私が摂食障害を発症した高校では、悪化していくことに比例するように、入学してから築かれつつあった人間関係も徐々に薄れていきました。

 

 

 

「どう接したら良かったのかわからなかった」

 

摂食障害をカミングアウトしてから同級生とは殆ど話さなくなった私ですが、

この言葉は以前、久しぶりに高校の同級生だった一人に声をかけられて、一緒にお茶をした際に言われたものです。

 

 

この言葉を聞いて私は改めて、まだ思春期まっただ中の高校生に対して病気を打ち明けるというのは、あまりにも話が重すぎて、怖いものだったのかもしれないなと思いました。

 

私自身ですら周りにどうして欲しいのかわからない状態だったので、当事者でもない同級生が受け入れられなくて離たくなってしまっても仕方がありません。

 

 

 

その証拠に、お互い大学生活が始まってほどほどの時期では、私の病気の話をじっくりすることができましたし、

今通っている大学の同級生たちの何人かに私の摂食障害の事情をお話ししたときも、比較的落ち着いた反応が返ってきました。

 

 

 

必ずしも『大学生だから』『大人だから』受け入れやすくなるという事ではありませんが、

やはり心の余裕という意味では、高校生よりも少し大人びてくる大学生の方が受け入れてくれる人を見つけやすくなるのかもしれないなと感じます。

 

 

しかし、それがもし私以外の当事者の周りでも同じだとしたら、高校生やもっと年の若い当事者だった場合、周りに相談先が少ないのが現状という事になります。

 

 

 

 

 

かくいう私も、当事者になるまでは精神疾患などを患う方々に対してどう接したらよいか分からず、なるべく見ないように、目を逸らしてしまうような小・中学生でした。

 

 

人は誰でも「知らない」「よくわからない」という事に関して恐怖を覚え、なるべく触れたくないと思うものだと私は考えています。

 

その理由を私なりに考えてみたのですが、

一番はきっと、「その人を自分の言葉で傷つけたくない」という気持ちがあるのではないかと思いました。

 

 

一方で、もし今『摂食障害』ないしは他の疾患をネットで検索したとして、

“当事者にどう接するべきか”

“どういった声掛けをすれば良いのか”

が当事者家族以外に向けてわかりやすく明記されているものはそう多くはありません。

 

 

それも当然の話で、普段の私たちが何に興味を持って何が嫌いなのかが違うように、何かしらの病気を患っているときにどんな言葉が嬉しいか、どんな言葉に傷つくのかなんてものは環境や人によって変わってくるので、明記しようがないのです。

 

 

理想は当事者とざっくばらんに腹を割って話す事が、一番その人にとって救いになる言葉を見つけられるのですが、私たち親子や同級生たちがそうだったように、なかなか言いにくいし聞きにくいと思います。

 

そこで、私が過去に「これは傷ついたなあ......」という言葉をピックアップしてみたので、ぜひ当事者と接するときの参考にしてみていただければ幸いです。

 

 

 

【言われたくなかった言葉】

 

「言われたくなかった言葉」と考えた時にぱっと思いついた、よく言われた言葉はすぐに書きだしたものでも10個ありました。

 

 

中には過去にブログにした言葉も含まれていますので、そのリンクも交えながら、なぜ嫌だと思うのかについてお話していきます。

 

今回挙げていきたい言葉は以下の3つです。

  1. 「頑張って」「頑張りましょう」
  2. 「私も摂食障害かも」「わかる!」
  3. 「女の子らしい体つきになってきたね!」

 

中には「これもだめだったの!?」という言葉もあるかもしれません。

きっと、気遣うように使っていた言葉や、無意識に言葉にしてしまう言葉もありますよね。

 

 

 

 

【1つ目:「頑張って」「頑張ろう」】

 

これは以前書いた『真面目な子① 「頑張る」とは』で触れた理由と同様ですが、この言葉を言われたくないと思う理由は、

『頑張る』という言葉の曖昧さゆえに、どうしたら『頑張った』になるのかが分からないので「そうか、今の自分は頑張っていないのか」となって治療への意欲が下がってしまうからです。

 

 

しかし、毎日生き地獄のような日々を送っているなかで病気の苦しみから逃げないで戦い続けている時点でその人は十分「頑張っている」と思うし、生きている最中に何かに苦しむということは戦っている証です。

 

 

もちろん、苦しまないに越したことはありませんし、苦しいと感じていない人が何かを「頑張っていない」と私が判断する権利はありません。

 

しかしそれと同時に、苦しいと感じている人を「頑張っていない」「もっと頑張って欲しい」と“頑張り”を突き付けるような事もできないと私は思います。

 

 

 

 

じゃあ代わりにどんな言葉があったら嬉しかったかというと、

何かはっきりとした証拠がないと「頑張った」と認められない私が「もうちょっと頑張ってみようかな」と思えるような言葉でした。

 

 

具体的に言うと、

日々の苦しみを「辛かったね」と認めてくれることや、「頑張る」ための理由を一緒に見つけてくれること、そして「今も十分頑張っているんだよ」などの日々病気と戦っている事実を自覚させてくれるような言葉です。

 

 

 

実際これも、何がその人にとって「もうちょっと頑張ってみようかな」と思うかは人それぞれですし、私ですら自身がどんな言葉をかけられたらそう思えるかはわかりません。

 

それに、もし「自分はこういってもらったら確実にモチベーションが上がる!」という言葉が分かったとしても、周りにそう言ってくれとは言いにくいですよね。

 

 

だから私は、「頑張って」と声をかけるよりも先に、自分が常に誰かに『今日も頑張ろう』と思ってもらえるような言動をしていたいですし、その意識を忘れないように過ごしたいと思っています。

 

 

 

【2つ目:「私も摂食障害かも」「わかる」】

 

摂食障害をカミングアウトしたり相談したりするなかで、同級生に言われる率ナンバーワンの言葉がこれらの言葉です。

 

確かに、思春期の子の体型に対する意識と摂食障害は、どちらも「痩せたい」「太りたくない」「食事制限」「食べ過ぎる」等々、言葉にしただけでは違いが殆ど分かりません。

 

そのためか、病気の詳細を聞かれて説明したときに

「あ~…じゃあ私も摂食障害かも(笑)」とか

「わかる!私もストレス感じると過食しちゃうもん」などの言葉を、

摂食障害を説明した8割がたの子たちから言われました。

 

 

 

 

もしかしたらその子たちも本当に摂食障害である可能性もありますし、摂食障害であるかどうかを私が判断できるものではありません。

 

でもこのような類のコメントに関しては、

前後の会話や雰囲気からその子がどんな気持ちで「摂食障害」という病気を捉えているのか、当事者の気持ちをどんなふうに受け取っているのか、大体察知できるものです。

 

 

 

「もしかしたらこの子なら大丈夫かもしれない」

 

そう期待してカミングアウトや相談をするために覚悟を決めていた私にとって、笑って「私も摂食障害かも」と、まるで私の苦しみがそこまで苦しいものではないかのように扱われることに、私と相手との温度差に、とても嫌悪感と孤独感を抱きました。

 

 

 

また、「わかる」という言葉も上記したものと同様、私にとっては嫌悪と孤独を感じる言葉でした。

 

なぜなら、軽い気持ちで(もしくはその場を乗り切るために)共感をすることで、

わかってくれたと思ったのに言葉と行動が明らかに一致していないとき「全然わかってないじゃん」と悲しくなるし、

本気で向き合ってくれていない現実を突き付けられて「やっぱり話さなければよかった」と余計に誰かに話すことが難しくなっていくからです。

 

 

 

安易な共感は時に人を傷つけます。

 

共感してくれたり分かってくれたりした時の喜びが大きい一方で、それが嘘だった時のショックは大きいですし、そもそも誰かの重大な問題を軽いものとして扱うような人に信頼を置くことはできません。

 

 

 

私だったら、わからないなら正直に「わからない」と言ってもらいたいし、理解できないなら「理解できない」でいいと思っています。

なぜなら、私もそうであるように、経験したことがないものを理解するのは難しいという前提でお話ししているからです。

 

 

それでもカミングアウトするのは、

私が辛いという事実を認めてもらうためや、日々の生活の中で生きにくいと感じる部分を話して協力してもらえないか伺いたいからです。

 

 

 

 

【3つ目:「女の子らしい体つきになったね」】

 

これは、拒食症から回復していく最中に多く言われた言葉です。

 

 

 

ガリガリな状態の私を知っていて心配して下さっていた人たちは、私の体重が増えてきた=「治ってきた」と思って、「良かったね」という意味を込めてこう声をかけていただいていたのだと予測していますが、この言葉も私にとっては刃に感じるものでした。

 

 

なぜなら、体重が増えたとしても“痩せたい・太りたくない”という強い気持ちがあるのは変わらないので、「女の子らしい体つき」と言われると「私は太ったのだ」と考えてしまい、とてつもない不安と絶望と自己嫌悪を感じるからです。

 

 

特に私の場合は “誰よりも細い私” が唯一自信を持っていられるアイデンティティと化していたので、体重が増えれば増えるほど、“細い私”という“自分”が無くなっていく焦りと恐怖が「太りたくない」という気持ちを大きくさせました。

 

もし体重が増えて肉付きが良くなったとしても、本人が「良かった」と思っているとは限りません

 

低体重ではなくても摂食障害の症状は出ますし、見た目では判断できないのがこの病気の厄介な部分の一つです。

 

 

 

 

 

そもそも病気云々関係なく、

「あれ、痩せた?」「なんか見ないうちに太った?」などの体型に関する評価を人に向けるのは、マナーとして如何なものかと感じます。

 

 

外見至上主義の色が濃い現代において、もし自分が褒め言葉やイジリとして口にしたものだったとしても、軽い気持ちで投げた主観が実はその人にとってひどくコンプレックスに感じていたものだったり、

(私たちのように摂食障害になってしまうなど)人生を豹変させてしまう言葉になってしまったりするリスクは大きい気がします。

 

 

人によってどの言葉がどう捉えるかが違う、と考えるともう何も喋れなくなってしまう感じもありますが、“果たして体型を評価する必要があるのか”という部分を考慮すれば、言っても良い言葉と言ってはいけない言葉の違いも見えてくるのではないかなと思います。

 

 

 

【おわりに】

 

今回は私が嫌だった言葉として以上の3つをご紹介させていただきました。

 

次回は

  1. 「あなただけじゃないよ」
  2. ダイエットや体型に関する話
  3. 「あなたは食べないもんね」
  4. 「ちょっとだけでも食べてみようよ」

の4つをお話ししたいと思います。

 

 

 

 

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