だからあいつが苦手★ | 逢海司の「明日に向かって撃て!」

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ご注意下さい!!私のブログは『愛』と『毒舌』と『突っ込み』と『妄想』で出来上がってます!!記事を読む前に覚悟を決めてくださいね(^^;。よろしくお願いします☆

瞬間、憧れてしまう人が居る。


あの人みたいになりたいけれど、でも自分があの人のようになるに手遅れで。
絶対に自分が立ち戻れない、というか、自分がどこかで切り捨てちゃった諦めちゃった延長線上に彼は居て、私はすでに種類が違うところに来てしまってるから、どんなに頑張っても二度とその場所に辿り付けやしない。
それが分かっているのに、その人のすごさっていうか懐の深さなんかに触れるたびに、感心したり感動したり感銘を受けたりして、あんな人になりたいな、でも、私はもうそっちに行けないんだってジレンマで息苦しくなってしまったりする。
それは個性と言う言葉で片付けるには、あまりに強烈で眩しくて遠すぎて儚くて。
あんまりに不思議に輝くから片時も目が離せない。
自分に足りない所を見せ付けられるだけだって分かっているのに。

だから私は、羨望の塊であるあの人が苦手です。



上地の雄ちゃん。



雄ちゃんは基本的に人が好き。
出会った人の良いところにばかり目がいく。
ちゃんと感じ取る。
心の底からホンキで「あなたに出会えてよかったo(^▽^)o」って言える、思ってる。
(だからあの「ひまわり」を聞いた時、上手いとか下手とかじゃなくて、マジで感情だけで『好い歌!』って思ったし、彼以外が歌っても魅力はないだろうって思った)
私は、そこが欠けてる。
人見知りが激しいってのとちょっと違うけど、新しい友達増やすのは苦手だし、どっか対面恐怖症みたいなのを引き摺ってるし、偶然昔の同級生とかを道端で見かけても声をかけるのを躊躇しちゃう。
だから、「俺、あーたのことがダイチュキヾ(≧∇≦*)!!」って衒い無くいえちゃうこの人が、羨ましいし憎らしい(苦笑)
本当は自分も、そーゆーふーに人を大事にしたいんだけどね。





彼は、大事な人を失った。
すごい尊敬してて自分のことを理解してくれてて助けてくれて導いてくれて、ずっと同じ夢に向かって一緒に居れるって思ってた。
そんな人に、ある朝、急に会えなくなった。
突然。
何の前触れもなしに。
さよならどころか、ありがとうもちゃんと伝えてない。


でももう、どんな声も届かないんだ・・・。


それを、知ってしまった。
人生なんて無常だ。
何が潜んでいるか分からない。
何時大事な物が奪われるか、予測もできない。


でも決して無情ではないから。


だから彼は、言えるときにちゃんと伝えるんだ。
好きな人には好きって。
あーたのここはすっごく好いよ。だからみんなも応援してあげて。
伝えなくちゃいけないことを100パーセントの力で、今、しっかりと。


私はそこも欠けている。
伝えるってことを怠ってしまってる。





こだわりがないのが拘りみたいな人である。
そのくせ、何かを一旦始めたら納得いくとこまで手は抜かない。
妥協しない。目指した結果まで我武者羅に泳いでいく。
それは自分のためじゃなくて、見てくれる人手に取ってくれる人がそうしたほうが喜ぶから笑顔になるからって思って信じてるから。だから、とことんやりぬく。

まあこの辺りが打倒だな~、といつでも及第点を適当に引いてしまう私には真似できない信念とパワー。
なんでここまで(言葉悪いけど)我侭を突き通せるのかなって不思議にさえ思う。



頭に来るくらい、勝ち目のない相手です。┐(´ー`)┌オテアゲダネ
そんな彼がわりと最近手に入れた世界的勲章。


『一日のブログへ訪問したユニークユーザー数ギネス記録』

ん?正式名称違う?


まあ大体そんなところで。
相変わらず彼のブログの人気はすごくって、一つの記事につくコメントだって毎回1万件ちかくある。
・・・・(-"-;)。
そか、一万人があのブログを読んでいるのか。
(今さら事の大きさに気がついた)

で、その中で。


はっきりとは書いてないけれど、野久保さんに宛てた(であろう)ブログが3つばかしある。
ここらへんは私の憶測と想像と願望と色眼鏡が多分に含まれるので、著者であるご本人の意図外なこともあるかもしれないが、野久保さんのそのときの状況とブログのアップされたタイミングを合わせてみると、あながち間違っていないと思う。

無論ここで話題にしているブログとは


「俺の弟分、恥で青担当の野久保直樹で~すヽ(→∀←。)ノ 」

みたいなブログではない。
あくまで抽象的であったり、他の物に紛れて書かれていたりするブログである。
でも、だからこそ。
決して理論だった文章を上手に書くわけでない彼が、ありったけの想いをこめて愛すべき弟分が必要としているであろう言葉を、労りにも励ましにも似た気持ちを、持ち合わせている数少ない語彙を組み合わせて只管に綴っている。
そんな超速球な言葉たちは、彼の人の心のど真ん中に突き刺さる。
そして確実に力と勇気になって彼の中に根付く。
もしかしたら無くしかけてた笑顔を取り戻したり、思わず泣いてしまったりしてるかもしれない。



そうゆうことを、いとも簡単に。

違う、簡単にじゃないね。

きっと書いてるときは頭フル回転でどう伝えれば良いかどうすればちゃんと伝わるか、沢山悩んで山ほど迷って、それで一個一個を完成させていくんだから。
一欠けらでも多く自分の想いが気持ちが心が元気が、今ソレを必要としている人の元にちゃんと届くようにって、まるで願いの塊をつくるように、作り上げていくんだ。


足元にも及ばない、そのパワーと愛情。


誰か特別な人に向けられたようなメッセージは、実はそこに集う全てに人に向かっていて、不意に触れた人たちを慰めたり勇気を授けたり優しい気持ちにさせたり。
そうゆう人の琴線に容易く触れてしまえる言葉を彼が持っているのは、そこにいつでもホンキの『思いやり』があるからなのだと思う。



つまりは、
伝えて伝わった気持ち・言葉に、
救われたり助けられたりするくらいの広くて深い想いを乗せれる、
その想いを常に胸の真ん中に持ち続けられるこの人が、
尊敬できて羨ましくって苦手です。









どうか、大切な物を持ちすぎてしまうこの人と

彼が愛してやまない沢山の人たちの明日に

今日以上の『ハッピース』が訪れますように・・・・。


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