こんにちは。

あおい堂鍼灸院の今泉です。

 

インターネットで円形脱毛症を

検索してみると

本当に多くのサイトが出てきます。

西洋医学的なものから

スピリチュアル的なものまで

多種多様です。

 

そのような中で『髪者血之余也』と

記載されたサイトに時々出会います。

そこでは大抵の場合、

髪は東洋医学では

髪は血の余りであるから云々。

と書かれています。

この「髪は血余」というワード、

『本草綱目(ほんぞうこうもく)』という

医学書に記載された髪の解説文の

一部なのですが、

私は少し疑問に思えるところがあります。

 

その疑問点は『髪者血之余也』の

本文ではなくてこの解釈の方です。

「髪は血の余りなのだから

円形脱毛症を治したければ

余るほど血を増やしてやるように

しなければならない」

と書かれていたりするサイトもあります。

これは本当に正しいのでしょうか。

 

私にはこの記載、

本末転倒だと思えるのです。

東洋医学治療の本質は

気血など身体の要素を

『中庸(ちゅうよう)』に

近づける事であると私は考えています。

中庸とは様々な意味の解釈が

有ると思いますが

私の頭の中では

程々に丁度良く過不足が無い状態です。

丁度良く過不足が無いのが良いのに

敢えて余らせるとは何事かっ!

と感じてしまうのです。

実際鍼灸の中では

余った余分なものは

『実(じつ)』として

処置の対象です。

 

ここで血虚(けっきょ:血の働きが弱い事)治療との

違いも書いておきたいと思います。

血虚の治療は勿論血の働きを

増させる事ですが

これは血を余らそうとするのではなく

少ない血を補う方針です。

ここが単純に増やそう、

増そうとする事との違いです。

 

 

ではこの『余』と言う漢字は

如何に解釈すれば・・・?

ネットで引いてみましょう。

そうすると「豊か」と言う意味も

あります。

私にはコレっぽいように思えます。

『豊か』は『余分』とは意味が違うと感じます。

 

また漫画とかで殿様や王様が

「余は満足じゃ」なんて言う台詞がありますね。

これの場合、

余は自分と言う意味でつかわれています。

王様が自分を指し示す言い方で

『一応大名の家の跡取りなんて言われていますが

自分程ケチな奴は見た事ねぇんで……、

自分なんて所詮はこの世の余り者みたいな者でやんすから

自分自身の事は余分を意味する余にしまっせ。ヘぇ』

などと言うでしょうか。

よっぽど謙虚か卑屈な王様なのでしょう(笑)

一人称に使用されるという事は

「髪とは血そのものである」

この様に解釈することも

できるかもしれません。

文法的に正しいかどうかは

凄く詳しく調べたわけでは無いのですが・・・。

 

 

と、このように髪は

いくら血余だからと言って

余らそうと意図する行動(デモドウヤッテ?)は

健康への道から外れようとする事と同義です。

あくまでも「血の働きが豊かである」状態が

髪に現れる。

と解釈したいです。

 

 

 

くどいようですが

血は陰、気は陽です。

陰である血をどんどん増やそうとするのは

50ccのスクーターのエンジンに

戦車のエンジンを冷却するラジエーターを

取り付けようとするようなものです。

オーバークォリティでスクーターは

オーバークールに陥り

オーバーな重量で

スクーターはしっかり走れないでしょう。

 

モノは程々が丁度良い。

これこそが中庸です。

一つの要素だけ長じさせるのは

東洋思想ではありません(きっと)。

故に東洋医学でもありません(たぶん)。

結果として程々な

『丁度良い』にする事こそが

髪にも良いのだと思います。

目指すは中庸です。

 

参考にしてみてください。

そして、

此方も見てみてください!

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