佐賀住まい・福岡勤務の作業療法士の橋間葵です。



昨日、主人が勤めている法人のサービス付き高齢者向け住宅に住んでいる叔母の病院受診のために、久しぶりに叔母に再会しました。



コロナ禍においては、面会ができず美容室に連れて行く時だけ会う機会を持っていましたが、半年以上前から法人内の散髪を利用するようになり、会う機会がなくなっていたのです。



久しぶりに会えた喜びだけではなく、歩行の不安定さや認知症が進んでいることを実感し、一抹の不安を抱ながら病院を受診しました。



その感情とは裏腹に、叔母は久しぶりにわたしに会えた嬉しさを満面の笑みで表出し、病院受診のために有給を取ったわたしに気を使うような言葉を出し続けていました。



そんな叔母の表情を見て、久しぶりに会えたのだから、病院受診ではあるものの、気持ちよく過ごしてもらおうという気持ちに切り替えました。



▼ これまで叔母についてしたためた記事です。







現在の叔母は、1度股関節の手術をして、その後転倒して手術した股関節近くの大腿骨を骨折して保存的に治療しました。



また、尿便意が病気のためわからなくなっており、終日パットを使って生活しています。



病院について長い距離を歩くことに不安を覚えたわたしは、「車椅子持ってこようか?」と叔母に言いましたが、「歩ける!歩ける!」というので見守り歩行にて病院内を移動しました。



また、今日は胸部CTのみ撮影する予定で、叔母には事前に町医者から説明していたのですが忘れており、「おしっこの検査があるから朝だけトイレに行って後はずっと我慢している」と叔母が言うので「今日は尿検査はないからトイレに行っておこうか?」とわたしが叔母に言うと「大丈夫」と言うので尿の話題はやめました。



もちろん、わたしは叔母がトイレ内排泄はできないことを知った上でこのような対応を取りました。



病院受診も無事に終わり、帰りの車の中で叔母が見慣れたはずのスーパーを指さして「あそこにたくさん絵が書いてあるけどあれは幼稚園だったかね〜?」と尋ねてきました。



わたしは、「あれはスーパーだけど可愛い絵が書いてあるから幼稚園みたいだね」と叔母の発言に合わせた会話を行いました。



このようなやり取りを経て、叔母の住むサービス付き高齢者向け住宅に到着し担当スタッフに叔母を預けて叔母の病院受診の対応を終えました。



歩きたい叔母に対してわたしが無理に車椅子を持ってきたらどうだったでしょうか。



胸部CT撮影のための診察とは忘れていた叔母に、わたしが「今日は胸のCTの撮影だけって聞いてるでしょ!」と言うと叔母はどんな気持ちになるでしょうか。



また、見慣れたスーパーを幼稚園と思った叔母に「何で?昔から見ているスーパーでしょう!」と言うとどんなに傷つくでしょうか。



複数の病気やケガの経験を重ね、年とともに認知症が進んでいる叔母は、自分自身の体の能力を把握することは難しく、記憶障害を主とした認知症によりさまざまなことを覚えておくことが難しくなっています。



そのような叔母の発言を否定したり、大事にしたい思いをわたしの勝手な都合(今回でいうと転倒させたくないから車椅子を使いたいという気持ち)でねじ伏せてしまうと、叔母はどれだけ傷つくでしょうか。



ひとりひとりの想いを大切に、その人がやりたいことをサポートすることは、作業療法士のわたしにとって普段のリハビリ支援では当たり前だと思って実行しています。



今回、身内である叔母に対しても同じように叔母の想いを大切に、叔母がやりたいことをサポートするような対応を取りました。



口では簡単に「相手の自尊心を傷つけないように」と言いますが、とても難しいことで心の鍛錬が必要です。



久しぶりに叔母の病院受診を通して、またひとつ大切なことを学びました。



学びはいつでもどこにでもありますね。



☆*:.。.最後まで読んでいただきありがとうございました.。.:*☆