『このまま消えてしまいたい』
私が摂食障害という病気と毎日過ごす中、何度もこの言葉が頭に浮かびました。
『死にたい』より『消えたい』。
生きたいとも思わないけど死にたいとも思わない。
最初からいなかったことにしてほしい、これ以上誰にも迷惑をかけたくない、この囚われた苦しい状態から解放されたい。
そういった感情をまとめると『消えたい』という思いに辿りついたのだと思います。
「そんなこと考えてはいけない」
もし私がその言葉を口に出せば、きっと周りの人はこう声をかけるでしょう。
予想はついていたし、心配もかけるし、心のどこかでは自分でもそう思っていたから実際に口には出しませんでしたが、それほど摂食障害という病気は精神的に追い詰められていく病気なのです。
【生き地獄から解放されたい】
摂食障害に飲み込まれていた私は毎日、
寝ている間以外はずっと食べ物の事や体型の事が頭から離れず、悪いときには夢の中でも過食をしてうなされ、周りへ迷惑をかけているという申し訳なさが重くのしかかってくる感覚を毎日抱えて過ごしていました。
そのうえ一番これ以上迷惑をかけたくないと思っている母親と喧嘩をしたり、
周囲からは正直不快になるような言葉もしょっちゅう言われたりもします。
唯一人間関係を維持してくれている母や病院の先生、クラスメイトたちにもいつ愛想を突かれてしまうのかという不安でいっぱいです。
症状が出た時には絶望と罪悪感に目の前が真っ暗になります。
もちろん骨が当たって痛いだとか、若年性更年期障害や甲状腺機能低下、消化管機能の低下や脳の萎縮、筋肉量低下と栄養失調などなどで生活面での困難さもだいぶ苦しかったですが、
それでも私にとっては身体的な負担を気にしていられないくらい精神的な苦痛の方が辛く感じていました。
今このブログを読んでくださっている皆さんも、私がそんな毎日を過ごしていたと知れば、ついつい『生きるのをやめる』という選択肢に目が行ってしまうのも仕方がない事だと感じていただけるのではないでしょうか。
とはいうものの、実際は毎日考えるだけで本気で生きるのをやめる選択を決行する勇気は私にはなく、ただ目の前に広がる絶望や苦しみにただひたすら耐えるしかありませんでした。
私自身、『消えられたらいいなあ』と思うだけで自分がそんなことできるはずもないと思っていましたし、『辛い事から逃げる選択すらできない自分』に軟弱者め、と自分を責め続けていました。
しかしたった一度だけ、『いけるかもしれない』と思った瞬間があります。
それは入院中のときでした。
しかし個室には防犯カメラがついていたし閉鎖病棟はどこも鍵だらけだったので、すぐにどうこうする事はできなかったのですが、入院中の朝に突然、なぜかこのまま本気でいけるような気がして
『そうだ、このまま食事をせずに衰弱していけば食事のことを考えなくていいじゃないか』
と思ってベッドの前に呆然と立っていたのを覚えています。
前日の夜までは、『消えたい』とは思っていたものの、『まさか自分がそんなことできる訳がない』と信じていました。
でもあのときは『どうしてこんな簡単なことを思いつかなかったんだろう』と思って、今までずっと考え続けていた家族のことや回復したいという気持ちが全てどうでも良くなってしまいました。
気分的には“死への恐怖や死の自覚”“絶望感”というよりは、“苦しみからの解放”や“ふわっと浮くような感覚”だったような気がします。
加えてきっと、衰弱死という形なら誰の手を煩わすこともないな、と合点がいったのかもしれません。
もしそうなったとしても事後いろいろと手を煩わせることになるので、
結局迷惑をかけずにいることは不可能なのですが、そこを考える余裕はなかったのでしょうね。
言葉のまま、“変な気を起こして”いました。
なぜ私がその日、そのまま病院の中でいつものように病院食を食べていつも通りに過ごせたのかまでは記憶に残っていません。
気づいたらロビーで食事が並んだトレーをテーブルに置いていて、
正面で食事をなさっていた年配の患者さんがせき込んで、その口の中のものが私の食事にゴールインしたのを不快なのか面白いのかよくわからない感情で眺めていました。
『消えたい』という感情は、摂食障害当事者の方々のツイートを見ている中でもたくさん見かけますし、摂食障害のみならず、さまざまな病気でもそういった感情になる方はたくさんいるのではないでしょうか。
【考え方を変えた言葉】
現在私は『消えたい』と思う事はありません。
なぜなら、自分がこれからもっと生きたいと思えるような楽しみや使命と思えるものを見つけたことと、案外人に迷惑をかけながら生きても何らおかしいことではない、という事に気づいたから(程度にもよりますが)です。
私がそう思えたのは、師匠が言ってくださった
『迷惑をかけるなんて今更だよ。人はみんな迷惑をかけて生きているし、そのご恩を誰かに返せばいい。』
という言葉です。
このことは過去の記事にも何度か出てきた言葉なのですが、今までなるべく周囲に迷惑をかけないで生きていかなければ存在できないと思っていた私にとって、それほど視野が広がった言葉でした。
たしかに、人は一人では生きていけません。
なぜなら現代で衣食住を確保するのにも、自給自足はほとんどの人の場合、現実的ではないからです。
それに、生まれた時から自分1人だけで生きてきた人はいませんよね。
それを前提で考えると、
自分が「これは迷惑だ」と思っているだけで、相手にとっては迷惑と思うほどのものではないかもしれないという可能性も捨てきれない、と思えませんか?
もちろん義務として嫌々やっている場合もありますが、手を貸してくれている事実には変わりありません。
だから今の私は、相手がどういった思いで手を貸してくれていたとしても
今まで迷惑をかけてきたと私が思っている人たちに『大変だったけど、手を貸してよかった』と言ってもらえるような人になろうと思って日々を過ごすようになっています。
また『パッチ・アダムス』という映画の中でパッチが言った
『人間同士が接触すれば、必ず影響し合う』
というセリフも私の考え方に変化を与えた言葉です。
私は当時、“人に迷惑をかける必要とされない足手まといな人間だ”と思って、自分には価値がないと決めつけていました。
しかし本当は、人は誰もが誰かにとって価値ある人になれるのだと、この言葉から教わることができました。
もちろん、マイナスな意味で影響する場合もあるかもしれませんが、その出来事をマイナスと捉えるか、糧と捉えるかは自分次第でどうにでも受け取れますし、後々マイナスなことが何かのきっかけになっていた、なんてこともあります。
こんなの回復していった人の綺麗事だ!と思う方もいるかもしれないけれど、
変な話、私が病気になって受診すれば主治医の先生や管理栄養士さんの利益になります。
さらにこの“私の”摂食障害の闘病記録が、主治医の先生や管理栄養士さんが今後摂食障害の患者さんと接するときの参考になる可能性だってあります。
もし現在進行形で摂食障害に囚われている状態だったとしても、自分が回復することで誰かに「ちゃんと治っていくから大丈夫だよ」というメッセージを届けることもできます。
実際私は、病気の経験を自分の価値にして今こうして摂食障害について発信しています。
何なら今このブログを読んでくださっているあなたがいるから私がこれにかけた労力や時間が報われるので、あなたは私にとって必要な人になります。
入院中であっても人同士が接触しあい、影響しあっていると言えます。
なぜなら、目の前の食事を少しでも食べたり、食事を目の前にして少しでも何かを考えたりすれば、それを作るまでにかけた作業や時間、さらに言えばそれができるまでに積み上げられてきた勉強量や努力が報われます。
管理栄養士を目指している身としても、そうなったらいいなあという思いで勉強しています。
【たった”1人”の影響力】
そこでまた、「一人くらい大差ないよ、自分の代わりなんていくらでもいるでしょ」と思うかもしれません(私がそうでした)。
ところが案外そうでもないんです。
例えば音楽フェスで自分の好きなバンドのTシャツを着ていたとして、
あなたが会場に落ちている空き缶を拾ったとします。
そしたら周囲にいる同じフェスを楽しみに来た人たちで、あなたの好きなバンドのファンをそこで初めて見たという人がその場面を見たら、
“あそこ(あなたの好きなバンド)のファンは空き缶を拾えるいいファン層だ”という評価をする人が出てきます。
同じバンド好き仲間がたくさんいる中で、たまたま“あなた”の前に落ちていた缶を拾うことにより、タイミングよくそれを見ることができる場所に人が通りかかる。
あなたしかできない、あなたの何気ない行動で、たまたま“あなた”を目の前にした“誰か”の中でそのバンドの印象アップにつながります。
それと同じで、実は一人ひとりが誰でもいいようで誰でもよくないし、特に何もしてないつもりでも自分の知らないところで良くも悪くも思わぬ影響を受けている人がいます。
嫌でも価値ある人間になってしまうのです。
(悪い影響だったとしても私は自分にとって後々、経験=価値になると考えています)
生きている限り影響を受けることも与えることも避けられないことを実感した私は、どれだけ周りに迷惑(影響)をかけないかというよりも、どれだけ力を貸してもらった分を誰かに返そうかという点にシフトして毎日を過ごしています。
【『消えたい』から這い上がるためには】
ここまでかなりポジティブな考え方を連ねてきましたが、これはあくまで現在の私の考え方なだけで、
やはり『消えたい』と思っていた時期はそんなことは1ミリも思えませんでした。
また、その状態から這い上がってくるには、様々な葛藤や変化をするための行動を伴いました。
私にとって思考の改善に一番大きかったと思うのは『依存先を増やす』というところです。
“自立とは「依存先を増やすこと」”
これは小児科医である熊谷晋一郎先生の言葉で、精神疾患に関わる方は知っている方も多く居るようですが、私も本当にその通りだと思います。
私が摂食障害に囚われていたころは依存先が“摂食障害の症状”と私の“母”しかありませんでした。
摂食障害の症状がストレスの逃げ道として依存先になっていたのは言わずもがな、
どんなに私が病的でも人間関係を絶たないでくれていた母も心のよりどころとして少ない私の依存先の1つになっていたのです。
母は私がどんな症状が出ても見捨てないでいてくれて、病院にも通わせてくれて、仕事が忙しいだろうに毎日学校の送り迎えもしてくれて、さらには私の強いこだわりの中で私と喧嘩を繰り返しながらお弁当をつくってくれたり、外食に連れて行ってくれたりしました。
今思えばいつ『もう嫌だ!!』と放り出したくなっても仕方がない状況だったと思います。
それでも私の気持ちを何とかくみ取ろうと、私を見捨てず毎日一生懸命向き合ってくれました。
対して私は、そこまでしてくれる母への安心感からでしょうか、嫌な態度やストレスや症状をほとんど隠すことなくさらけ出して母にぶつけてしまっていました。
しかしそれと同時に、
“いつ愛想をつかれてしまってもおかしくない”
“私の存在を否定されるのが怖い”
という感情も大きく、『母に迷惑をかけたくない』という気持ちがどんな感情よりも大きく、ピーンと糸を張ったように神経質になっていた部分でした。
つまり、母の感情が私の多くを占めていて、私自身が母にかなり依存していたという事です。
だからもし母が私の前で「もううんざりだ!」となったのを目の前にしたら、
私は摂食障害以外の依存先を失い、自分の居場所を失い、摂食障害の苦しみから抜け出したい気持ちも相まって、生きることをやめる選択を迷わなかったでしょう。
【『依存先を増やす』こと】
しかし私はあるショーをよく見るようになってから、ストレスを消化させる依存先として徐々に“エンターテイメント” (=趣味)というものが加わっていきました。
また、そこ関連で出会った方々とお友達になり、自分自身の存在を認められたことで、さらに“趣味仲間”という依存先が増えました。
自分の世界が広がることで、ありがたいことに尊敬できる人たちにも恵まれ、
力を貸してくれる人たちが私の心の拠り所となってくれています。
また、それらのおかげで回復に向かっていった私には“病気の経験を活かす”という、使命だと自分が思えることを見つけることができ、自分の中に目標という形でさらに依存先が加わりました。
こうして私の心の拠り所や自分を認めてくれる場所が“母”だけではなくなった分、
「母に見捨てられたら終わりだ」という恐怖からはだいぶ離れることができているように思います。
しかしそれは『母に嫌われる=生きている価値がない』とならなくなっただけであって、母の存在自体は今でも大切な心の拠り所で、失いたくない人なのには変わりありません。
これは母だけでなく今の私が多くの依存先とさせていただいている人やモノやイベントもそうです。
誰でもいいかもしれないけど誰でもよくない、これもそうです。
とはいえ依存先を増やすというのは簡単ではありません。
私は好きなはずだった事すら楽しめなくなっていたくらいですから、病気に囚われていっぱいいっぱいなときに自分で好きなことを見つけることはとても難しいと思います。
その点、そのエンターテイメントに夢中になる入り口を作ってくれたショーに多少強引にでも連れて行ってくれた時の母にはとても感謝しています。
強引にとはいっても、私はショーを観に行くのを拒んでいたわけでは無く、寧ろ自分も進んで行こうとしていたというのがあります。
『強引に』と書いたのは私が当初、心の底からショー自体に魅力を感じて行っていたのではなくて、(素直に面白いと思っていたのもありますが)一番は“母が楽しそうだったから”というのがあったからです。
だから最初はショーがあっても自分のストレスの矛先は“摂食障害の症状”か“母”なのには変わりはありませんでしたし、面白い瞬間を見て笑えない自分にしんどさを感じていました。
しかしそんなことよりも母が楽しそうな時間と母と喧嘩しないでいられる時間、
そして“私のため”ではなく“自分が楽しめるから”と自分を連れ出してくれる母の姿の方が大事だったので、ショーを観に行くとなったときは喜んで行っていました。
それがいつの間にか自分の心の余裕が出るとともに自分がそれに夢中になっていて、心の拠り所の一つにエンターテイメントが追加されていった、という感じです。
さらに私にとってエンターテイメントに触れている時間は病気の苦しみからも解放されるひと時だったので、エンタメに触れるようになってから自然と『消えたい』と思う事は少なくなっていったように思います。
このように、依存先を増やす方法として自分の身の回りの環境を物理的に変えるというのは一つ良い方法なのではないかと考察しています。
【同じ窓から覗いてみる】という記事にもありますが、共通の趣味を作るという方法は私たち親子の環境をがらりと変えました。
また、抵抗がないのであれば
学校のカウンセラーさんや保健の先生、周囲の人へ話してみる(病気に限らずそれぞれ話せる人に話せる相談をする)などをして頼る先を分散していくことも大事な気がします。
【「迷惑をかけない」から「お返し」へ】
『消えたい』と思わなくなった今の私は、“迷惑かどうか”を気にするより“どうやって還元するか”に考えをシフトする考え方に入れ替えて過ごしています。
とはいっても未だに誰かに頼みごとをしたりお伺いをしたりすることは苦手なのですが……
ただこちらの方が断然心の余裕があると実感しています。
こうして改めて考えると、私の『消えたい』という思いの裏には
- 誰にも迷惑をかけたくない
- 自分の存在価値が見いだせない
- 病気の苦しみから解放されたい
というような気持ちが隠れていました。
しかし、「死にたい」ではない分、人に嫌な思いをさせないで生きることができれば生きていたい、という事になります。
残念ながら考え方や価値観が十人十色のこの世界では、生きている限り誰かに迷惑をかけるのは避けられませんが、
上に書いたように、人間同士が接触すればいつの間にか良くも悪くも必ず影響し合います。
与え、与えられながらそれぞれが生きることで成り立っているのです。
私の師匠はよく私に
「重いかもしれないけれど、今行動しないことで救われるはずだった人が救われなくなってしまう。だから今やらなければならない。」
と仰います。
今の私は、自分が生きていてよかったと思う瞬間を味わえているというのもそうですが、この言葉のように私が今、生きることで少しでも誰かに影響を与えられるのであれば、『消えたい』と思っている暇はないなと思っています。
今回の記事はいつもより重めの内容になってしまいましたが、
苦しい長期戦になる可能性が高い摂食障害と生死の話は、切っても切れない、目を背けてはならない部分だと思います。
記事の中で私が母にどれだけ依存していたかにも触れましたが、
次回はこの『消えたい』と思っていた私にとって、どんなに何度も険悪な雰囲気になったとしても周囲の支援者がどれだけ大事であったかという部分についてに触れたいと思います。
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