普段の生活の中で、心がときめく時間は、どれだけあるだろうか。
いつもの日常の中で、瞳がきらめく時間は、どれだけあるだろうか。
今の毎日の中で、過ぎ去る時間は、輝いているだろうか。
たった一度きりの人生、“自分色”で描くことができているだろうか。


会社員を辞めて、自由な時間が一気に増えた。
以前は朝起きて、朝食・支度を済ませて、満員電車に押し込められて出社。
それから仕事、打ち合わせ、仕事、仕事、束の間の昼休み、そして仕事、打ち合わせ、仕事の合間に夕飯、気が付けば残業に突入。
その後、くたびれた心と体を引きずって帰宅して、お風呂に入り、一日で一番ぼんやりする、暫しのまったりタイム。
SNSのタイムラインを追っているうちに、あっという間に寝る時間。
明日、やらなくちゃいけない仕事の内容を考えて、憂鬱になりながらも就寝。寝たと思ったら、もう次の日の朝…これが、平日5日間の繰り返しだった。


それに対して休日はどうだったかというと、会社に行かなくて良い今と、そんなに変わらない。
朝5時には起きて、軽く運動して、ちょっと勉強する…これが私の“朝活”だ。
その後、英語の勉強を兼ねて海外ドラマのDVDを観ながら、ゆっくりと朝食。
片づけやお掃除、お洗濯などの家事を済ませたら、勉強をするために9時過ぎには勉強カフェへと出掛ける。
勉強カフェへ出掛けたら、帰宅するのは早くて夕方、遅いと夜10時~11時過ぎで、その間は勉強や読書、気分転換に本屋へ行ったりして過ごす。
こう言うと、大抵の人たちから「すごいね!」と言われた。
でも私は正直、「そうかな~?別にすごくないけどな…」っていう感想だった。
周りからは大変そうに見えるけど、私としては自分が好きでやっていることだから、それほど辛くはなかった。
それよりも寧ろ、例え忙しくなくても、会社で仕事をする方が数億倍、苦痛だった。
この違いは、一体なんだろう?


それは時間に対して、“自分がやりたい!”という主体性があるか、無いかの違いじゃないかな~。
以前は、「やりたくないけど、やらなくちゃいけないこと」や「やらされてる感」が満載の時間を過ごしていた。
それはとても嫌な気分だったので、何とか自分のために「コレは後で、自分にとってプラスになる!」とか「頑張れば、いつか報われる!!」と無理やりポジティブ変換を試みてはみたけど、以前の仕事では限界があった。
それで辞めて、今に至っている訳だけれど…。


それでも今はまだ、理想の時間は過ごせていない。
上手く言葉にもできないのだけれど、濃い霧の中に漸くぼんやりと浮かんだ影を追いかけているような…
抽象的で、ハッキリしない状態。
正解のない“答え”を、必死に模索している感じ。
本当はもっと、自分にしかできない役割を見つけて、私らしく生きることで、自分も周りも幸せにしたい。
今、言えるのは…
もっと、夢・理想を具体的に描いて。
それに対する、自分の現在地を知って。
そこから、夢・理想に近づくためにはどうすれば良いのかを考えながら、一つ一つ実行していく。

今年の年明けに決めた行動指針である、“動きながら考え、心が感じるままに動く”を実践していく。
正直、自分でも曖昧でハッキリしない今の状態は、焦るし不安もある。
ちゃんと、途中で棄権せずにゴールまで辿り着けるのかな~…とか。
最後まで諦めずに、夢を叶えることができるのかな~…とか。
だけど―――
今はその道筋を、精一杯楽しもう♪


泣いても笑っても、1日は24時間。
幸せでも不幸でも、人生は一度きり。
どんな不平等に生まれても、いつか死ぬという事実の前には、誰もが平等。
私は、この限りある時間をどう生きよう?
そう、考えた時―――
普段の生活の中で、もっと心がときめく時間を楽しみたい。
いつもの日常の中で、もっと瞳がきらめく時間を感じたい。
今の毎日の中で、もっと輝く時間を過ごしたい。
たった一度きりの人生、私にしか出せない、“自分色”で描ききりたい。
そう、思った―――

 

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