もう落ち着いたかなって、ボクは少しだけ雄ちゃんを包んでいた腕の力を弱めた。
恥ずかしそうな上目遣いで、雄ちゃんがボクを覗いてくる。
目が真っ赤になっていたけど、涙は止まっているようで、ボクも少し安心した。
「わりぃ、めちゃくちゃ甘えた」
「ううん、全部話してくれてありがとう。こうゆうことは、話すのも辛いでしょ」
ボクの言葉を肯定も否定もしないで、雄ちゃんはそっとボクから身体を離した。
急に胸の中にぽっかりとした寒さが広がる。
これは雄ちゃんの体温が逃げたからなのか、ボクらに待ち受ける現実を受け入れたからなのか、
判別がつかなかった。
「ノクが泣かないでくれて良かった。お前に泣かれたら、ココからも出れなくなるとこだったもん」
やっぱり、雄ちゃんの優しさは特別だね。
泣かせたボクを置いて出て行けなくちゃっちゃうなんて。
「雄ちゃんが先に泣くから、泣くタイミングを外しちゃったんだよ」
本当は危なかった。
雄ちゃんが先に甘えてくれなかったら、ボクの方が泣き崩れていただろう。
でも、雄ちゃんが全部話してくれたから、何が一番辛いか、ボクにだけ教えてくれたから、
だから、こうして笑顔を見せてあげれる。
こんなボクを信用してくれた雄ちゃんへの、感謝を込めた笑顔を。
「ノクの言うとおり、地元に帰るよ。
そんでみんなの気持ちを受け止めてくる。おなか一杯になるまで愛されてくる」
元気に溢れる雄ちゃんの笑顔。
それが嬉しくて、ボクはしつこいけどもう一回、雄ちゃんをぎゅって抱きしめた。
短い時間しか一緒にいなかったけど、ボクも雄ちゃんのことほんとにほんとに大好きだよ。
言葉にしないこの気持ちが、雄ちゃんを守ってくれますように。
そんな願いを込めて、しっかりと雄ちゃんの身体を抱きしめた。
ゆっくりと沈む日を眺めていると、なんだか不思議な気分になる。
寂しくて切ないような、懐かしい暖かな思い出が蘇ってくるような。
「それじゃ、直樹に全部話したんだな」
差し込む夕日に染められた剛士は、相変わらずの淡白な口調で呟いた。
夕方になって、今度は剛士が雄輔の病室を訪れていた。
雄輔が地元に戻るための準備をしてもらうためだ。
「うん、黙っているのはズルいって思ったから」
夕焼けに照らされているからだろうか?
雄輔の横顔が妙にやつれたように見えた。
全てを吐露して、張っていた気持ちが緩んだのかもしれない。
「どうだった、直ちゃん」
「ちゃんと受け止めてくれた。それで、地元に帰れって言われちゃった。
ノクの言うとおりだね、時間がないのに逃げてちゃ駄目だ」
淡く笑う雄輔に難しい事を言う気も失せて、剛士は苦笑だけで返事を済ませた。
直樹は、雄輔がどんな事態なのか受け止めきってない。
事実を知識として取り入れただけで、そこから導き出されるしかるべき未来を見据えていない。
そんなことを追求してどうなる?
こいつらが納得して分かち合ったものを否定して。
剛士は余計な口を挟むことはやめた。
いつか、直樹はもっと重たいものを受け止めなくていけなくなるだろう。
そのときまで、何も知らない穏やかなままで雄輔の心の傍に寄り添ってあげていればそれで良い。
直樹のフォローなら、俺がいくらでもしてやるさ。
「つーのさんてさ」
急に雄輔が話し出したので、剛士は慌てて思考回路を切り替えた。
「つーのさんて変わんなかったよね。オレの病気が分かった後も」
「何が?」
「病気の事を知った後、みんながオレを見る目に遣り切れなさが滲んでた。
哀れんでるのとは違うけど、苛立ちみたいな焦りみたいな、そんな目になっちゃうんだ。
オレよりよっぽど追い詰められてる目になってた。
だけどつーのさんて、全然変わんなかったでしょ。
前に会ったときと同じテンションでオレを見てくれてた。雑な扱いも。
そーゆー、普通にしてくれるのって、安心するんだよ」
てへっと照れを含んで雄輔が笑う。
愛しい人を失うかも知れない恐怖。それは隠していても不意に人の表に現れる。
そしてその恐怖は、見せられる方にも伝染するものだ。
「俺が薄情なだけかもしんないけどなぁ」
軽く髪を掻き上げながら苦笑いする剛士が、人一倍愛情豊かな人だと雄輔は知っていた。
でなければ行き先を失った直樹や雄輔を呼び寄せてくれたりはしない。
抱える物全部持って、俺の所へ逃げてこいなんて、言ってくれるはずがない。
たぶん彼は、沢山のことを見て体験してきた。
雄輔がまだ知らないことまで。
そんな剛士の視線が、一瞬だけ遠くを彷徨う。
「雄輔が不治の病で、それが変えられない未来だとしても、俺がそれ以上長生きする保証はどこにある?
もしかしたらココからの帰り道で、車で事故ってあっちの世界に行ってしまう可能性だってあるんだ。
残された時間なんて、誰もしらないんだよ、本当は。
だから俺は『今』を大事にしたい。今、目の前にあるものが全てだ」
いつか。
目の前で無邪気に笑うこいつを本当に失ったとき、後悔と悲しみで押し潰されそうになるかもしれない。
だけどそのときが来てから、思いっきり打ちのめされれば良い。
今はまだこいつは笑って返事をくれる。
だったら都合の良いところだけを見ていたって許されるだろう。
「明日、孝太郎くんが迎えに来てくれるってよ」
「えっ!コウチンがっ!?」
「帰るって言いながら途中で逃げられでもしたら大変だって。
お目付け役兼ねて来るって言ってたから、覚悟しておいたほうがいいぞ」
勘弁してよ~って呟きながら、雄輔の頬が嬉しそうな微笑を描いていた。
どんな泣き言を言ったって、雄輔は昔からの仲間が大好きなんだ。
いつか悲しませるなんて理由をつけて逃げても、やっぱり好きなことには変わりないだろう?
好き勝手に切り込みをいれた雄輔の髪の毛に、剛士は指先を埋めるようにして頭を撫でてあげた。
そんな接触も嬉しいのか、雄輔は目を細めてされるがままになっている。
二人の間に流れる無言で穏やかな時間。
この瞬間では、それが全てのコトなのだった。
続く。