おはようございます☀
映画「安楽死特区」を観ました。
以下、ネタバレありです。
医師で作家である長尾和宏さんの小説「安楽死特区」が映画化されたものです。
日本で安楽死法案ができ、東京のある地区を「安楽死特区」とし、安楽死を希望する人が入居できる施設が作られました。入居費用は200万円だとか。そこでの話です。
主人公のカップルは回復の見込みがない難病を患い、余命半年と宣告されたラッパー・酒匂章太郎と、彼のパートナーでジャーナリストの藤岡歩です。安楽死法に反対のふたりは、特区の実態を内部から告発することを目的に、国家戦略特区「安楽死特区」への入居を決意します。更にそこで出会う2人の安楽死希望者を軸に話は進みます。
認知症のおひとり様の女性は幼くして亡くした息子のことを忘れる前に死にたいと願います。
本人や家族、最終判断に関わる医師達の苦悩が描かれています。
章太郎は施設で過ごして体調が悪くなるにつれて、安楽死の方へ考えが傾いていくのです。
「人生会議」という言葉が何度か映画の中ででてきました。章太郎が「今のうちに人生会議をしよう。」と歩に言うのですが歩はこの提案に向き合いません。
この映画を観ながら「安楽死はありか、なしか。」はやはり考えました。
治る見込みのない、痛みがずっとあるような病気で余命宣告された当事者なら安楽死はありなのかもと思いました。
一方で家族や医師などは当事者が「安楽死」という選択肢があることで精神的苦痛を得る人もいるような気がします。「安楽死」を選んだことで幸せになる人がほとんどいないんですよね。しんどい人を増やすような制度って果たして必要なのでしょうか。悪用されたり社会の秩序がおかしなことになりそうな気もします。
「個人」の意見は尊重されるべきだと私は思いますので、人生会議、ACPをして治る見込みのない病気になった人が積極的な治療をしないことを選んだ時は尊重した方がいいと考えますが、そこに「死」という選択肢までいれるのは非常に難しい問題に感じました。
映画の最後にあった安楽死を途中でやめた女性のインタビューも考えさせられるものでした。
↓はその女性について詳しく取材した記事です。
親の「娘に生きて欲しい」と思うエゴは愛情だから当事者は悩み、そのエゴに苦しむのかなと思います。治らない難病を抱えている人には「安楽死」という選択肢はもしかしたら希望なのかもしれません。
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