CSと診断され7年 たわいない日常を軸に
CSというフィルターを通して世界がどのように見えているのかを綴ります
CSの方も そうでない方も
こういう人もいるんだなという感じで気楽に読んで下さいね
※このブログでは読みやすさを考慮し化学物質過敏症をCS(Chemical Sensitivityの略)と表記しています。
毎年9月に行われる地域の秋祭り。今年も規模を縮小し、お神輿なしでの開催でした。
私が秋祭りで、初めて神輿を担いだのは、10歳(小4)の時でした。
子ども用の小さな神輿だから、たいして重くもないだろうと軽ーく考えていたら、思った以上にと言うよりも、予想をはるかに超えて重い。
綿のクッションを巻いているはずなのに、すごく固い。担ぎ棒が右肩に食い込むように痛い。
担ぎ手を一人でも多くするためか、前後の子たちと胸と背中がピッタリくっつくほど、ギュウギュウに配置され(…これが汗ばんでくると何とも気持ちが悪かった)
高さを合わせるために、腰を落として膝を曲げなきゃいけない。
歩こうとするとお互いの足がぶつかるので、当たらない位置を探っていくうちにガニ股になり、5cm10cm刻みでチョコチョコとしか前に進めない。
平日の午後、学校を早退できてラッキーぐらいにしか思っていなかった私は、
神輿というものの奥深さ(恐ろしさ)を初めて知り、それはそれは大きな衝撃を受けたのでした。
「い″ゃ″あ″ーーー!!!
何この羞恥プレイ!!何この恥ずかしい格好!!」
心の中は阿鼻叫喚地獄。
町内を一周し、出発地点の神社へ戻る頃には、今まで味わったことのない疲労感からすっかり放心状態。
「甘かった…甘く見過ぎていた…たかが子ども神輿と見くびっていた…」
と訳の分からない敗北感に打ちひしがれ、
「もう二度とぜったいに神輿はやらない!!」と固く心に誓ったのでした。(その1年後も2年後も神輿を担いだけど…)
まさにこんなイメージだったのに…
子ども神輿が神社の境内に到着し、そこで待っていたのは大勢の大人たちの笑顔と、拍手と労いの言葉、そして、たくさんのおにぎり
一口食べた瞬間、身体にピリリと軽い電流が走りました。
「えっ…何これ…お、美味しーーい!!!」
モノクロだった世界から一気にカラーの世界に変わったような
天動説だった世界から地動説の世界へ変わったような
今まで美味しいと思って食べてきたものは、一体何だったのかと思えるほど、
身体がゾクゾク震えるような、とてつもない感動を覚えたのでした。
町内のお母さんたちが、自宅から少しずつお米を持ち寄り、社務所のお台所でおにぎりを作り、子どもたちに配ってくれたおにぎり。
ごま塩を振って細長い海苔を巻いた、梅干し入りのシンプルでオーソドックスなおにぎり。
それ以降、私の好物になりました。
あれから40年。たくさん美味しいものは食べてきたけれど、10歳の時に食べたあのおにぎりよりも美味しいと思えるものには出会えていません。
もちろん誰かが自分のために、心を込めて作ってくれた料理は感動するし、ありがたいと思うけど、
10歳の時、魂が震えるほど感動した、世界がひっくり返るぐらいの衝撃を覚えた(…ちょっと言い過ぎかな)おにぎりは、ずーっと私にとってはダントツで1位なのです。
その他の美味しい料理は、2位3位にしかならないのです。
どんなに高級食材をふんだんに使った豪華な料理でも、どんなに世界的に有名なシェフが作った料理でも、有名なパティシエが作ったスイーツでも、2位3位にしかならないのです。
これからの人生の中で、それを超える料理に出会うかもしれないし、出会わないかもしれないし、出会わなくてもいいんじゃないかと思います。
そんな思い出を持つことのできた自分は、幸せ者だなと思います。
ちょこっとフォトギャラリー
整然と並んだ稲架(はさ)掛け
最近は見かけなくなったはさがけ。郊外に足を延ばしてみると…まだあった!…ちょっと、感動。
一本の棒に巻き付けるような掛け方は、棒掛けとか杭掛けとか言うらしいです。
稲穂わさわさ
杉の木越し太陽
スマホのカメラで撮った杉の木
…こういう光のいたずらが好き
沼辺のススキ
夕暮れ時