セックス、について考えていました。またしても。
一番にくるのは、やはり愛の行為であるということです。
肌の触れ合い。体温。体液の交換。味。匂い。息遣い。吐息。相手のエロ顔を見る。オー○ズム。
耳元で囁く愛の言葉。
考えてみると、五感への刺激が多いけど「快楽」というよりも、抱かれたあとの幸福感が強く心によみがえります。
あの満足感、幸福感がまた欲しい。たぶん私がセックスに求めるのはそれなのでしょう。
それと、おかずでよく思い出されるのが旦那様の息遣い。そうです。興奮してるときの、雄の「ハアハア」です。挿れたくて下半身の突起を押し付けてきたり、手をとって握らせてみたり。おねだりして舐めさせてみたり。その間ずっとハアハアしていた旦那様。ちなみに旦那様はそこしか感じないと言ってました。
焦らされてタラリと伝っていくカ○パーの雫が愛しい。紅潮した顔。私を見つめる目つきのエロさ。ピストンしながらダラダラと流れる汗。その全てが「女として求められること」その実感なのです。
私の前で雄になる旦那様。そんな旦那様がもう一度見たいっていうのもあると思います。私を下にして見つめて「愛してる」と何度も言ってくれました。しかし、その響きはあまりに遠い記憶です。
今は・・・愛は信じるだけで、もう確認のしようがないw 自分でアンテナを張って「してくれることに気づく」という方法。今はダメじゃないと思えるようになったし、僻んでもないけど、ただ時々ちょっぴり寂しいのです。
「夫婦はセックスだけじゃない」けど、5年もないっていうのは私には不自然です。それがわかってるから、たぶん今まで誰にも言えなかったのよね。性欲のある私には、セックスの持つ「お互いの五感を刺激できる」という魅力があまりに大きすぎます。
ただ単純に愛しい人の体を優しく撫でて舐めてあげたい。テクニックとかそういうこと全部忘れて、ただそれだけのことで、たぶん本能です。それなのに、メンタルとかストレスとかプレッシャーとかデリケートとか。(どうでもいいけど、横文字が多めだ。)いつの間にどうしてこんなに難しいことになってしまったんだろうと思います。それに、どうして私はこんなに泣かないといけないのか、と。
ところで、昨日は不安の大波がやってきたので、わーん!と泣いて、テレビを見ながらうたた寝している旦那様を起こしました。旦那様は寝ぼけて『俺、疲れて寝てるのに。一体どうしたの?』と言ってました。「旦那様の赤ちゃんが産みたい。」と私。
旦那様に頼んで『大丈夫だよ。赤ちゃん来るよ。』と言ってもらい、頭を撫でてもらいました。よく眠れました。困らせたいわけではないですが、ときどき旦那様に助けて欲しい。こういうの溜めないほうがいいです。どのみち子供に関しては、あと1年ちょっとしかチャレンジ期間ないですから。
そして、私の不安のポイントは最近わかってきました。レスについて「信頼している人の意見を聞くこと」と、「お天気」と、「女の週間」です。うーん。「意見」は聞かなきゃいいor聞き流すだけにするとして、「女週間」と「お天気」はどうしようもないですね・・・。(天気は雨や曇りがよくないみたい。)全くどうしようもないので、工夫を考えてみますw