あの日のことを書いてます。
読みたくない人は閉じてください。
記事を読んでから「読みたくない物を出すな」と言われた経験がある以上は、どうしてもためらいもありますので。
読んでからの苦情は一切お断りします。
 
 
この記事は、アメンバーにしてましたが、いろんな方から連絡が来るので。
状況を細かく書いているこの記事を出すことにしました。
個別返信は出来てないのですが、ごめんなさい。
今日、ログインして自身のブログでこはくに触れてくれてる方々を見ました。
いいねも押せず、コメントも出来ずですが、貴重なページを使ってくれてありがとうございます。
 
今日、埋葬しました。
昨日は一晩一緒に居ました。
色々まだ書きたいことはありますが、気持ちが整理できてからにします。
病気に負けないように・・と思ってもらった薬が手元にそのままあって。
まだ気配を感じることがあって。
色々複雑です。
 
 
コレがこはくの最後の闘病記事になるかと思います。
 
12月。
造影剤の検査をするため、こはくは一泊入院しました。
その日は大きな腫瘍があって、腹水はあまりなく、腸管を圧迫しているという結果でした。
 
そして、あれから、薬で対処して一時53gあった体重が47gぐらいに落ちてきてました。
 
でも、今月に入った頃からちょっとずつ体重は増加傾向にあり。
先日におなかの写真を載せたときには60gを越えてました。
(おなかの写真は結構アレなので、全体公開はしません。。ごめんなさい。)
 
病院が今月は休みだったりも多いし、自分の気持ちのこともあって、父と一緒に行ける日。
と言うことで、今日の通院を決め、一縷の望みをかけて朝7時に家を出ました。
9時半の開院とともに病院に預け、万が一の時の書類にもサインをしました。
そして、病院からの連絡を待つため、近くのイオンに待機してました。
 
14時過ぎに連絡が入り、15時に迎えに来て欲しいと。
今日も、造影剤を入れてみたけど。
出血性の腹水で、抜くことは出来なかったと。
 
止血剤と、抗生剤、利尿剤などをもらいました。
私の顔を見てホッとしたのか、ご飯も食べ始めて。
帰り道、父が運転をしてくれたので、出たがっていたから抱っこしました。

 

いつも通り、甘えん坊で側に来たがって。

鼻を囓ったりもしてました。

 
(コレが最後になるとは思わなかった)
 
でも、今日は寒かったし、雨も降ってたし。
父の脳梗塞のこともあるし、私が側に居るとこはくが出たがって逆に体力を使うんじゃないかと思って。
途中で父と交代して運転しました。
 
帰ったらすぐ保温できるように、朝からこはくの部屋のエアコンはそのままにしてたし、ご飯なんかもセットしてて。
すぐにおうちに帰ったら、ご飯を食べさせてちょっと甘えさせてから寝かせようと。
 
 
今日は、卯月も長時間になるので連れてきていたので。
父は卯月を抱っこしてました。
後、おうちまで30分ぐらいのところで変な音がしたんですよね。
だから、こはくのプラケースを見て、って父に言いました。
父は、こはくは床に降りていると。
(その前は止まり木にもあがったり、床に降りたりしてました)
 
とりあえず、早く帰ろうと。
帰り着いて、プラケースを降ろしてこはくを見たら。
もう旅立った後でした。
 
あのまま抱っこしてあげていたら良かった。
父に任せずに、私が側に居たら良かった。
どうして大丈夫だと思ってしまったのだろう。
 
そもそも、今日は気温も下がってきてて雨だったし。
前回ダメだったのだし、連れ出したことが良かったのかどうか。
 
後悔ばかりです。
 
明日も大好きだと伝えたかった。
明日もおはようって言いたかった。
囓られても、痛くても良かった。
 
明日からどうして良いかも分りません。
いまだに整理も付いてません。
 
でも、コメントにはこはくが旅立ったことを知らない人たちからも応援が来てたり。
メールやラインも来ていたので。
あのような報告になりました。
でも、あおいの時もたくさんコメント来たけど、いまだに返せてないので。
今回はコメント閉めました。
それでもたくさんメールやLINE、メッセージが来たのだけど。
全部には返せてないです。
 
何か、地震があったらしくそのメールも来てたのだけど、それも返せてなくて。
 
しばらく、ブログを見るのも辛いので、離れようと思っています。
今日は、こはくとずっと一緒に居ます。
 
色々感じ取るかとは思いますが。
どうぞ、そっとしておいてくれたらありがたいです。
本当に、今までたくさんありがとうございました。
 
お悔やみ品など、本当にいらないので大丈夫です。
 
本当にイイコでした。
あんなに優しくて、甘えん坊で、手がかからない。
あんなに良い性格の子には、もう会える気がしません。
もちろん、手のかかるあおいも可愛かったけど。
 
わずか5歳。PBFDを克服して。。。
でも、鳥生の半分が病気との闘いだったのは、本当に可哀想でなりません。
 
本当にたくさん交流してくれてありがとうございました。