摂食障害を理解してほしいと思うのであれば、カミングアウト(自分の病気を打ち明けること)は避けて通れません。 なぜなら、カミングアウトをすることですれ違いを食い止めることができるかもしれないからです。

しかし、してもしなくてもすれ違う可能性はゼロではないというのも現状です。

 

 

 

私は“病気のせいで距離を置かれる瞬間が嫌”“何気ない言動に何度も嫌だと感じて辛い“という理由から

周囲の人にカミングアウトをすることが何度かあって、そのなかでカミングアウトのメリットとデメリットが あると感じました。

 

メリットとして挙げられるのは
  • 自分が隠し事をしているという感覚がなくなり、心が軽くなること 
  • お菓子やジュース、予定外の食べ物を勧められなくなったこと 
  • 体型や食事内容についてあまり触れられなくなったこと 

があります。

 

 

一方デメリットは

  • カミングアウトした後の返答に嫌な気持ちになること

   具体的には「私もいっぱい食べちゃうから大丈夫だよ」、「普通に見えるのに」、スルー etc...

  • よそよそしくなったり、徐々に周りから人が離れていったりすること ・その場の空気が悪くなること
  • その人なりの気遣いが傷つくときがある事

   具体的には、何かやろうとしている最中に「具合悪いならやらなくていいよ」といったように過度に行動を 制限されるなど

  • 時と場合によって変わる自分ルールで相手を不愉快な気分にさせてしまう場合があること

   例えば、食べられないって言うからいつも気を遣わせているのに外食だとめちゃくちゃ食べる、食べられないと言っていたものを急に食べ始める......など

 

が挙げられます。

 

 

 

結論、言った方が良い・言わない方が良いというのは一概には言えません。 言いたければ言うし、言いたくないのであればそれでも全く問題ないのです。







この病気を打ち明けることに関しては私もかなり悩まされました。

私の初めの症状は拒食症で、見た目はだんだん痩せ細っていったので何か私の身に良くない事が起きているというのは認識されていたとは思うのですが、

なかなか友達にはっきり自分の病気のことを言えず、クラスメイトや入学したてから仲良くしていたメンバ ーとは日に日に会話を交わす回数が少なくなっていきました。

 

当時高校 1 年生だった私も病気が原因で友人たちと距離が生じてしまっているのはなんとなく理解できていたのですが、ただモヤモヤするだけの毎日が苦しくなってどうして良いか分からず担任に相談しました。

担任がたまたま保健体育の先生だったこともあり、私の病気への理解はしてくれていて、相談に行くと真摯に 私と向き合ってくれました。

 

 

ある日、友人関係について相談したときに言われたのは、 

 

「自分で壁を作ってしまっているから、みんなも壁を作ってしまっているのかもしれない。」

「なんとなく様子が違うのはわかるけど、ぼんやりしているから触れないでおこう、ってなっているのではないかな。自分のことを打ち明けてみるのも一つ考えておいて良いと思う。」

 

ということでした。

 

 

そこで私は早速、友人に自分が摂食障害であることやあまり食事が摂れないことを話しました。 

結果、その場の空気はどんより。

数人は「うん、痩せてるもんね」「ふーん」「そうなんだ」と返してくれましたがほとんどは無言で返事をしてくれました。

 

相手も傷つけたくてそういった反応なわけでは無いのは分かっていたし、せっかくの楽しいお弁当時間がその日は変な空気で午後の授業に入ってしまったのでその罪悪感もあり、私はもう二度と自分のことを打ち明けるのはやめようと思いました。

 

 

 

 

このブログを書いている今では、自分の患った摂食障害という病気について周囲の人に話すことにほとんどの話題は抵抗が無いし、あの時担任が言ってくださった言葉もどういうことだったのか理解できます。

確かに、当時の私は「自分のことを話すと引かれるかもしれない」「返事に困ってしまうかもしれない」 「言ったからどうなるの?」「どうせ傷つくだけ」という理由で、周囲に自身のことを話さないと同時に

自分の病気に関しては触れないでくれ、と言わんばかりの空気で人との間に厚い壁を作っていた気がします。

 

さらに、これから中を深めていくであろう仲間との関係を崩したくないという恐怖が大きかったのもそれを助長したのだと思います。

こちらが心の窓を開いてない状態であれば当然、受ける側が「触れてはいけないことなんだ」「接しづらい」「自分の言動でどうにかなってしまったら......」という不安で壁を作ってしまうのは納得がいきます。

 

 

 

それでも、私はあの時点で自分のことを喋らないという選択はベストだったと思います。

なぜならその自分の壁を壊したら案の定、変な空気になってさらに壁を作られてしまう結果になったからです。

 

 

考えてみれば、知識も情報もなく『摂食障害』と言えばたまにテレビで見るくらいのイメージでしか捉えられていない高校 1 年生の彼女らに“病気として”受け止めてもらおうとすると、とても荷が重くなってしまいます。

 

だからあの時「私が自分のことを話したらこうなるんだ」と分からせてくれた友人たちには感謝するととも に、悪いことをしたな......と申し訳なく思っています。

 

 

 

 

 

ではあの時点でモヤモヤを解決するにはどうすればよかったのでしょうか?

 

 

高校生の時から少し大人になった今の私なりに考えてみた結果から言うと、

『カミングアウトをする』と大袈裟に身構えるのではなくて、いかに彼女らが受け取りやすいような形で伝えるか?に注意しておくべきだったのではないかと考えました。

 

 

 

 

まず、自分のことを言っていない状態でも友人に距離をおかれたり自分も自身の病気について言い出せなかったりするということは、『摂食障害』というものが簡単に治るわけでは無い、複雑で難しい病気であると お互い認識していると言っても良いのではないでしょうか。

 

そんなとても高校生が受け止めるには重すぎるような病気に今まで仲良くしていた高校で最初の友人がかかったと言われたら、私が聞く立場なら「どうしてあげれば良いか分からない」「私の一言で悪化したらどうし よう」という気持ちでいっぱいになります。

 

 

 

深刻な事態であることも、自分では上手くベストな切り返しができないことも、

なんとなく肌で感じ取っているから、それがそのまま『触れない・近づかない』という行動に移っていくのだと思います。

 

しかし私としては深刻になってほしいのではなくて、ただ対応して欲しいだけでした。

だとすれば、当事者側は具体的に友達にしてほしい行動やわかってほしい大変な部分だけ切り取って提示する必要が出てきます。

 

そこで、摂食障害を患っているという事実をストレートに言って病気に対する理解や対応を求めるのではなく、

具体的に“困っていること”“協力してほしいこと”として協力してもらえるようにお願いするというスタン スに変換するだけで、受け止めやすさがかなり違ったかもしれないと思いました。

 

 

 

 

 

SNS などを見ていると、私と同じように周囲の人にカミングアウトするタイミングで躓いている方はたくさんいらっしゃるという印象を受けました。

 

 

そもそも、なぜ私のような当事者は打ち明けようとするのでしょうか?

 

 

それは、自分が過ごしやすくなるためではないでしょうか。

 だから言いたくないことはあっても良いし、寧ろ黙っていた方が生きやすいというパターンもあります。

 

 

 

私は学校に病気の対応について相談をしに行ったときに学年主任の先生にお話しした機会があったのですが、何度話してもいくら言い方を変えても正直言って的外れなことしかおっしゃらなかったので、この場合は「言わない方が吉」と判断しました。

 

それから学年主任と病気の話をするのは嫌だったので、学校では理解のあった保健室の先生か担任にしか自分のことはお話しませんでした。

また、高校 3 年生では担任や保健の先生も話したら悪化すると判断したのでほとんど話しませんでした。

 

 

 

 

また、中には初めから「プライベートな部分は踏み込んでほしくない」「ほっといてほしい」という方もい らっしゃると思います。

 

 

 

私はカミングアウト自体が特別凄すごい訳では無いと考えています。 

上記にも書きましたが、自分が過ごしやすくなるための、自分のための手段にすぎません。

 

 

だから、以前は「他の人が病気について知らないからこその言動に傷つくのが嫌だ」という生きづらさと

言った後に嫌われるかもしれない、つまり社会的な居場所がなくなってしまう(生きづらさ)恐怖で天秤をかけて、言うか否かを決めていました。

 

 

一方今は、自分の細かい所までほとんど抵抗なく世間にこのブログを使って打ち明けることができます。

でもこれはやけくそになったり当時の苦しみを軽んじたり「引かれるかもしれない」「嫌と思う人がいるかもしれない」という恐怖がなくなった訳では無く、

私が自分の過去を意味付けして生きやすくしているためであり、自分が自発的に生み出した使命感や正義感 に逆らうと生きづらくなるという理由からです。

 

 

 

 

自分の体験や症状について綴っている方のその行為自体に「勇気ある行動」「カミングアウトできるのはすごい」と評価している方を決して否定するわけではありませんが、

私はカミングアウト自体が勇気ある行動でも偉いわけでもないと思っています。

 

だからこそ、自分のことを周囲に打ち明けられなかったとしても気に病む必要はないし、「打ち明けなきゃ」と焦る必要もないと思います。

 

 

 

 

賛賞されるべきは、「話したいけど怖くて話せない」「このままでは嫌だけど踏み出せない」と思っている ときに、思い切って一歩を踏み出したその行動力なのだと考えます。

なぜならそれは、自分の中の恐怖と葛藤に打ち勝った瞬間だからです。

 

 その行為には確かに勇気がいります。

(前者も後者も結局言葉にすると「カミングアウトできたのはすごい」になるのでニュアンスの違いが伝わりにくい気がしますが......)

 

だからもし、カミングアウトを聴く側になったときは「勇気を出して私に言ってくれてありがとう」と言いたいです。

 

 

 

 

 

先日、高校のときの友人とお茶をする機会がありました。

そこでは摂食障害についての話にもなり、当時の自分のことや今の状態についてもさらっと話すことができました。

しかもその友人の方も今度はしっかりと受け止めてくれました。

 

 

多分、私も彼女も成長したからこそお互いに余裕が生まれて、受け取ってもらえるような伝え方だったり、 受け止められる姿勢だったりが整っていたのだと思います。

 

つまり、それが彼女に話すタイミングだったのです。

 

 

また、以前に比べ母には当時の私が言えずにいたことを言ってみる回数がはるかに多くなりました。

さらに尊敬する先生にも、『病気』というぼんやりしたものではなくて『摂食障害』としてお話を聞いて頂こうという想いで話すようになりました。

これは私が(勝手ながら)「今なら受け取ってもらえる」と思って「自分について隠すことなくしっかりお話したい」という意思が生まれ、その方が生きやすいと判断したからです。

 

 

自分の主観でしかないですが、友人も母も尊敬する先生も嫌がったり戸惑ったり受け止めきれなくて身を引くことはしていないように見えました。

 

それを通して気づいたのは自分にも相手にも、打ち明ける・打ち明けられるタイミングというものがあって、自分が打ち明けた先に求めるものは共感や同情や反論ではなくて、さらっとした認識であるということ です。

 

 

 

加えて欲を言うと、こうしてブログを書いているくらいなので

私が打ち明けた先の方々には摂食障害の根本に潜む問題を考えてもらって、そして同じような失敗をしないように反面教師にしてもらえるのならば万々歳です。

 

 

 

友人とすれ違いまくっていた結果、私の高校時代は友達という部分にぽっかり穴が開いているような感覚で す。しかし、病気を通して友達との関わるのは初めてだったから上手くいかなくても仕方がないと思っています。

 

 

私の師匠(尊敬する先生)はよく「人生 1 回目だからできなくて当たり前」とおっしゃいますが、 そう考えると失敗や手に入れられなかったものをそこまで悲観する必要もないのかもしれないですね。

 

 

次、失敗しなければ大丈夫です!!

 

 

でももう私は同じ病気の道を踏みたくないので、この失敗はこうして一例としてシェアすることで

当事者としても事情を聞く側としても、人間関係で同じ石に躓かないで済むような方が増えればいいな、と いう思いで書いています。

 

 

 

 

どうか皆様に素敵なご縁がありますように。