碓氷峠鉄道文化むら&アプトの道 ⑨ | 遠くで汽笛を聞きながら

遠くで汽笛を聞きながら

鉄道大好きなあたし、葵ちゃんのブログへようこそ。

さすがに三夜連続で帰宅がこの時間てのもかなりですわ。

年末最後のパーティも2/3はソフトドリンクで体を労わってきました。

てか、もうしばらくアルコール類は No Thank You な感じかも、あたし的に。

いくらなんでも飲み過ぎよねぇ・・・。カラダも壊れるワケですよね。

これではいけませんて感じでお風呂ゆず湯にして入ったんだけれど、

うとうと眠りに落ちて危うく溺れるところだったあたしです。


そんな感じの年末年の瀬を過ごしてきたあたしですけれど、

2011年、最後の更新ですわ。

シリーズ「碓氷峠鉄道文化むら」、その第9回目です。

今回も展示車の中から2種類、レアな車両をご紹介いたしますわ。




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一般型気動車 キハ20-467 帝国車両製


はずはキハ20系気動車(ディーゼルカー)、その標準塗色をご紹介します。

このキハ20系、昭和32年に誕生した一般型の気動車で、それまでのキハ17系の後継車両です。

従来の気動車に比べると車体が大きく、乗り心地や居住性などが大幅に改良されました。

この形式は累計で1126両が製造されて、両側運転台、片側運転台、旅客郵便荷物合造車、

北海道型、エンジン2基搭載タイプ等々、さまざまなバリエーションがありました。

またカラーリングも写真の標準色のほかに朱色一色の「首都圏色」、

紺地にクリームラインの「横須賀色」と、3つのパターン塗色が存在しました。




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一般型気動車 キハ20-467 帝国車両製


キハ20の車内風景です。

クロスシートの雰囲気といい、天井の扇風機といい、時代を感じさせますわね。

扉付近のシートの背に取り付けられた灰皿や扇風機には国鉄時代の「JNR」ロゴが。

網棚の網がボロボロなのは目をつむるとして、こういうデザインが新鮮だった時代があったのですね。

この写真では解りませんけれど、「チャレンジ20,000キロ」のポスターが車内広告で貼られてました。

みなさまご存じですか? かつて「チャレンジ20,000キロ」って企画があったこと。

いったい全国で何人くらいの方がこれを達成したのでしょうね?

あたしは1人だけそれを達成した人を知っております。




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直流電気機関車 EF62-1  川崎重工製


お次はご存じ「信濃路のクライマー」、EF62型、そのトップナンバー1号機です。

デビュー当時のぶどう2号(茶色)塗色で、紺地にクリームのいわゆる「国鉄色」に慣れちゃった目には

新鮮な感じがしますよね。

このEF62型、碓氷峠のアプト線廃止にともなって製造された電気機関車で、

横川 - 軽井沢間では補助機関車EF63型と協調運転が出来て、

この区間を通過する旅客、貨物列車牽引に活躍しました。

急勾配を克服するためのさまざまな機能を搭載し、さらに新型電機では唯一のC - C台車でした。




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直流電気機関車 EF62-1  川崎重工製


区名札は高崎第二機関区時代の「高二」ですね。

てかこの「高崎第二機関区」って言葉の響き自体懐かしいですわ。

DL・DC系の「高崎第一機関区」(高一)とEL系の「高崎第二機関区」(高二)がかつて存在していたのです。

今では統合されてJR東日本所属が「高崎車両センター高崎支所」に、

そしてJR貨物所属が「高崎機関区」と名称が変わっていますけれど、

やっぱりあたし的には「高一」「高二」の方がしっくりくるんですよねぇ。

ちなみに新型電気機関車もEF63型まではオリジナルは旧型電機と同じくぶどう2号塗色でした。

高崎支所にあるEF64の0番台2両、そして1000番台1両がぶどう2号塗色の茶ガマですけれど、

実はあれはオリジナルではないんですよねぇ。ロクヨンはデビュー時から紺にクリームの国鉄色ですからね。



さてさて、2011年もいよいよ今日1日を残すばかりですわね。

8月の後半に立ち上げたあたしのブログにここまでお付き合いしてくださった全てのみなさまに感謝ですわ。

好きな車両や列車の写真をUPして、好き勝手にうんちく語ってるだけのあたしですけれど、

2012年もお付き合い頂けたら幸いです。

それではみなさま、良いお年をお迎えくださいね。

そして素敵な1年がみなさまに訪れることを切にお祈りいたしておりますわ。

え、あたし? あたしは元旦から北斗星の1レを撮影しに上京する予定です。