戦をやめるわけにはいかない。

 

人間は弱い


弱い人間に必要なのは、誘惑のない環境だ。

溢れかえった食物のない、適量を現してくれる自然の中だ。

追われるスケジユールもなく、向き合うのは自然の中にいる自分自身。

時に自分を鏡のように写してヒントをくれる他者。

まさに、健やかで幸せである答えを見つける環境だ。

なぜ普段からそのような環境に自分を置けていないのか。

言い訳は幾つもある。今は置いておく。

まずは限定的にでも、自身にそのような時間と環境を作ってやることからなら始められる。

最初の一歩は息をするようにできるくらいの軽いステップが良い。

 

主観でしかない世界


人間は主観と感情の生き物でしかない。

そこの主たる部分に響かせないことには、

自身の人生に変化は加えられない。変化を加えられることができたら、

そんなに大きなことはないのだ。そして、それだけの響きを与えるものは、

大きいだけあって、大概は大きな痛みを伴う。

人生でそうそう何回も食らってはいられない痛みだ。

望んで起きることでもない。私の人生で言うならば、

『大災害』『子どもに関する悩み』『離婚』『大切な人との決別』

などといった経験がそれに当たる。

どれもめちゃ食らう、激痛イベントだった。

かけがえのないイベントだとも言える。

だけども、もう少し痛みがなくて、

でも変化できる機会は作れないものだろうか。。。?

 

考えた末に生まれた装置


そこで私は考え、装置を生み出した。

それが、『天才合宿』なのだ。

基本的は、まず子どもの力を借りる。

そうして大人は整い、子どもも尊重される経験をできる。

つまり天才合宿は、人生をより健やかで幸せにするための装置であり、

痛みの少ない揺さぶりによって、むしろ楽しいバイブレーションによって、

人を変化させる装置なのである。

そのあたりの仕組みも、もう少し広くアウトプットしていこうとは思う。

してきたつもりでもあるが、何度でも。

 

 

 

『すべてはベストなタイミングで用意されている』