『なにごともなく、晴天』(著/吉田篤弘)
何かのレビューで「心が疲れている時には吉田さんの本を読む」とあったが、読み終わってその気持ちがよく分かった。
うまく言えないけど、なんかいい。
ドラマチックな展開とは縁遠いストーリーなのに目が離せなくなり物語に静かに嵌ってしまう。
終わるのが勿体ないと久しぶりに思えた一冊だった。
舞台は鉄道の高架下商店街〈晴天通り〉。
毎日数分おきに通過する電車に揺られながら、昭和な雰囲気をたっぷり残した古びた商店街である。
ここに(たぶん)資産家のむつこさんから引き継いだ店に住み込みで働いているのが主人公の美子だ。
この店は特殊である。
仕入はむつこさんの家にある蔵から持ち出した物。なので仕入費はかからない。住み込みで働いているので家賃もかからない。
贅沢をしなければこの高架下で全てが済んでしまうのが美子の日常だ。
この、何でもない日常を読んでいると不思議と心が凪いでくる。
これが吉田文学の癒し効果なのか、と思いながら淡々とページを捲る手が止められなくなった。
話は変わるがこの小説には不味い珈琲と美味しい珈琲が頻繁に登場する。
珈琲そのものに重きを置いている話ではないが、私自身が珈琲に反応してしまうから余計に目に付く。
元探偵のヤエガシさんは美味しい珈琲巡りが趣味というから、ぜひとも彼女にお勧め珈琲が飲める喫茶店を教えて欲しいくらいである。
単行本のときは珈琲豆がデザインされた表紙であったから、何かしら作者にも含みがあったのかもしれない。
文庫本の表紙は一切れのケーキであるが、これは文庫化の際に書き足された「ケーキを切り分ける日」に由縁する。
一つのケーキを親しい人達で分け合う。
この行為はバラバラに見えた登場人物たちが一つに繋がっていたことを意味するのだと、私は勝手に解釈した。
最後に残った1ピースが行くべき人の元へ届くようにと願いながら。
