私には尊敬してやまない方がいます。

その方はこの病気を回復する過程で様々な発見を与えて下さった、命の恩人といっても過言ではない方で す。

以前その方とお話ができる機会があり、その際に

「自分は見た目どうこうよりも、何かを積み上げてきたり磨き上げている人に魅力を感じる」

とおっしゃっていました。
それが素直に嬉しかった。

 

別に私個人に対して言ったわけではないけれど、世の中にそう思って接してくださる人がいる、という実 感を言葉として聞くことではっきり確認できた、というのにかなり感動を覚えて

今でもずっと心の中に染みついている状態です。 普段接している中でも”その人自身“として見てくださる方だとは想像できていましたが、 実際に言葉として聞いた時の嬉しさや安心感はとても大きかったです。 改めて、言葉の力って強いなあ、と思いました。

 

 

 

そしてふと思ったのが、

“自分自身”の存在や状態を肯定してくれる・受け止めてくれるような言葉をかけられるのは、いつが最後 だっただろう?という事です。

 

 

記憶の限り、小中学生の時はそのような経験はないです。

特に、中学生では「○○先輩は美人だし羨ましい」とか「タレントの○○ちゃんに憧れる」とか「モデル の○○ちゃんみたいになりたい!」とか“他人”にフォーカスした会話が多かった気がします。

加えて、自分のコンプレックスを強く感じたり、自分の気に入らない部分を隠したり(例えばマスクで顔を 隠すなど)し始める子も多くいました。

さらに、体型などの見てくれについて笑うことはざらで、

「女優の○○みたいな体型は女子」「女子は 40kg 台」「デブ」「ブス」なんていう言葉も軽い口調で飛 び交っていました。

 

周りの人たちは常にそのようなことを口をそろえて言うものですから、まだ未成熟である子供たちは必然 的に、“多くの人が言うことが正しい”という固定概念を植え付けられることになります。

すると、「自分がどうしたいか」ではなくて「他人にどう思われるか」が学校生活の中で生き残るのに重 要なキーポイントになります。

 

つまり、最も人に流されやすい状態であるのが成長期であるということです。

もしかしたら学校側は“本人自身”の個性を尊重すべきという教育をしていたかもしれませんが、実際このような現状であったことから、それは不十分だったと言えます。

 

この例は私の学校だけかもしれない可能性もゼロではないですが、摂食障害の低年齢化が進んでいる事実 の背景には、これに似たような状況下に置かれる思春期の子供たちが多いことを示しているのではないで しょうか。

そしてその時期の子供たちに大きく影響を与える外部の力はずばり、メディアです。 特に今は、小さい頃からスマートフォンを持つ子供たちが多くいる情報社会なので、インターネットの情報はある程度分別がつくであろう大人だけの世界ではありません。

 

ただえさえ他人を軸に考えてしまいがちな子供たちが、まだ情報の善し悪しを判別する力の弱いうちに情 報の影響を受けてしまうと、他人を軸にした生き方のまま成長してしまう可能性が高まります。

 

 

 

さらに言うと影響力の強いメディアは最近、

学生である自分たちと同じくらいか若しくは年下の子が活躍したり、いわゆる一般の暮らしをしていた人 が SNS を通して有名になったり、テレビが『SNS で話題の○○が......』と SNS からの情報をもとにした 放送をしたりと、私たち視聴者側に寄った、より身近に感じられるような放送をしてきているように思い ます。

また、著名な芸能人の一日に密着したり、毎日の生活をインスタグラムなどに投稿したりするなど、芸能人の生活が見えることにより

同じフィールドに立つ人間である、という感覚がより強くなっていると感じるのです。

言ってしまえば『テレビの奥の違う世界』ではなくて、『自分たちも頑張れば届くような真似しやすい環境』に変わったということです。

 

 

しかし、ここで盲点が生じることに気づく人はあまりいません。中には、都合の悪い盲点に蓋をしてしま っている人も多くいるのではないかとも考えます。

その盲点とは、そちらの世界で活躍している方々の生活を放送・投稿している事はその人の“ほんの一部” でしかないということです。

 

私たちは彼ら彼女らのように芸能界で活躍できるチャンスは、同じ人間である以上不可能ではないと思います。

でも、その『真似できた状態』になるには、(あくまで憶測ですが)

まず憧れた人の人生の歩みや考え方を深く知り、人生をかけてその生き方をするための時間と労力とお金 と人材を費やす覚悟を決めたうえで、具体的な行動に移す必要があります。

 

テレビで輝く彼ら彼女らは、計り知れないくらいの努力と熱意と苦しみと向き合ったうえで磨き上げられたわけで、だからこそ彼ら彼女ら自身にビジネス的価値が生まれます。

前回にも書いたように、自分を好きでないと成り立たない職業だと思います。人に流されないほどのもの が積み上げられているからこそ放つことができる輝きです。

当然、輝く姿を魅せるのが彼ら彼女らの仕事ですから、生々しい部分は視聴者には届きません。 しかしそれを前提にしないまま、視聴者に近い形で憧れの対象である芸能人たちを放送することで 「この人と同じことをすれば自分もこうなれる!」という錯覚を起こしやすくしてしまします。

 

これはもはや、できることなら自分も彼ら彼女らのような人気者になりたい、きれいでありたい、という 承認欲求に踊らされている状態です。

さらにその状態に追い打ちをかけるように、SNS では 一部分しか見せられていない情報をあたかもその人のすべてであるかのようにとらえられるような表現で

「○○さんのダイエット法はこれ!」「これをやれば○○みたいになれる!」「○○の美の秘訣はこれだ った!」

とかいう不安定な情報だけが広まっていく事態になるのです。


しかもその情報は、ただメディアが事実として放送した情報をもとに書いているだけなので、その情報自 体は嘘ではありませんし、

その人が毎日こうであると思うか否かは受け取り側次第であることから、とてもグレーな部分になります。

 

 

 

 

最近ではかなり体型で笑いをとる風習は少なくなり、個性を尊重する兆しも感じ取れるようになりましたが、それでも痩せが美しいという意識や評価が変わらないのは、このようなところにあると思います。

 

 

 

 

スマホを開けばそのような不安定な情報が行き交い、痩せている人が評価される風潮の中で生きている大 人を身近な感覚でとらえることができる現代、

それが正しい(憧れるべき)姿と考えてしまうのは仕方がないことだと感じます。

 

しかしこれでは自分の魅力に気づかず、承認欲求だけが前を行き、自己否定をする日々が待っているだけ です。

生活の一部しか見えていないという面では普段の人間関係のなかでもあり得ることです。

 

具体的には、学校の成績・部活・習い事・仕事・SNS など。

輝くものを持つ人にはその結果に値する対価や代償を払ってきた場合が多いと思います。

真似できる可能性はゼロではありませんが、その人の人となりをできる限り多く知って、自分事として吸収し、

それと同様もしくはそれ以上の、輝こうという気持ちとそれをキープする覚悟・熱意が必要になります。

 

 

部活で例えると、小さいころからクラブでバスケットボールをしていた子と、中学生で初めてバスケを始 める子では、バスケにかけてきた時間や労力には大分差があります。

でもそんなことも知らされずに同じ練習着を着て同じ試合に出て、前者と同じようなプレーを後者が見よ う見まねでしようとしたって、できませんよね。

前者のようなプレーをするには、前者と後者のフィールドの違いを認識する必要があります。そのうえで 前者がどのような経験をしてきて、どのような道をたどってきたかを知ったうえで、前者と同じかそれ以 上の覚悟を決めて自分の場合に置き換える必要があります。

 

自分に置き換える、という作業もとても重要になります。 前者がクラブに入った年にタイムスリップして同じ練習メニューをこなすなんてことはできませんからね。

 

 

このように、日常の人間関係でも、メディアとの間にも、

自分が今目の前に見えている一部と全く同じ行動をしていればその人のようになれる、という事ではないこと、

その人の背景はそこまで単純ではない事を理解したうえで情報を受けとること
が求められるのだと思います。




私はダイエットとして、

女優さんの身長体重を調べて(信憑性に欠ける情報源から......)、SNS の写真を見て、それをモチベーショ ンにする方法をとっていました。ダイエットの方法の一つとしてよく聞きますが、以上のようなことを理 解していれば、これはよくない方法であることがわかりますね。

 

 

 

 

メディアを変えるのには相当大きな力が必要です。 実際、芸能人の生活スタイルに需要があるのは事実ですし、慣習としてこれが根付いてしまった今は、

メディア側に「今すぐ芸能人と一般人の境界をはっきりさせろ!」と批判して強いることは効率的ではありません。

 

だからこそ、大人は輝く世界の裏の存在をしっかり理解し、まずその意識を自分に定着させること 次にその段階を踏んだうえで、子供にそれを届くまで教えることがとても大切なのだと思います。

 

 

ここでポイントにしたいのは『届く形で』伝えることです。

成長期は人の目線が気になるのが当たり前です。そこに「あなたはあの人とは違うんだから、真似してもああなれる訳じゃないんだよ。」と言われただけでは、承認欲求は満たされません。

 

私も母に「あの人たちはああいう職業なんだから、あおいとは違うんだよ」と何度も言われました。 それでも私は受け入れることをしなかった
それはなぜでしょうか?

 

それは、「あなたは人気者(輝きを持つ人)にはなれない」と、自分を否定されたように感じたからだと思います。

 

 

 

多くの人は自分を否定される事に恐怖だったり苦手意識だったり、認めたくない・否定されたくないとい う考えを持つ方が多いのではないでしょうか。

従って、否定されればそういった思いが働いて本人には届かないという結果になるのだと考察しています。

 

 

ではどうすれば本人を肯定しつつ違いを受け入れてくれるのか?
それについては長くなるので次の記事に詳しく書こうと思います。






そして補足ですが、

前回、私は「自分を好きになること」を題材に話を展開しましたが、“自分という不動のものに耳を傾ける べき”という考え方は改善の余地があったことに気づきました。

 

どこを改善すべきかというと、『自分と比べて自分を嫌いになることがある』ということです。

今回のコロナ騒動で運動不足の日々が続き、体重ははからないようにはしているものの、私の体型も徐々に変化しているという自覚を持つようになりました。

私の中で大体ではではありますが、理想の見た目というのがあって、それをキープできている自分が好きでした。

しかし、それが維持できなくなった今、以前できていた自分と比べて自分を嫌いになり

“早く戻したい”という焦りに変わって、単純な思考で『食事を摂らない』という判断に至ろうとしてしまったのです。

 

 

今と以前で違うところは、多少客観視ができる余裕があることです。そのため私は自分を分析して自分を 好きでいようとするために、以前書いた記事を読みました。

でもパニック状態のとき、それは気を逆なでする結果となりました。つまり「出来るならこんなに苦労しないわ!」となったのです。

 

だから私は今の気持ちを記録しようと LINE の独り言グループに気持ちを素直に吐き出しました。

そのうちに落ち着いてきて、徐々に冷静に考える余裕が生まれました。

 

 

そこで分かったことは、パニック状態のときは摂食障害という怪物に寄生されている状態なので、何をし ても抵抗できないという事です。寧ろ抵抗しようとすると、よりぐちゃぐちゃになって整理がつかなくなります。

 

 

 

だから、落ち着いて考えられる時間に、どれだけ自分を肯定できる時間を多くするかが重要だと思いまし た。さらに、肯定できるものを書き出しておくなど、目に見える形で自分に訴えかけてくれて不動で自分 を肯定してくれるものを作ることは有力な方法だと感じました。

 

 

久々にまた拒食の怪物が私を乗っ取る事態が起こりました。

何らかの大きな刺激で再発する可能性があるのは摂食障害の特徴の一つですが、今回の自粛期間が精神的にも強い影響を及ぼすのだと思うと恐ろしかったです。