ごきげんよう。えの字です。
こちらに引っ越してきてから図書館が遠くなってしまったので
公民館の図書室で本を借りることも増えました。
図書室は蔵書数が少ないこともあって
タイトルを聞いたことのあるヒット作の小説や
わかりやすそうな実用書などが中心のラインナップです。
そこで目に留まったのがこちらの『もう親のことで悩まない本』
私たち30~50代が親と接するときの心構えについて説いた本です。
でも、この本を読んで私がギクッとしたのは娘と自分の関係についてでした。
というのも最近、小6・11歳の娘が私に対して
けんか腰の突っかかるような言い方をしてくることが多く、
それにつられて私の方もけんか腰で返答してしまうと感じていたからです。
以下は私がこの本を読んで印象に残った箇所の抜き書きです。
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無意識の領域から捉えると、それぞれに起こっていることは、
自分に関していえば、誰の責任でもなく、すべて自分が選択した結果です。
もし親が、あなたの目には“悲惨な結果”のように映るとしても、それは、
決してあなたのせいではなく、親自身が、そんな人生の結末を、
自分で用意しているといえるでしょう。
例えば、あなたがもし、親を見捨てると決めたとしたら、
そう決断したくなる理由が親にあるからでしょう。
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親がどんな人生を歩んでいるのか。もし自分の両親を
尊敬したくなるようであれば、あなたも、そんな人生になるでしょう。
子どもは家庭でみんなと一緒に暮らしているうちに、
家族の言動パターンを学習します。
ですから、親がポジティブな言動パターンで動いていれば、
自分自身もすでにそんな言動パターンを身につけているので、
自分の人生においてもポジティブな選択をしていく可能性が高いでしょう。
▪
「愛する」にも「愛される」にもさまざまなスキルが必要です。
ポジティブなスキルを学ぶのか、ネガティブなスキルを学ぶのか。
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自分がどんな言語を使っているかに気づかない人が少なくありません。
それが癖になっていると、知らずに、使ってしまっています。
単に、「でも」という言葉を使わないように努力する。
「そうだね」、と一言、言ってみる。
こんな言葉の置き換えだけで、親子関係がいっぺんするということも
あり得るのです。
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自分中心の人は、自分を大事にできるからこそ、他者をも、
自分のことのように大事に思える共感能力があります。
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「他者中心」の言い方:
「なによ、仕方がないでしょう。私が行かなきゃ、誰もいないんだから。
それとも、あなたが代わりに行ってくれるの」
「自分中心」の言い方:
「あなたにも負担かけてしまって、ごめんね。
でも、もし、実家で何かあったら、私、後悔することになると思うんだ。
だから、あなたには、協力してくださいってお願いするしかないわ。
…いつも、ありがとうね」
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誰もが必要としているのは、「愛」や「いたわり」です。
そこに満足感や、生き甲斐や希望が生まれます。
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はじめて聞く話ではありません。
「子は親を映す鏡」とはよく言われることだし、
今の自分はこれまでの自分の決断の結果、というようなことは
丸っきり同じ言い回しではなくても似たような考え方は
よそでも聞いて知ってはいます。
でも日々の慌ただしさにかまけて忘れてしまっていました。
他者中心の言い方/自分中心の言い方の例えもとてもわかりやすくて。
「自分中心」というとわがままなのかと思ったらそうではまったくなくて、
自分がどうしたいか、その芯の部分を大切にして行動するということでした。
相手とどういう関係を築きたいのかは自分で選べる。
それを叶えるためにまず自分から行動していく。
私は娘と言い争いたくなんてないし、平和に過ごしたい。
仲良くありたい。
変な気遣いは不要だけど、お互いを思いやれる関係でいたい。
娘のことを大切に思っているのだから、
それをわかりやすくシンプルに本人に伝えたい。
自分がしたい方向とは真逆の行動を取っていたことに
本を読み進める中で気付いて愕然としました。
娘の言い方に腹を立てて、あなたが悪いんでしょ、とばかりに
カッとなって言い返していましたが、そんなことをしている場合では
ありませんでした(;´∀`)
自分は娘にとってどんな母親でいたいのか、どんな関係でいたいのかが
頭に浮かぶようになると自然とやさしい行動が取れるようになりました。
必要なのは相手をなじることではなくて、
同じことを繰り返さないために今この時点から出来ることを
一緒に考えること。
今の私に必要な言葉に出会えて、
憑き物が落ちたというのか、我に返ったというのか、
とにかく急に視界がクリアになりました。
三日坊主にならないように気を付けないと。笑