前回、私が摂食障害から抜け出すためのきっかけについてお話ししました。

 

とはいえ前回もお話ししたように、きっかけや一瞬病気から離れる時間ができてもその時間が終わってしまえば、再び患者の自分という現実に引き戻されることになります。

 

また、私以外の人ではもしかしたらエンタメやそのコミュニティが肌に合わないこともあり、人によって抜け出す過程は様々です。

 

つまり、前回書いたようなものはあくまで私が変われた“きっかけ”でしかなくて、その夢のような時間以外の状況になっても負けてしまわないような自分を確立させないと(=最終的には自分が変わらないと)、いつまでも摂食障害からの呪縛からは解放されることは難しいかもしれないという事です。

 

 

 

 

そこで、私が夢のような世界以外の場所でも順応できるような自分になるために行っていたことがあります。

 

それらをざっくりと挙げると

  • 自分の価値の置く焦点を変える
  • 論理的に学び価値観を変える

の2つです。

 

そして今回はこの2つのうち『自分の価値の置く焦点を変える』ことについてお話ししようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

【自分を肯定できなかった私】

 

まず『自分の価値の置く焦点を変える』という言葉の意味ですが、端的に言えば私の場合、

摂食障害に依存して(価値を置いて)いた自分から、“私自身”や“私の時間”に価値を置く自分へと変えていった事を指します。

 

 

 

しかし最初からこれができていたらまず周りを悲しくさせることも無いし、

こんなにも自己肯定感の低さに振り回されることもないし、

自分の体型や人間的な立ち位置にコンプレックスなど抱きません。

 

 

 

 

考え方が変化する前の私は「地味」「陰キャ」「可愛くない」「ガタイが大きい」などなど、どうしても自分には一人の女の子として肯定できる要素があるように思えず、

また周囲からも自分のコンプレックスに思っていることを指摘されることが多かったりして、ありのままの自分を隠すようになっている状態でした。

 

 

具体的には、

高い身長を低く見せようと猫背になったり、マスクをして顔を隠したり、自分には可愛いらしいものは似合わないと安くておしゃれとは程遠い服装で過ごしたり……。

 

自分のために時間やお金を使うなんて極力減らすべきだと思っていたし、おしゃれな洋服やコスメを扱うお店に行けば場違いだと思われるのではないかと感じて足を踏み入れられませんでした。

 

 

 

一時期は整形を本気で考えたこともありました。

 

「ブス」「でか女」と言われたときは何処か「やっぱりそうなんだ」と腑に落ちて安心してしまっている自分も居た気がします。

 

でもこれはきっと、自分の価値を下げることで周りから否定されることを避けていた自分があったからなのかもしれません。

 

 

そんな状態で私はダイエットに出合ってしまい、誰しもが否定しえない目に見える結果(数字・痩せ・ルール)が自分で自分を肯定してもよい証拠のように感じてしまった結果、

いつの間にか他人からも目で見てわかるような結果が出た時でないと自分を肯定してあげられなくなってしまったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

【自分に価値を移す】

 

そこで変わることができる“きっかけ”になったのが、前回の記事(『自分ルールを変えるためには』)や、冒頭にも出てきた『エンターテイメント』『新しいコミュニティ』でした。

 

私がどういった経緯で考え方が変わっていくきっかけを得たのかは前回にも書いた通りですが、

そこから実際にどうしたら自分に価値を移していったかと言うと、大きく分けて以下の3つのことが挙げられます。

 

  1. 自分の『好き』を追求する人を見る
  2. 自分と関わる人のことを考える
  3. 思い込みの壁をとりあえず取り払ってみる

 

 

 

 

 

【1:自分の『好き』を追求する人を見る】

 

こちらは「自己肯定感の高い人を見ていると自分がみじめに感じる」「自己肯定感の高い人が羨ましい」などの感情は勿論あるとは思うので、賛否両論もありますし、時期は自分で判断しなければならないのですが、

私の場合は、最初はそういった感情も持っていたものの、徐々にそれが刺激となっていつの日か『私ももっと自分を認めてあげてもいいのかも』と思えるようになりました

 

具体的なエピソードを挙げると、

私が新たに参加した学校以外でのコミュニティ内では自分の好きな服を着て、自分の好きな在り方でそこに参加していらっしゃる方が多いように私には感じたのです。

 

だからといって他人の目を気にして隠れるように過ごしている様子は見受けられないように思ったし(他人のスタイルをどうこう言う人もいないし)、

好きな服を着て堂々としていて笑顔で過ごす姿は私にとって、羨ましいと思うと同時にとてもキラキラと輝いて見えました。

 

 

そういった方々に刺激されると、自分には似合わないと決めつけて、本当に好きだと思う服を避けて、見てくれに気を使わないように、何なら隠すようにして過ごしている自分が何だか勿体なく感じてきて、

だったら周りの人たちみたいに自分に正直になって楽しみたいし、それで自信をつけてキラキラできるのなら、もしかしたらそっちの方が良いのかもしれないと考えることができました。

 

 

 

 

 

 

 

【2:自分と関わる人のことを考える】

 

 

今から述べる『自分と関わる人のことを考える』については、

摂食障害を患った私でも一人の人として受け入れてくださった方々や場所、そして私自身が心を開放できる場所へ赴くときの前向きな気持ちのときに対してのみ起こる、と言う前提があってのお話になります。

 

 

 

それを踏まえたうえで、『自分と関わる人のことを考える』というのはどういう事かというと、ざっくり言えば

 

“相手のことを考えて『隣に立っていても恥ずかしく思われないような人になりたい』と思う”

 

という事です。

 

 

 

また、冒頭に書きました前提を含めると、

 

“大好きな人たちと一緒に居るときや大好きな場所に行ったときに、その場にふさわしい自分だと思える状態で在りたい” や、

 

“『自分が相手の前に立った時にどんな自分で居たいか』に焦点を当てる”

 

とも言い換えることができます。

 

 

 

 

この方法のメリットは今思いつくものだけでも2つ挙げられます。

 

1つ目は、私がよっぽどの失礼がない限りは否定されることがない点です。

 

なぜなら、対象とする相手が私を“患者”としてではなく、一人の人間として平等に接してくれた“私を受け入れてくれた人”だったり、コミュニティの中の一員として受け入れてくれるような、“私が行きたいと思える場所”であったりしたからです。

 

 

そのため、思い切って自分の好きな自分で過ごしてみたときや、『太った』と思って自分に自信がないときでも、

“思っていたより大丈夫だった”という成功体験を得ることができ、徐々にありのままの私で居て良いのだと思えるようになりました。

 

 

 

 

そして2つ目は、『周り“が”こう言うから』動くのではなく『私“が“こうしたいから』という、自分主体の価値観や感情で動くという点です。

 

今までは周りの理想像に沿っていかなければならないという脅迫概念になっていて、現実にそうなれない自分が見えた時、理想と現実のギャップがある理由を必死に探して「ほら、やっぱりね」と言えるように予防線を張っていました。

 

 

一方で自分主体になって考えれば、誰に言われたでもなく理想の自分と言う目標を立てて、今の自分とのギャップを埋めるために必死になります。

 

 

例えて言うなれば、推しのライブに行くときに1週間前から念入りに肌の手入れをして当日に備えたり、フェスのときに好きなバンドのTシャツを着るからファンとして恥ずかしくない行動をしたいと思うような、そういう感覚に近いです。

 

 

皆さんもこういった状況のときを想定したとき、「しんどい」というよりは「楽しい」「ワクワク」というような気持ちに近いのではないでしょうか?

 

このように、“私”を肯定できなかったら自分自身を傷つけてきた今までの私とは打って変わって、自分を磨く行為が「楽しい」と思えるようになったのです。

 

 

 

 

 

私のなりたい姿を目標に追求する自分は、いつか憧れた体験教室というコミュニティの中で出会ったキラキラした人たちの姿に重なるような気がしました。

 

そうして初めて、「私、キラキラできてる!充実してる!」と言うワクワクだったり、「私でもできるんだ」というプラスな意味での成功体験だったりを体験することができ、心の底から自分という人生の主役を心置きなく楽しめるようになりました。

 

 

 

 

 

 

【3:思い込みの壁をとりあえず取り払ってみる】

 

『思い込みの壁』とは具体的に言うと、

  • キラキラした世界は自分にとって場違いな場所だ
  • 可愛い服やお洒落をすることは私には似合わない
  • 私には時間をかける、かけてもらう資格がない

などのことです。

 

これらはすべて、周りからの言動や溢れんばかりのメディアからの情報量からできた私の固定概念でした。

 

 

 

しかし、実際に(私から見て)輝いている人たちの中に飛び込んで時間を共有してみたり、今まで手を出してこなかった服を着てみたり、SNSや雑誌でおしゃれを研究してみたりしてみたところ、

キラキラと輝いている場所は思っていたよりも疎外感を感じなかったし、着たいと思った服を着て外を歩いても誰も奇異な目で見ることは無かったし、自分に時間をかけてみるという過ごし方も案外楽しいものだと気づくことができました。

 

 

 

 

こうして「案外大丈夫じゃん」という体験を多くしてきた私がいま思うのは、

今までの私は実際に自分で見たこともハッキリ証拠となるものも確認したこともないのにも関わらず、“自分はダメなんだ”と呪いをかけて、自分で自分を意味もなく縛り付けていたことが多すぎる、という事です。

 

 

自分で『似合わないなあ』と思ったのではなく、一部の否定的な意見が自分の中で極端に大きくなって、それが世界中の意見のように感じてしまっていたり、

実際に話したことも無いのに「あの人はキラキラしている人だから」「住む世界が違う」と勝手に決めつけて、私は関わらない方が良いと判断してしまったり......。

 

改めて考えると、自分で自分の価値を下げ続けていたその時間を誰かとの大切な時間にできたのかもしれないと思えてきて、本当に勿体ないことをしてしまっていたのだなあと後悔してしまうようなことばかりです。

 

 

 

 

もちろん最初は自分に対して「本当はこういう人じゃないのに......」「私がこんなことして良いのかな」

などの気持ちや抵抗感・不安はありました。

 

偽っている自分を見せている気がして罪悪感もあったし、いつもと違う自分になってみる事は自分にとって違和感なので、思いのほか気持ち的な体力がいりました。

 

 

 

でも一度各コミュニティの中で形成される人格が確立してしまえば、

その場所に行ったときだけは“キラキラしている人の中にいる自分”や“お洒落をする自分”を楽しむことができるようになって、それをきっかけに徐々に「この場所だからできる」という免罪符ではなく、日常的に私が素直にやりたいと思う事を楽しめるようになっていきました。

 

 

だから決めつけて可能性を排除してしまうのではなくて、実際にやってみて自分の目と感覚で判断していくことも、自分の視野を広げるための方法としてやってみる価値はあるのではないかなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

【おわりに】

 

 

ここまで、環境の変化を受けながら私がどうやって自分自身の考え方を変化させていったかについてお話ししました。

 

 

 

『環境の変化』と『自分の思考の変化』、両方のアプローチが私の固定概念の払拭には必要不可欠だったように思います。

 

しかし自分の考え方というのは、影響を受けること・もの・人……すべて人それぞれで、何にどう変化させられるのかというのはハッキリ明示することはできません。

 

 

 

今回挙げた例たちはあくまで私にとって大きな変化を起こすキッカケになったものなので、万人が私の通っていた体験教室や関わってきて来た人たちに関われば回復して良いくとは言えないし、現実的にも不可能ですよね。

 

 

 

でも一つだけ、共通していると言えるのではないかと思う事があって、それは

摂食障害は一部の否定的な意見やマイナスなイメージから、自分の頭の中で物事を歪んだ形でとらえてしまって、結果的に自分を縛り付けたり固定概念が作り上げてしまったりしている部分がある、という事です。

 

 

 

だからといって、当事者の固定概念を周りが変えさせようとしていろいろな考え方を示しても、それは結局のところ周囲の意見に左右されるという点では“変化”している訳ではないような気がします。

 

 

 

 

もどかしくてあれこれ言いたくなってしまう気持ちも分かります。

 

考え方を変えた先が生命に関わりそうなときや、悪意のある組織などに取り込まれそうなときは阻止する必要も勿論出てきます。

 

 

しかし、重要なのは当事者本人が“自発的に”考え方を変えるという点だと思っているので、放置でも必要以上の干渉でもなく、まさに『見守ってもらう』ということが私にとって最適な状況でした。

 

 

 

 

また、先ほど当事者自身が自分の可能性を排除しないように自分の目で・感覚で確かめてみる方法があるというお話をしましたが、それは支援者側にも当てはまると思います。

 

だから基本スタンスとしては、当事者が影響を受ける可能性があるものを「この子はできないから」「この子は変化できないのかもしれない」という固定概念で塞いでしまうのではなく、

様々なものに出合うための入り口を増やしてあげた後に、当事者が自分の力で変化していけることを信じて待っていて欲しいなと私は考えます。

 

 

 

 

 

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